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【読書感想】中学生棋士 ☆☆☆

中学生棋士 (角川新書)

中学生棋士 (角川新書)


Kindle版もあります。

中学生棋士 (角川新書)

中学生棋士 (角川新書)

内容(「BOOK」データベースより)
日本全土がフィーバーに沸いた中学生棋士藤井聡太四段の登場と破竹の29連勝。中学生棋士はこれまで5人現れ、その全員がトップ棋士として活躍した。早熟な才能はいかにして生まれるのか。そしていかにして開花するのか。自らも「中学生棋士」だった著者がその謎に迫る。


 デビュー以来、公式戦29連勝で大きな話題となった、中学生棋士藤井聡太四段。
 中学生のうちにプロ棋士になった人は、これまで藤井四段を含めて5人しかいないのです。
 この新書では、そのなかのひとり、谷川浩司十七世名人が、中学生棋士という「早熟の才能」について、自らの経験を踏まえて語っています。
 そういえば、マンガ『月下の棋士』の滝川名人のモデルが、谷川十七世名人だったんだよなあ。
 『3月のライオン』の名人・宗谷冬司のモデルは羽生善治二冠(2017年9月15日現在)ですし、将棋界の頂点に立つ人というのは、マンガに出てきてもおかしくないくらい「キャラが立っている」「カリスマ性がある」とも言えるのかもしれませんね。

 将棋界の中でも、中学生でプロ棋士になったのは、藤井四段のほかは私と加藤一二三九段、羽生善治三冠(王位、王座、棋聖)、渡辺明竜王棋王の四人しかいない。藤井四段の未来は分からないが、彼以外の四人は私を含め全員、江戸時代からの伝統を持つ名人のタイトルか、将棋界最高位の竜王のタイトルを獲得、トッププロに例外なく上りつめている。
 将棋界では十代でプロ棋士になれば十分、将来有望とみられるが、中学生棋士のように例外なく、トップに上りつめているわけではない。
 これは単なる偶然だろうか。それとも「十五歳までにプロになった」という年齢と才能をめぐる普遍的な意味が隠されているのだろうか。


  谷川さんによると、高校生でプロ棋士になる例は多いけれど、彼らには「中学生のときに棋士になった4人(現時点では、藤井四段はまだ未知数なので)」と比べると、それ以降の年齢でプロになった人たちと実績に大きな差はない」と仰っています。
 一部の例外を除いては、26歳の誕生日までに四段になれなければ奨励会(プロ棋士養成機関)を退会しなければならないので、プロ棋士になれた人のほとんどは「若い」のですが、そんな天才集団のなかでも、「中学生のうちにプロになる」というのは、かなりの狭き門のようです。
 

 こういう「天才棋士」が生まれるのは、環境が大事、だと僕も思っていたのですが、必ずしも「将棋エリート」である必要はなさそうなんですよ。

 藤井聡太四段のご両親は、将棋に関してはルールを知っているぐらいの初級者だ。それも子どもが夢中になったので「ルールぐらいは」と覚えたという。
 私の両親もほぼ同じだった。母はルールも知らず、ルールだけは知っていた父も、ほとんど指すことはなかった。中学生で棋士になった五人のうちでは、羽生善治さんもそういう家庭に育った。
 渡辺明さんだけが例外で父がアマ強豪だったが、両親がまったく将棋に縁がなくても、強くなる子は強くなる。
 中学生で棋士になった者に共通することは、みんな幼いころに自ら将棋が好きになり、のめり込んだことだ。そして、子どもが夢中になったことを親が応援するという環境がほぼ共通してあった。
 藤井四段の場合は、母・裕子さんが、
「子どもには好きなことをやらせよう」
「子どもが何かに集中しているときは邪魔をしない」
 と決めていたという。


 結局のところ、自分から興味を持ってくれないものを、外部からの力で好きにさせて、その世界の頂点がみえるところまで持っていくというのは、難しいのでしょうね。
 親には「伸びていく才能の邪魔をしない」「その興味の対象に打ち込めるように、環境を整えてあげる」ことくらいしかできないのだよなあ。


 谷川さんは、「才能」についての、棋士たちの言葉を紹介しています。

 将棋界では棋士の才能について羽生善治三冠が次のように書いている。
「以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。直感でどういう手が浮かぶとか、ある手をぱっと切り捨てることができるとか、確かに個人の能力に差はある。しかし、そういうことより、継続できる情熱を持てる人のほうが、長い目で見ると伸びるのだ」(決断力)
 渡辺明竜王も次のように言い切っている。
「では、才能とは何か。/熱意こそ、才能である。/将棋で言えば、将棋の研究に時間をかけられる熱意こそ、才能である」(「勝負心」)
 私も二人の見解に同意する。
 才能をめぐる分析は多々あるが、結局、与えられた環境と、その環境の中で熱意をいかに長く維持できるかに、すべての成功の鍵はあるのだ。


