琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ルールの世界史 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

【内容紹介】
ルールを知れば、ビジネスがわかる
歴史を知れば、ルールの見方が変わる!
われわれの仕事と生活にかかわる「ルール」の意外な秘密に迫る、
知的エンタテインメント!

争いを解決する。ゲームを面白くする。ビジネスを円滑に進める――
われわれの周りには、様々な「ルール」が存在する。
ルールは、誰かがそれを定め、運用していくことで変わり、時代にそぐわなくなると消える、というライフサイクルを経る。

本書は、そうしたルールの興亡の歴史を知ることで、その本質を理解し、いまのビジネスにどのように影響しているのかを読み解く
ビジネスエンタテインメント本である。

本書ではビジネスにおけるルールの役割を
「信用の維持」 「創造物の拡散とコントロール」 「ビジネスを広げるための、巻き込みと役割分担」 「企業を成長させるための育成と放任」の4つに分解し、それぞれについて各章で説明。
インターネット時代におけるルールの変質や、日本が得意でない「ルールメイキング」にどういうスタンスで臨めばいいのかについてもふれる。


 僕は長年、会議で、「ある仕事を進めていくうえで、みんなで相談してルールをつくろう!」みたいな話になるたびに、「めんどくさいなあ……よほど変なものじゃなければ、どうでもいいから、さっさと終わろうよ……」と思っていたのです。


 齋藤由多加さん(ゲームデザイナー、『シーマン』の作者)が、著書『ハンバーガーを待つ3分間の値段〜ゲームクリエーターの発想術〜』(幻冬舎)のなかで、こんなことを書かれていたのを読んで、まさに「目からうろこが落ちた」感じがしました。

 大手のゲーム会社を新作の契約を交わすときなどには、手始めにどちらか一社がまず草案を作ります。私の会社のような零細企業などの場合、法務担当者なんていませんから、たいてい大手企業側の法務部がサンプルを作り、それをもとにどこを直せ、いや譲れない、と押し問答の交渉が始まります。

 両者とも零細企業の場合は、どちらにも担当者がいないものだから、面倒さにまかせてついつい契約書は後回し、となってしまいがちです。それくらい面倒な仕事です。

 なのになぜか、大企業はこのたたき台づくりという面倒な仕事を進んでやってくれるのでありがたい、と思っていたのですが、その理由が最近になってやっとわかりました。彼らは、交渉の焦点がこの草案の修正にあることを知っているからです。

 受け取った側の私たちが「ここを直してください」「ここはちょっと合意できない」などと、徹底的に修正を入れたところで、ベースとなっているのは所詮相手の作った条項です。

 「○×社の契約書には徹底的に赤字を入れてやったのさ」と得意気に話している私は、まるで仏様の手の上であがいている孫悟空のようなものです。



この話は非常に印象的でした。
僕は「作られたルールにあれこれ言いたくなる」のですが、そこからやる気を出しても、その「叩き台」をつくった側の土俵で闘っているかぎり、相手の「想定内」なんですよね。
世の中というのは、めんどくさい、と多くの人が思うことが、力の源泉になりやすいのです。

スポーツ界でも、日本代表選手の水泳やスキーの複合競技が強くなると泳法や用具や競技のルールなどが変えられていきましたし、ホンダエンジンが圧倒的な強さをみせていたときのF1のレギュレーションもそうですよね。

競争で勝てないときには、そのルールの中で実力を磨く、というだけでなく、ルールそのものを自分たちに有利なように変えてしまう、という方法があるのは、知っておいたほうが良いと思います。


 この『ルールの世界史』という本は、主に経済の世界での「ルールの変化」を紹介しています。
 

 遊びというものは、人間だけでなく動物すべてに備わった本能といえます。
 オランダのヨハン・ホイジンガーという学者は「遊び」とは何かについて研究しました。ホイジンガ―は「すべての遊びがそれぞれのルールを持っている」と述べています。彼は、遊びのルール違反をすると遊びの世界は崩壊するとまでいいました。
 確かに、遊んでいるときにルールを無視する人がいると一気にしらけるという経験はあると思います。遊びとルールは不可分一体の存在といえるでしょう。
 では、なぜ遊びにはルールが必要なのでしょうか。
 これは遊びというものが、「条件」と「結果」という2つの要素からできあがっているからではないかと思います。
 たとえば、鬼ごっこという遊びは世界中にあります。最もよくある鬼ごっこでは、1人の鬼とその他の子に分かれて、鬼が子を追いかけます。鬼が子にタッチすると、タッチされた子が親を交代します。鬼ごっこの条件は「鬼が子をタッチする」で、その結果、「鬼の交代」が発生します。
 条件を達成することで新しい結果を生み出す。これが遊びの面白さなのだと思います。
 遊び自体は、人間特有のものではありません。動物も遊びをします。犬を飼っている人の多くは、ボールを投げて犬が取ってくるという遊びをしたことがあるでしょう。人と犬の間にもルールというものは発生するのです。


「特許制度」は1474年にヴェネツィアで生まれました。「ヴェネツィアにおいて新規にして独創的な機械を作り上げた者」に、10年間の独占権を認め、補助金などの優遇もされていたそうです。にもかかわらず、ヴェネツィア自体の衰退もあり、この特許制度はヨーロッパ全体に知られたものの、あまり利用されなかったのです(この本によると、年間1件程度の特許が認められていたとのことです)。

