琥珀色の戯言

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【読書感想】平成の終焉: 退位と天皇・皇后 ☆☆☆☆

内容紹介
平成とは天皇制の新たなスタイルが確立された時代だった。日本中をくまなく訪ね歩き、自らの思いを国民に直接語りかけてきた天皇明仁と皇后美智子。二人が生み出した「平成流」は退位後も受け継がれていくのか。皇太子(妃)時代からの足跡を丹念にたどり、「象徴」と国民との奇妙な政治的関係性を問い直す。


 まもなく、「平成」が終わり、「令和」の時代となります。
 思い返してみると、僕が子どもだった昭和40年代から50年代というのは、「天皇という存在は日本に必要なのか?」という疑問を持っていた人が少なからずいたのです。
 正直、僕も「生まれたときから身分が決まっていて、年間何千万円も税金をつかっておいしいものを食べている人たちが、なぜいるんだろう、不平等じゃない?」と子供心に考えていたんですよね。
 昭和天皇には、太平洋戦争での戦争責任という問題があったのと同時に、太平洋戦争から敗戦。高度成長期という日本の劇的な時代をともにしてきた、という愛憎入り乱れた思いを多くの人が持っていたのです。
 でも、今上天皇(もうすぐ上皇になられますが)には、そういう「物語」がなかった。
 「平成」がはじまったときには、そんな天皇が存在感をみせることができるのだろうか、と僕は思っていました。

 ところが、この30年あまりで、天皇や皇室への好感度は、昭和の時代よりもずっと上がったように感じます。というか、「反感を抱く理由がなくなった」と言うべきなのかもしれません。

 著者は、昭和時代の皇太子だった頃の今上天皇と美智子妃殿下の公務での様子や考え方から、この平成の時代を過ごしてきた天皇・皇后としてのおふたりのスタイル、そして、「生前退位」という選択について、丹念にたどりながら、「平成の天皇・皇后像」を語っています。
 僕は昭和と平成の時代しか生きていないけれど、同じ「天皇」であっても、昭和天皇今上天皇が追い求めた「理想の天皇像」は違っていたし、次の天皇もまた、異なるスタイルで職務を全うしようとするはずです。
 別の人間だから、それは当然のことであり、いまの「大多数の国民に敬愛される皇室」というのは、伝統的なものではなく、今上天皇美智子皇后によってつくられてきたものなのだから。
 逆にいえば、「国民から愛されない皇室」が、今後、出現してくる可能性も十分あるんですよね。

 ここで分析の対象となるのは、「おことば」で強調された「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅」です。明仁、美智子夫妻は、1959年(昭和34)年4月に結婚してから、1989年1月に天皇、皇后となり、2019年4月に退位するまでの60年間、ほぼ一貫して二人で全国各地を訪ね歩き、「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」を続けてきました。皇太子(妃)時代にすでに全都道府県を一巡し、天皇、皇后時代に皇后が一回しか訪れることができなかった香川県を除いて二巡しています。香川県には皇太子(妃)時代に三回訪れていますから、どの都道府県にも少なくとも三回は二人で足を運んでいることになります。
「平成」の最大の特徴は、天皇と皇后が常に行動をともにすることにあります。天皇明仁は在位最後となる2018年12月23日の誕生日に際して、「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」(宮内庁ホームページ)と述べています。この「旅」はもちろん人生全般を指していますが、文字通り旅そのものを指していると見ることもできます。


 たしかに、天皇と皇后が常に行動をともにしていたのが「平成」の皇室像なんですよね。
 そして、これほどまでに全国くまなく訪れ(世界中への慰霊の旅も含めて)、大きな災害の被災地にも積極的に訪問をつづけたという、両陛下の「献身」が、人々の心を動かし、皇室への敬愛を育てた、とも言えそうです。
 血筋での「偉さ」だけでなく、「自分たちにはできない、立派なことを愚痴ひとつこぼさずに続けている」のだから、応援せずにはいられなくなるのです。

 今回の「生前退位」について、僕自身は「ご高齢であるにもかかわらず、さまざまな行事をこなすのは身体的にもきついだろうし、皇太子が高齢になりすぎないうちに、天皇としての職務をつとめさせてあげたい、というお気持ちもあるのだろうな」と、抵抗なく受け止めました。というか、「いままで長い間おつかれさまでした」という気持ちなのです。
 