 努力し続けられる情熱こそが「才能」だと、将棋界で頂点を極めた棋士たちは考えているのです。
 もちろん、情熱だけでは届かない領域はあるのでしょうけど、綺羅星のごとき才能が集まる場所で、そのなかで向上心を持ち続けられる人しか、生き残れない。


 「天才の家系」に生まれていなくても、早熟の天才たちには、ある共通点があることも谷川さんは指摘しています。

 私の場合も、いくつか偶然の幸運があった。その中でも最大の幸運は、将棋を覚えて熱中したのが五歳と早かったことだ。
 中学生棋士たちの話によれば、将棋を覚えたのは藤井聡太四段も五歳。羽生善治三冠と渡辺明竜王が六歳だ。小学校一年生までに、みな将棋と出会い、熱中し始めている。
 スポーツの世界にもスタート年齢が重要な競技はある。
 卓球は、福原愛さんの幼い頃の姿で知られているように、始めるのが早ければ早いほどよく、どんなに遅くても十歳ぐらいまでに始めないとトップアスリートにはなれないといわれる。フィギュアスケートも同様で、浅田真央さんは五歳から始めている。やはり十歳ぐらいまでに始めないと世界的な選手への道は開けないようだ。
 音楽の世界では、ピアノは三歳までに始めるべきで、世界的演奏家になるためには五歳ではすでに遅いとさえいわれる。


 幼い頃からやってきたほうが有利な競技、というのは、あるんですよね。
 谷川さん自身も、他の「中学生棋士」たちも、プロ棋士を目指してはじめたわけではなさそうなのですが、「触れたのが早かった」ことが、大きなアドバンテージになったのではないか、と考えておられるようです。
 こういうのを読むと、親が「そろそろ習い事でも……」なんて思う時期にはすでに「プロになるのは手遅れ」のジャンルが多いし、そもそも、親に言われてやるようなもので頂点を目指すのは難しいということがわかります。
 「天才」は、親の力で作れるものじゃない。


 この本のなかで興味深かったのは、谷川さんが、自らの対戦経験も踏まえて、「中学生棋士」たちについて語っているところでした。
 なかでも、羽生さんについてのこんな話からは、「人間が指す将棋の面白さ」が伝わってきます。

 私も羽生さんとの対局が続いたころは「何をやってくるか分からないので、事前に研究をしてもあまり意味がない」と思ったことがある。それでも、毎週のように対局していたころは「彼は今、こういう戦法を指してみたいんだな」といった様子はよく分かった。
 将棋を指すということで、時には会話をする以上に、相手のことがよく分かる。最近の羽生さんは最新形だけでなく、昔流行った戦法をもう一度見つめ直すこともしている。そういうことも棋譜を見ていればわかる。
 では、羽生さんの弱点はどこにあるか。これは私にとっては「企業秘密」で、詳しくは書けないことでもあるが「こちらの誘いに乗ってくれる」というところはある。
 プロ棋士の中には、相手がよく研究していそうな戦法や局面に誘導されることを避ける人もいる。こちらが誘っても、全然乗ってきてくれない人もいる。それも戦術の一つだが、特に七冠を取ってからの羽生さんは、誘いに乗ってくれることが多くなった気がする。
 もちろん声には出さないが、指し手を通じての盤上でこんな会話をするのだ。
「羽生さん、今日はこういう将棋をやりましょう」
 と指し手で誘いかけると、
「谷川さんがそうおっしゃるなら、今日はそうしましょう」
 といった感じで柔軟に応じてくれるところがある。
 羽生さんの側からすると、相手が「こういう将棋をやりましょう」と戦法、戦術で誘いをかける以上、相手は当然研究なり準備なりをして臨むわけなので相手の土俵で戦う事になる。
 しかし、その研究を引き出し、披露してもらった上で勝負をすれば、勝ち負けにかかわらず得るものが大きいという考え方なのだろう。


 羽生さんや谷川さんは、目先の勝負だけでなく、自分自身の実力アップや「将棋の世界に新しい手筋を残すこと」を見据えて指している、ということなんでしょうね。
 いつか、コンピュータも、こういう意図をもって、コンピュータどうしで駒を通じて会話するようになるのだろうか?

 コンピュータのほうが、人間より強いとみんなが認めている時代に舞い降りた天才・藤井聡太
 彼の若さは、大きな可能性であり、武器であるのと同時に、「これから先、人間の棋士を引っ張っていくというのは、大変だろうな」なんて、思うところもあるのです。



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