 その後、イギリスは、この特許制度を異なった形で運用していきます。

 他のヨーロッパ諸国と同様、イギリスも職人を招聘するために特許としての独占権を認めました。しかし、他の国の特許制度は産業振興策として補助金などを絡めた者であったのに対し、イギリスでは逆に特許権に手数料の支払いを要求しました。手数料の価格はいまの価値で数百万円から数千万円であり、しかもこれはイギリス王室の直接の収入となりました。
 第2章の信用ルールにおける東インド会社特許のときもそうでしたが、イギリス王室は今回もセコかったのです。
 この「セコさ」のおかげで、イギリスの特許制度は他国とは異なる方向へと進化します。
 当時の女王エリザベス1世は、特許権の収入をあてにするようになりました。特許会社に与えるのは海外の貿易独占権ですから、認める数も限りがあります。これに対し、特許権は対象自体に限りはないので、屁理屈をこねればいくらでも認められることになります。
 これによる特許制度は産業振興策ではなく王室の収益事業という性格が強くなりました。
 その結果、特許は濫発されるようになりました。ついには新技術とはまったく関係のないトランプカードの製造などに関する特許までが認められることとなります。

 特許権の取得には特許料の支払いが必要であったという要素も、特許を恩恵ではなく権利として確立させることに役だったといえます。
 裁判所は、審判員の立場として、公平性の観点から特許を付与すべきかを判断しました。判断材料としては、客観的なものが必要でっす。その結果、裁判所は特許の内容を書面に記載し、しかもしれを事前に公開することを求めていくようになりました。
 特許を公開するのは権利者にとっては大変なリスクを負うことになります。しかし、不思議なことに公開制度が確立されるようになると、特許の件数は増えていくのです。
 これは公開制度が持つ拡散力に秘訣があるのではないかと思います。発明をした人は、お金を稼ぎたいという気持ちは当然ありますが、それ以上に自分の発明を世に広めたいと思う気持ちのほうが強いのではないでしょうか。
 ヴェネツィアの特許には、独占権というコントロール力に加え、イギリスよりも手厚い保護がありました。それに対し、イギリスの特許は、高額の手数料を払わされ、特許の内容も事前に公開する必要がありました。それでも、特許制度が発達したのはイギリスだったのです。


 この本を読んでいると、歴史上、さまざまな国家が、経済的な発展を目指して、「ルール」を設定してきたことがわかります。
 このヴェネツィアとイギリスの特許制度に関しては、当時の両国の勢いの差はあったのですが、特許を取ることの恩恵が大きかったり、補助金が出たりするかわりに審査が厳格だったヴェネツィアよりも、王室が収入のために特許を濫発したイギリスで、制度は発達していったのです。
 発明を他者に公開したら、「盗まれる」のでは……と危惧するのは当然なのですが、「透明性がある」ことや「みんなに利用してもらう」ことが信頼性やモチベーションにつながる面もありました。

 真面目な人たちが、きちんと議論をしてつくったルールが、権力者や資本家の欲望を優先したルールに負ける、ということが歴史上少なくなかったのです。
 ルールを設定した側が、本来想定していたものとは違う形で社会に大きな影響を与えることも多々ありました。


 既存の権利者の保護を目的とした「ルール」は、経済や新しい事業の発展を妨げてきたのです。

 ターンパイク(イギリスの民間運営の有料道路)事業者の後押しにより、議会は有料道路を保護するため、自動車に対する規制を強化していきます。
 1861年には、自動車の最高速度は時速16キロ、市街地では8キロに制限されました。人の歩く速度は時速5キロくらいですから、自動車は市街地では小走りくらいの速度でしか走れないということになります。
 さらに、1865年には、「自動車を運行する際には赤い旗を掲げた人に約60メートル前を歩かせないといけない」という、とんでもない規制が課されました。
 自動車の前に人が歩いていたら、人の速度より速く走れるはずもありません。この法律に規定された「赤い旗」が印象的でしたので、人々は赤旗法と呼びました。
 この悪名高い赤旗法が1896年に完全に廃止されるようになるまでイギリスの自動車産業は停滞することになります。


 後世からみれば「バカバカしい」としか思えない、この「赤旗法」なのですが、当時のターンパイク事業者たちも、既得権益をなんとか守ろうとしたのでしょう。
 当時のターンパイクは、鉄道網の発達で収入が激減していた、という事情もあったのです。
 しかしながら、そのためにつくられたルールで、イギリスの自動車産業は長年の停滞を強いられることになりました。
 新しいルールをつくるときには、これまでのルールに則って生活してきた人が影響を受けることも考えなければなりません。
 印鑑を廃止すれば、これまで印鑑をつくってきた人たちは仕事を失ってしまいます。
規制緩和」で困る人も少なからずいるのです。

 著者は「ルールは絶対的なものではないし、ルールを変えることによって、社会を変えることができる」と述べています。

 ネットでは「それは違法だから」と他者を責める人をよく見かけるのですが、「いま適用されている法律だから」と「赤旗法」に疑問も持たずに守り抜くようなことは、バカバカしいと僕も思うのです。


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