- 作者:大川 慎太郎
- 発売日: 2020/12/16
- メディア: 新書
Kindle版もあります。
内容(「BOOK」データベースより)
天才たちの証言でわかった「奇跡の世代」の真実。なぜ、羽生世代の棋士たちはこれほど強く、長期間にわたって活躍できた(している)のだろう。それまでの棋士たちと何が違い、将棋界のどんなところを変えたのだろうか。そしてなぜ、1970年前後の生まれにこれだけの精鋭が集結したのだろう。将棋界にも豊作と呼ばれる年はある。だがこれほど突出した実績を残しているのは羽生世代だけだ。これは偶然の一言で片づけていいものなのだろうか。これらを解き明かそう、一歩でも核心に近づこうというのが、本書の目的である。
なぜ、羽生世代はこんなに強いのか?
著者は、1970年前後の生まれ、現在50歳前後の棋士たちを「羽生世代」として、彼らの世代が将棋界で突出した実績を残していることを紹介しています。
タイトルは現在8つあり(序列順に竜王、名人、王位、王座、棋王、叡王、王将、棋聖)、叡王は2017年度の第3期からタイトル戦に昇格した。つまり羽生世代の棋士たちは長らく七大タイトル戦を争ってきたことになる。
羽生世代の棋士がはじめてタイトル戦に出場したのは1989年の第2期竜王戦(19歳の羽生が最後に勝って、初タイトルを獲得した)。そして現状、最後に出場した2020年度の第33期竜王戦までで32年間となる。
この間、タイトル戦は225回行わているが、羽生世代の6人(著者は羽生善治、森内俊之、郷田真隆、佐藤康光、藤井猛、丸山忠久の6人の棋士を「羽生世代の中核」と定義しています)がまったく絡めなかった勝負は51回しかない。そして出場した174回のタイトル戦で羽生世代の棋士がほかの世代に勝てなかったのは、39回だけだ。全体の約8割のタイトル戦に出場し、そのうちの約8割を勝ってきたのだ。勝負の世界でこれはとんでもない数字である。目の上のたんこぶである先輩の存在、そして若き後輩の追い上げもあったが、それらをことごとくなぎ倒してきた。他の世代につけ入るスキはほとんどなく、先輩では谷川浩司、後輩では渡辺明(1984年生)が互角、時にはそれ以上に戦ったくらいだ。
タイトル獲得数は多い順に羽生が99期(歴代1位)、佐藤が13期(歴代7位)、森内が12期(歴代8位)、郷田が6期、藤井と丸山がそれぞれ3期である。225期のうちの99期を持っているのだから、言うまでもなく羽生の実績が突出してはいるが、それでも6人で計136期というのは凄まじい。
とにかく、羽生善治さんの実績は圧倒的なものではあるのですが、羽生さんの同世代の棋士たちも、これだけの活躍をしているのです。新しい棋士は、毎年誕生しているにもかかわらず、羽生世代は、先輩たちをあっさりと越え、後輩たちにとっては巨大な壁になり続けてきました。
この本のなかには、この6人を含め、彼らと争ってきた先輩・後輩のインタビューも収められているのですが、世代が異なるライバルたちは「あの世代」の凄さを語る一方で、羽生さんと同世代の棋士たちの多くは「自分たちは、羽生さんという特別な存在に引っ張られて、切磋琢磨してきたことが大きかった」と「羽生さんだけが突出していた」と述べているのです。
羽生さんがいたからこそ、「羽生世代」はこれほど圧倒的な結果を残すようになった、というのと、ひとりの棋士としては、羽生さんというあまりにも巨大な壁に阻まれ続け、タイトルになかなか手が届かなかった、という無念さと。
その羽生さんも、現在はすべてのタイトルを失い、タイトル通算100期を目の前にして、99期で足踏みしている状態となっています。各タイトルも、渡辺明名人(1984年生まれ)、豊島将之竜王(1990年生まれ)、そして、藤井聡太王位(2002年生まれ)と、羽生世代よりも10歳以上若い棋士たちが占めるようになりました。2020年の竜王戦では、羽生さんが豊島竜王に挑戦し、通算100期なるか、と話題になったのですが、豊島竜王が4対1で羽生さんの挑戦を退けています。
羽生世代は、まだまだ強いし、将棋界で活躍を続けているけれど、50歳前後になった彼らは、棋士としては全盛期を終えつつあるのも事実でしょう。
だからこそ、こうしてインタビューで「羽生世代とは」という問いに答えてくれるようになったのではないか、と著者は述べています。
1986~1990年に、当時10代後半だった羽生善治、森内俊之、佐藤康光というその後の将棋界の中心となる若手棋士たちを集め、伝説的な将棋の研究会「島研」を主催していた島朗さんは、こんな話をされています。
──先ほど、「暗くなる前には解散していた」とおっしゃっていましたが、夕食は一緒にとらなかったのですか?