 しかしながら、この「生前退位」へのプロセスには問題があることも著者は指摘しています。

 2016年8月8日に天皇陛下の「おことば」ビデオメッセージで放送される前までは、国民にも、内閣にも、「天皇陛下もご高齢で大変だろうから、退位をおすすめしてはどうか」というムードはありませんでした。もちろん、国民が天皇という存在について、あれこれ言うのは、ましてや、退位とか譲位についてなど、おそれおおい、という考えが根強いのも事実でしょう。しかしながら、本当にこういう形でよかったのか、と著者は述べています。

 憲法学者のなかには、天皇本人が内閣の補佐と責任のもとで、天皇個人の人生のあり方にとって重大な問題である退位について制度改革を望み、その趣旨の発言をすることは、当事者にしか発言し得ない、やむにやまれぬ希望の表明として憲法上許容されるという説を唱えている学者もいます。天皇自身、2016年12月23日の誕生日に際しての記者会見で「内閣とも相談しながら表明しました」と述べていますし、秋篠宮もまた2016年11月30日の誕生日に際しての会見で、「内閣の了解も得てお気持ちを表されるということに至ったと私は理解しております」と述べています。
 しかし、NHKのスクープ翌日に当たる7月14日の記者会見で、官房長官菅義偉は「(退位の意向は)全く承知していない」と言い切っています。天皇秋篠宮の発言はあくまでも事後的な解釈であり、実際には内閣の了承が事前に十分あったとは言えません。そうではなく、結果として天皇が2016年8月8日にテレビに出演し、国民に向かって直接「おことば」を発表することで、露骨に政治を動かしたのです。このことを許してしまった政府の責任もまた問われなければなりません。
 法整備へと至った「現下の状況」について記す「特例法」の第一条には、「おことば」に対する言及がありません。『(天皇陛下が)83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること」とあるように、あたかも国民が、「天皇陛下のお気持ち」をはじめからわかっていたかのような条文になっています。
 ここには一つのまやかしがあります。「おことば」がきっかけとなって「特例法」がつくられたことは明らかだからです。
 本来、天皇を規定するはずの法が、退位したいという天皇の「お気持ち」の表明をきっかけとして新たに作られたり改正されたりすると、論理的には法の上に天皇が立つことになってしまいます。天皇が、個人の都合で専制的な権力をもつことになるわけです。大日本帝国憲法によって天皇大権を与えられていた明治、大正、昭和の各天皇のときも、こんなことはありませんでした。
 退位をめぐる政府の有識者会議で座長代理を務めた御厨貴も、「政治的課題である退位という問題をご自身がおっしゃるのは、憲法の土俵から足が出た疑いが強い」と話しています(『朝日新聞』2018年8月9日)。天皇退位への道筋を定めた当事者の発言であるだけに、きわめて重いと思います。


 感情としては、陛下も御高齢で、お疲れでもあろうから、と「共感」し、退位を支持せずにはいられないのですが、理屈からいうと、自ら「退位したい」と発言して、「お気持ち」で法を変えるのは、「天皇の政治介入」であることも事実なんですよね。
 天皇の退位というのは、少なくとも「天皇家だけの問題ではない」はずなのに、人々の陛下への敬愛の念が強いあまりに、「お言葉」が大きな政治的な効果を生み出してしまう、という皮肉な状況になっているのです。
 「政治的な存在であること」を今上天皇は望んではおられないのかもしれませんが、「天皇のお気持ち」を錦の御旗にして、安倍政権を批判する人も少なくありません(正直、今上天皇は安倍首相に対して、あまり好感を抱いていないのでは、と僕は感じますが)。
 
 「令和」の皇室は、どうなっていくのか、後世、「平成」の皇室はどう評価されていくのか。
 そんなことを考えながら読みました。
 当たり前だと思っていた時代が、いちばん良い時代だった、と、あとから気づくことになるのだろうか。


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天皇のお言葉 明治・大正・昭和・平成 (幻冬舎新書)

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