琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】苦しかったときの話をしようか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
「何をしたいのかわからない」「今の会社にずっといていいのか」と悩むあなたに贈る必勝ノウハウ。
悩んだ分だけ、君はもっと高く飛べる!
USJ復活の立役者が教える「自分をマーケティングする方法」。
後半の怒涛の展開で激しい感動に巻き込む10年に1冊の傑作ビジネス書!


 経営危機に陥っていた、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンUSJ)をV字回復させた著者が、自分の子どもに向けて書き溜めていたという「よりよく働くためのアドバイス」を書籍化したものです。
 本来は外に出すつもりはなかったそうなのですが、他の原稿の相談にきた編集者の目に留まって出版することになったのだとか。
 

 著者の『USJのジェットコースターはなぜ後ろ向きに走ったのか?』は、マーケティングとアイディアの力を思い知らされ、また、読み物としても面白かったので、この『苦しかったときの話をしようか』も手にとってみました。
fujipon.hatenadiary.com


 正直、この本の前半部は「あまりピンとこなかった」のです。
 というか、こんな身も蓋もない話をされても、娘さんも困るんじゃないか、とさえ思いました。

 東大生の親は世帯所得の平均値が高いことがデータとしてよく使われる。格差が世代を超えて連鎖して増幅している1つの論拠として挙げられるケースが多い。私も裕福な家庭で育った訳ではないので、情緒としては言いたいことはわかる。裕福な家庭だから恵まれた教育を施せる、知性を高めるのに有利だから東大に入りやすい、つまり不公平だと言いたいのだ。

 そして表層的な友愛論者はこういう。「貧しい家庭に広範囲に経済支援や福祉をもっと手厚く充実させなければ、経済格差が教育格差となり、世代間の貧困の連鎖に拍車がかかる!」と。確かに経済格差は子供にとっては不公平であり、世代間の格差の連鎖を加速する要素ではある。しかし、実はもっと不公平で残酷な問題がある。それは経済格差よりも、異次元的にどうしようもない、埋めようがない残酷な格差。それは生まれつきの「知力の格差」である。

 東大生の親の平均世帯収入が多いのは、本当は東大生の親の「知力」が高いからだ。知力の高い人が社会で成功して、似たような知力の高い相手と結婚し、その世帯が高い知力もおかげで平均よりも稼いでいるに過ぎない。その子供も親の遺伝子のおかげで知力が高く生まれる可能性が高いということだ。高収入によって後天的に恵まれた教育環境がその子供にとってプラスなのは間違いないが、それは副次的であって本質的ではない。生まれつきがどんなにボンクラでも、最高の家庭教師が教えれば東大に入れる訳ではないことを考えれば理解できるだろう。むしろ本当に頭が良ければ、これだけの奨学金のオプションもある社会では、苦学をすれば国立大学には入れるし、卒業もできる。現にそういう人はたくさんいる。経済格差は、原因ではなく、知力の格差がもたらした結果に過ぎない。


 橘玲さんかと思った……

 もともと「身内向け」に書かれたものとはいえ、ここまで「選民感」に満ち溢れた文章を読むと、USJのことまで嫌いになりそうです(ちなみに、著者はもうUSJを退職しています)。
 ただし、著者はものすごく頭が切れ、創造的な仕事をすることに向いている一方で、他者とのコミュニケーションでうまくいかないことが多かった、とも告白しているのです。
 

 私は20代の半ばに自分自身をブランド化することを思いついた。最初から不安や緊張を解消する目的で始めたわけではない。社交性に欠ける自分が、周囲から市民権を得やすくするために始めたのだ。

 君もよくわかっているとおり、世間の常識から見ると私はかなりの”変人”である。世間と折り合いをつけるのは子供のときから難しかった。自分が良いと思うことをやればやるほど、世間と衝突し、世界は私に罰を与え続けた。私のポジティブな意図が周囲にはなかなか理解されない、そういう星に生まれついている。私は空気を読むのも得意ではない。珍しく空気が読めていたとしても、その空気に従うことはもっと苦手だ。

 P&Gの14年間で、最後の上司から言われた最大の改善点は、最初の上司から言われたものと全く同じ「人と仲良くすること」であり、それは小学校の担任が通信簿に書いたことと全く同じだった。「人と仲良くすること」は私の人生の目標にはなりえないので仕方がない。私の母親は幼少期の私を「非常識!」と非難したし、小学校から私を知っている君の母親も「もう、昔からずっと社会性がない!」と昨晩も私を非難した。もはやつける薬はない。

 そんな私がP&Gでの忙しい日々、多くの人を巻き込みながら働く中で苦労したのは想像に難くないだろう。相手に好かれるために、あるいは自分の評価を高めるために、誰と話すにも相手に気を遣って向き合って、自分をカスタマイズして見せることはとても難しかった。その弱点が随所に自分のキャリアに災いすることを頭ではわかっていたが、人に合わせることがもともと苦手なので、そういう努力に時間や精神力を割くことは非常に面倒に感じて苦痛だった。どれだけ私が気を遣って努力しようが、どうせ上手くはならない。それがイノシシの習性であり、同時に良さでもあるから難しいのだ。結局は、私は目的のために遠慮なく人と衝突することを選ぶだろう……。