島朗:そうですね。私は棋士同士で深く関わることが、あまり好きじゃないんです。自分の人生観がこれから王道を歩むであろう彼らに影響を与えるのも嫌だったし、派閥みたいに見られるのもよくないと思っていました。勝負のピュアな部分に余計なものを入れたくなかった。あくまで将棋の付き合いで、「緊張感がなくなったら解散しましょう」とみんなには言っていました。それは先輩である私が率先して心掛けなければいけないと思っていましたから、彼らがこのまま伸びていったらすごいことになるのはわかっていたので、才能を守りたいという意識もありました。世俗的なことにまみれて才能を空費してしまって、惜しい棋士生活を送らざるをえなかった棋士もたくさんいるんです。ただ羽生さんがタイトル通算獲得99期など、50歳を前にしても彼らの活躍がこれほど長く続くとはさすがに思っていませんでしたけどね。
将棋界では、相手を精神的に揺さぶる「番外戦」とか、「飲む打つ買う」が大好きな豪快な勝負師が愛される、みたいな風潮が長年あったのです。ところが、「島研」は、「とにかく将棋が強くなること」に特化し、「派閥づくり」や「先輩が後輩に遊びを教える」ようなことをやらなかったのです。まあ、「豪快な勝負師」も、魅力的ではあるんですけどね。スポーツ選手と同じで、競技が技術的に高度になればなるほど、夜遊びなどはせずに練習に打ち込み、自己管理ができる人が勝つようにある、ということなのでしょう。
ただ、島さんは、こんな話もされているのです。
──皆に聞いている質問なんですが、なぜ「羽生世代」にはこれだけすごい棋士が集まったのでしょうか。
島:羽生さんたちは最後の「精神世代」ですよね。いまはほとんど使われなくなった言葉ですけど、「気持ち」や「根性」を彼らは持っていました。羽生さんたちは勝負を合理的に追究していましたし、その流れが現在の将棋界をつくっています。ただ現在の論評では「合理性」の部分があまりに強調されすぎている気もします。実は羽生さんたちの将棋は、終盤で説明できないようなわけのわからない手が出て、そこが勝負を決めていたりしたんですよ。でも藤井聡太さんにはそういう手は少ない気がします。いまはソフトがあるから、指し手も全部数値化されてしまうでしょう。でも勝負を決めるのは数値じゃない。七冠時代、そしてそれ以降の羽生さんにはミステリアスな部分もあって、そこもすごく魅力的でした。
──なるほど、昔風の精神面と現代のデジタル的な部分の両方を併せ持つ唯一の世代ということですか。
島:そう、だから時代的な巡り合わせもあると思います。もちろん彼らの長くたゆみない精進が多くの部分を占めているにしても、ライバルの存在は大きいですし、「深く読む」という基本的姿勢が彼らの将棋をつくってきたことは間違いない。羽生さんが中心にいて、その周りを彩る人たちがいた。だから「恩寵」という言葉がふさわしいような気がしますね。いろいろなものが天から授けられた。そして、みな自分を厳しく律して棋士人生を全うしている。そうじゃないと、あれだけの人たちが揃う説明がつきません。
僕もまさに羽生さんと同世代なので、島さんが仰っておられることは、よくわかるような気がするのです。
僕たちの物心がついたときには、まだコンピュータは一般家庭に普及しているようなものではなく、精神性が重視されている社会だったのに、10代くらいから急速に「コンピュータと合理性の時代」に変わっていったんですよね。
だから、「精神性」と「コンピュータ的な合理性」を、よく言えば併せ持っているし、悪く言えば「どっちつかず」になってもいる。
それまでの父親の権威が強い「家族主義」から、個人主義への転換期でもあり、僕自身「自分が知っている家族像」と「自分が家族を持ったときに求められる家族観」のギャップに悩むことが多かったのです。
羽生世代の棋士たちは、序盤から、とにかく深く、徹底的に考え、これまでの定跡も疑う姿勢を持っていました。
それに対して、現代の棋士たちは「コンピュータの評価値が上がるような指し方」をしようとしている、と語っていた棋士もいたのです。
人間より将棋ソフトのほうが強いのがあたりまえの時代を生きてきた若手棋士たちにとっては、それは至極自然なふるまいなのでしょうけど。
あと、谷川浩司さんが、「絶対に忘れてはいけないこと」として仰った、こんな言葉がすごく印象的でした。
谷川浩司:羽生さんたちと同世代の村山聖さんの存在です。村山さんは重い病気を抱えながら命懸けで将棋を指し、1998年に29歳の若さで亡くなりました。羽生さんたちは村山さんと対戦し、身近でその姿を見てきました。健康で将棋が指せることの幸せをいちばん実感しているのがこの世代です。それが将棋に対する真摯な姿勢や、持ち時間を余さずに目一杯使うことなどにつながっているのではないでしょうか。
何か「正解」があるのか、さまざまな偶然が重なってなのかはわかりませんが、いろんな人が、それぞれの立場から「羽生世代とその将棋」を語っているのは、すごく興味深いものでした。読んでいて、羽生さん自身のインタビューがいちばん「面白くない」と思ったのは意外だったのですが、自分のことって、話しにくいのでしょうね、やっぱり。そのくらい、羽生さんと同じ時代を生きた棋士たちの「感慨」が溢れている本だと思います。