琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】早稲田古本劇場 ☆☆☆☆☆

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくおねがいいたします。



今日も、百円の本を売って、日々の糧に変えていく──
古本屋二代目店主の2010年8月から2021年12月の日々。

「閉店後、シャッターを下ろした店内で仕事をしている。軽い孤独感に包まれて、本に値段をつけている。今年も、その繰り返しを地道にやっていくしかないのだ。」(本文より)


 早稲田大学の近くの古本屋さんの11年間の日々。
 僕は東京にはときどき観光や仕事で行くことがあるくらいで、土地勘は全くないのです。
 それでも、ここで綴られている日記を読みながら、「ひとつの場所で商売をする」というのはこんな感じなのか、と思いましたし、古本屋を含め、書店経営って、こんなに大変なものなのか、と驚かされました。
 著者はこうして本を出せるくらいには知られている人で、かなり大量の本の買取依頼もあるのに、金銭的にはかなり厳しい状況にあることが繰り返し綴られています。ネタじゃないか、と言いたいところですが、10年以上の日記を読んでいると、妬まれないためのフェイクとは考えづらい。

 僕も、いつか本屋さんとか、やってみたいなあ、と憧れていたのですが、本が好き、というだけでは続けられない仕事だというのも理解できました。
 すごいというか、とんでもないお客さんも多くて(土地柄、みたいなものもあるかもしれませんが)、「人あしらいの能力」がかなり求められるのだな、と。
 

 2012年1月某日の日記より。

 白髪の、大柄な60代と思われる男性が来店。腕を組み、眉間に皺を寄せながら、たまに本を抜き出して積んでいく。三千円前後の本が多く、もし全部お買い上げということになれば、かなりの売上である。やや興奮気味に、鼻の穴を広げながら待つ。
 鼻孔を広げているのに息苦しくなってきた頃、男性は無言で6冊の本を片手でひょいと持ち上げレジへ持ってきた。こちらも冷静に受け取り金額をチェックする。1万4000円となった。告げると、やや大げさにズボンのポケットをまさぐり、「あれ?」と連呼しながら、何かの生物のように布の内側の手を動かしている。しばらくして手が再び姿を現すと、男性は「あれ? 財布忘れたかな」といい、しばらくするとパンっと手を打った。
「あっ、これ」
 後ろポケットから出てきたのは、その辺の駐車場とかに落ちていそうな石。
「これね、ヨーロッパだと3万円ぐらいする品物なのよ。差額分はいいから、これとの交換どうかねぇ」
 やだよ、ただの石だもん、それ!


 僕は店を経営する側になったことがないので、この本の最初のほうでは「世の中には、変なというか、こんな見えすいた詐欺をやるお客(と言っていいのかどうか……)もいるんだなあ、長年店をやっていると、こういうこともあるのか、と思ったのです。

 ところが、読み進めていくと、この手の「コントか?」と言いたくなるような、迷惑な客(?)が次から次へと登場してくるのです。
 「ハルキ・ムラカミ」とカタカナで書いてある「貴重なサイン本」が持ち込まれたり、若い男性が「ものすごい昔の本」として持ち込んできたのが、鈴木健二さんの大ベストセラー『気くばりのすすめ』だったり。後者に対しては、著者も「若い人からすれば、1980年代はもう30年前なんだな」と感慨深いものがあったそうですが。
 僕は著者と同じくらいの年齢なので、「そうだよなあ」と共感せずにはいられませんでした。

 店をやっていると、基本的に、店に入ってくる人を入り口で選別したり、怪しいと思っていても、そう簡単には邪険にしたりはできないのです。
 でも、早稲田界隈って、個性的というか、変わった人が多すぎるのではなかろうか。
 古本屋、という商売がそういう人たちを引き寄せてしまうのか、早稲田という大学の影響なのか。
 あるいは、個人で店をやっている人たちは、多かれ少なかれ、こういう「個性的すぎる客」に日々遭遇しているのだろうか。

 それで大儲けできるのであれば、割り切ってやれるのかもしれないけれど、「100円の本の売り上げの積み重ね」で、なんとかやりくりしている、という日々も多いのです。
 本が好きだし、本が好きな人が好きでも、商売としては厳しい。
 なかなか売れるものではないし、個性的な訪問客は多いし、本は重くてかさばり、かなりの力仕事です。何百冊、何千冊という「出張買い取り」となれば、運ぶだけでなく、個々の本の「値付け」をするのも大仕事になってしまいます。