 この本を「生存者バイアス」や「成功者の自慢」と受け取るか、「コミュニケーションに問題を抱えた人間が、自分にとって生きやすい場所をつくるための試行錯誤」と考えるかで、大きな違いが生まれてくるはずです。

 前半部は「自分の強みを活かしてキャリアを形成していくためのノウハウ」が書かれていて、「それなりに役には立ちそうだけれど、そんなに目新しいものではないな」と思いながら読んでいたのです。
 
 ところが、後半、著者が自らの仕事での「うまくいかなかった体験」について語り始めると、様相は一気に変わります。
 能力は有り余っていて、仕事で成果も出しているのだけれど、周囲とうまくいかない、というなかで、著者は「どう考えてもうまくいかない仕事」の責任者を押し付けられたり、「抜擢」されたはずの海外の本社でイジメのような扱いを受けたりしていくのです。

 最初に就職した会社P&Gに入ってから2年目の夏、私は物理的に電話が取れなくなってしまった。情けないことに、文字通り電話が取れないのだ。電話が鳴るとドキドキして、頭が真っ白の思考停止状態になって、汗が出て、電話を取ろうとした手が止まる。頭では受話器を取ろうとしているのに、手が、なぜかそれ以上は動かない。心療内科の御世話にこそならなかったが、今考えるとあの頃の私は半分病んでいたのかもしれない。


 スーパービジネスマンのようにみえる著者にも、さまざまな挫折があり、分岐点があったのです。
 もし、「自分はいま、苦しくてたまらない」ということを、当時の上司に言葉にして訴えることができなかったら、著者のキャリアは終わっていたかもしれません。
 その上司は、朝から晩までずっと会社で仕事をしていて、休日にもあれこれ仕事の話を電話してくるような人だったそうなのですが、著者の「あなたのやり方には、もうついていけません」という訴えに「君も僕と同じタイプなのだと思っていたよ」と意外な顔をして、その後は、著者への仕事の振り方も変えてくれたそうです。
 相手に「悪気」はなかったのです。
 僕は著者と同世代なのですが、人というのは「言わなければ伝わらない」ことがたくさんあるし、「自分にとっては大きな問題でも、相手にとっては些細なことでしかなく、それで評価が下がったり嫌ったりすることもない」事例も少なからず経験してきました。
 できないことを我慢してやって、突然辞めたり、行方不明になってしまうよりは、SOSを出したほうがいい。

 その一方で、著者が海外で体験した「厳しい洗礼」の話には、「これに耐えられた著者はすごかったけれど、『賭け』だよなあ……」と考え込んでしまったんですよ。

 著者は、あるブランドの立ち上げでの失敗から、「結果を出せなければ、誰も守ってくれないし、誰も守ることはできない」と悟った、と述べています。

 ならばリーダーとして成さねばならないことは何か? それは、誰に嫌われようが、鬼と呼ばれようが、恨まれようが、何としても集団に結果を出させることである。自分の周囲の仕事のレベルを引き上げて、成功する確率を上げることに、達すべきラインを踏み越えることに、一切の妥協を許さない。そういう厳しい人にならねばならないということだ。

 私は、ナイスな人であろうとすることをやめた。森岡さんってどんな人? と聞かれた部下や周辺の人が、もうどれだけ罵詈雑言を述べたってかまわない。ただ一言、「結果は出す人よ」と言われるようになりたい。人格の素晴らしさで人を惹きつける人徳者である必要もない。ただ「ついて行くと良いことがありそう」と思ってもらえる存在であれば良い。結果さえ出せば、彼らの評価を上げることができるし、彼らの昇進のチャンスも獲得できるし、給与もボーナスも上げることができるのだから。大切な人たちを守ることができるのだ!


 いろんな上司の下で働いてきた僕は、この言葉に、何人かの上司のことを思い出しました。
 厳しい人で、そこまでしてノルマを達成しようとするのか、と反感を抱いたこともあったけれど、組織として成果をあげていたことで、たしかに我々は尊重されていたし、僕もキャリアの途中で、自分のネジを巻きなおすことができた、と今では感謝しています。
 「成果主義」というのは、「ブラック労働」の温床になりやすいのも事実だし、東芝みたいに、会計不正につながることもあるのですが……
 
 著者の「苦しかったときの話」には、さまざまなことを考えさせられます。
 最近は「苦しかったら逃げろ!」と言ってくれる人も増えたけれど、逃げなければ、越えられる壁だってあるはずなのだよなあ。
 それが「自分に越えられる壁」なのかどうか判断するのが、いちばん難しいことなのでしょう。


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