琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

1976年のアントニオ猪木 ☆☆☆☆

1976年のアントニオ猪木

1976年のアントニオ猪木

猪木はリングに寝て、アリは立つ。1976年の異種格闘技戦を当時のマスメディアは「世紀の大凡戦」とこきおろした。が、21世紀に生きる私たちは、現在の総合格闘技の試合の流れのなかでごく普通にそうした状態を見ることができる。打撃系の選手と組み技系の選手が戦う必然として―。1976年に猪木が戦った異常とも言える四つの試合。世界各地に試合の当事者を訪ね歩くことで見えた猪木の開けた「巨大なパンドラの箱」。

<目次>
第1章 馬場を超えろ―1976年以前
第2章 ヘーシンクになれなかった男―ウィリエム・ルスカ
第3章 アリはプロレスに誘惑される
第4章 リアルファイト―モハメッド・アリ戦
第5章 大邱の惨劇―パクソンナン戦
第6章 伝説の一族―アクラム・ペールワン
第7章 プロレスの時代の終わり
終章 そして総合格闘技

 僕は「1976年のアントニオ猪木」をリアルタイムでは観ていないわけですが、1970年代後半から1980年代前半に「プロレス少年」のひとりだった人間としては、この本はとても興味深いものであるのと同時に、正直「読まないほうが良かったかな」と後悔させられるものではありました。
 「プロレスにはシナリオがある」というのは、当事者の高田延彦さんやミスター高橋さんがすでに「暴露」している話ではあるのですが、そんな「真実」なんかより、あのブルーザー・ブロディに片腕が使えない状態で立ち向かっていったアントニオ猪木の姿のほうに、僕はロマンを感じてしまうのです。そりゃあね、本当の殺し合いでジャーマン・スープレックスなんて使われるわけないですし、ブロディと片腕でリアルファイトすれば死ぬんじゃないかと思いますけど、「暗黙のルールのなかでの真剣勝負」というくらいの「夢」は残されていてもいいんじゃないかなあ、と。
 僕がこの本を一気に読んでしまいながらもいまひとつ乗り切れなかった理由は、この本の著者の柳澤健さんの「プロレスへの愛情」があまり伝わってこない、ということでした。柳澤さんにとっては、プロレスは、猪木は「商売になりそうなテーマ」でしかないような感じなんですよね。だからこそ、この本は単純な「暴露本」ではないし、冷静な視点からの「ノンフィクション」ではあるのですけど、やっぱり「プロレスって、そんなもんじゃないだろ…」と僕はしらけてしまうのです。
 関係者への取材も、「今は猪木と袂を分かっている人々」が主ですし。プロレスに、そしてアントニオ猪木に対して、「あれはフィクションじゃないか、と思いつつも、そのフィクションに楽しく騙されていて、『リアルファイト』への幻想を捨て切れなかった多くのプロレスファン」にとっては、「あんな『裏切り者』たちの話ばかりを『真実』としてもてはやすのは不公平なんじゃない?」とも感じるんですよね。

 それでも、この本にはプロレスファン、猪木ファンだった僕にも興味深いところはたくさんありました。

 アントニオ猪木は天才である。その気になれば相手が誰だろうが熱戦を作り上げることができる。
「猪木ならばホウキと戦っても観客を沸かせることができるだろう」とはゴッチ門下で兄弟子にあたるヒロ・マツダの評だ。
 しかし天才は気まぐれである。常に100%の力を出すことはできない。猪木のテンションが下がれば、試合のヴォルテージは急落する。
 猪木が飽きれば、そのレスラーはもう使わない。猪木の歴史は対戦相手を使い捨ててきた歴史でもある。

タイガー・ジェット・シンの「新宿伊勢丹前襲撃事件」の「効果」について)

 この事件の結果、タイガー・ジェット・シンはいつどこで何をするかわからない狂気のレスラーとして大いに名を売り、猪木は「リング上でシンに制裁を加える」と宣言した。
 11月16日の札幌中島体育センターは超満員の観客で埋め尽くされ、かつてないほどの興奮を呼び起こした。
 全国各地のプロモーターたちがタイガー・ジェット・シンの出場を切望し、新日本プロレスの興行スケジュールはたちまちのうちに埋まった。
 興奮したのは観客席にいた人々だけではなかった。タイガー・ジェット・シンが登場した「ワールド・プロレスリング」の放送が終わると、NET(テレビ朝日)スポーツ局の電話は完全に麻痺した。興奮したファンがシンの悪行に抗議するために次々と電話をかけてきたのだ。NETの視聴率はみるみる上がり、放送枠も水曜9時から金曜8時に格上げされた。金曜8時はかつて「三菱ダイアモンドアワー・日本プロレス中継」が放送されていた由緒ある時間帯だった。

 この本には、「最高のプロレスアーティスト」としてのアントニオ猪木のすごさや、プロレスを「創造している存在」は、ベビーフェイスではなくて実は「ヒール」のほうなのだ、ということも書かれていて、「プロレスファンだった人間」にとっては、素直に「そうだったのか……」と感心してしまうところもたくさんあるのです。なんであんな酷いヤツを呼ぶんだ!と憤っていたタイガー・ジェット・シンは、経営側からすれば「客を呼べる救世主」だったんだよなあ……

 ただ、子供の頃にプロレスファン、猪木ファンだった僕にとっては、「ディズニーランドでミッキーマウスの着ぐるみの人が頭だけ外してタバコを吸っているのを見てしまったような寂しさ」を感じる本ではあるんですよね。もちろん、ディズニーランドで「そんなことはあってはならない」のですが。
 むしろ、「プロレスラー・アントニオ猪木」に思い入れがない現代の総合格闘技ファンたちが、「総合格闘技のルーツ」を知る上で読んでおくべき本なのかもしれません。

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