 先日、ある早稲田の古本屋に頼まれごとをされた。
 古本屋が一軒店売りをやめるのだが、出るなら壁につけてある本棚を壊さなければいけない。誰か居抜きで古本屋をやる人がいないか、ツイッターで募集してくれないかとのこと。大家さんともある程度話はついているというので、協力することに。家賃と広さ、詳細は問い合わせをという形で流した。
 そうしたらこれがものすごく拡散されてしまい、自分にまったく関係ないことなのに問い合わせがやたら多く、大変なことに。頼んできた古本屋はツイッターをやっていないので、まずは自分が受けざるを得ないのであった。
 これだけ本の業界の不況が言われているというのに、やりたい人が多いのもまた不思議な話なのだが、二日間ぐらいかけて数万人が見たようだった。
 しかしながら、問い合わせはあまり現実的なものがなく、「仕入」という概念がまったくなく、家賃以外の経費はかからないという前提の人までいる始末。挙句の果てには、全て本は準備してもらえてアドバイスなどを受けながらやれると思っている人まで、人の夢の形のあやふやさを実感している。ここまで来たら、なんとか決まってほしいものだが。

 昨夜、友人主催の飲み会にて、20代の女の子に職業を訊かれたので「古本屋」と答えると、「えーっ、じゃあ将来は何やるんですかぁー」と訊かれた。正直、いろいろと怖くなった……。


 「本が好き」くらいであれば、仕事にはせずに、買うほう、読むほうに専念しておいたほうが幸せというか、本を嫌いにならずに済むのではなかろうか。
 そんなことも思い知らされるのです。

 僕が子どもの頃、「この店、お客さんがいる気配がいつもないのに、なんでずっと営業していられるのだろう?」と疑問だった個人商店も、それぞれ、いろんな事情や商いのルートを持っていて、なんとかやってきたのだろうなあ。
 これだけ電子書籍Amazonなどのネット通販があたりまえのものになっている時代に「店舗で古本を売る」というのは、いつまで続けられる商売なのか、とも思うのです。
 著者は、店で売るだけではなく、ネットでの販売も積極的に行っているようなのですが、商品を発送するため郵便局に行くと、そこでまた「個性的すぎる人々」に出くわしてしまうのです。

 東京の郵便局って、外国から来ている人が多いこともあり、窓口の人も対応に困るような事態がこんなに起こっているのか……

 朝起きたら、スマホの電源が入らない。あわてて開店前にドコモショップへ。椅子に座って順番待ちをしていると、受付におばさまがやってきた。「今日はどうされましたか?」「あのね、LINEの返事が来ないのよ。既読にはなってるんだけれども」。それはここでは解決しないですよ!


 そんなこと、店の窓口で「相談」する?っていう人のエピソードが満載されすぎていて、「これは本当に、僕が住んでいる日本で起こっていることなのか?」と言いたくなってきます。

 もちろん、ネガティブな話ばかりではなくて、ずっと本を扱う仕事をしていると、さまざまな人脈が広がっていって、思いがけない出会いがあったことも書かれています。
 そんなに儲かるわけではないし、ほとんどは地味な日常で煩わしいことも多そうだけれど、「地元に密着した個人店の商売」というのはこういうものみたいです。
 華やかな「起業」や「没落」の話はネットでもよく見かけるけれど、こういう「なんかやりくりしている個人店の日常」の記録は、ものすごく貴重でもあり、僕自身が慌ただしさを感じていたタイミングで読むと、なんだかとても心が落ち着いたのです。
 著者は、決して「心穏やかに日々過ごしている聖人」ではないみたいですが、だからこそ、時々困ったお客さんの話に笑ったりしながら、淡々と読み進めていって、自分の気持ちをリセットできる日記なんですよね。


「古本屋」という仕事に興味がある人や「個人の日記好き」には、ぜひおすすめしたい本です。
 それにしても、東京の古本屋さんや郵便局って、本当にこんな「奇人の巣窟」なの?


fujipon.hatenablog.com

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