琥珀色の戯言

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300(スリーハンドレッド) ☆☆☆☆

『300』公式サイト

シン・シティ』でも知られるフランク・ミラーのグラフィック・ノベルを基に、スパルタの兵士300人がペルシアの巨大軍と戦う姿を描いたアクション超大作。監督は『ドーン・オブ・ザ・デッド』のザック・スナイダー。屈強なスパルタの王レオニダスを『オペラ座の怪人』のジェラルド・バトラーが演じる。色彩のバランスを操作し、独特の質感になるよう画像処理を施した斬新な映像美とともに、屈強な男たちの肉体美も見どころとなっている。

紀元前480年、スパルタ王レオニダス(ジェラルド・バトラー)は、ペルシアの大王クセルクセス(ロドリゴ・サントロ)から服従の証を立てるよう迫られる。そこで、レオニダス王が取った選択肢は一つ。ペルシアからの使者を葬り去り、わずか300人の精鋭たちとともにペルシアの大群に立ち向かうことだった。 (シネマトゥデイ

この映画、『戦争映画』『残酷描写』『マッチョ』『歴史モノ』『アメリカの正義』、これらの言葉のいずれかがNGな人には、絶対に不向きです。というか、こんなにストライクゾーンが狭そうな映画がなんで世界中で大ヒットしたのか正直謎。

3000人対1000,000人、真っ向勝負!

って、ホットゲート(テルモピレー渓谷)の隘路を利用して戦っている時点で、「真っ向勝負」とはちょっと違うのではないか、と思わなくもないんですけど、そんなことはさておき、これは本当に思い切った映画だなあ、と感じました。
文学賞選考委員のW先生なら、間違いなく「人間が描けていない!」って怒りそうです。
そもそも、スパルタは何のためにペルシアと戦うのか、作中では「自由のため」と連呼されていますが、現代の日本人が使う「自由」と英語の"FREEDOM"っていうのは、別の意味の言葉なのかもしれないな、と僕は思いました。現代に生きる日本人である僕にとっての「自由」っていうのは、「好きなことができる」ことであり、スパルタという都市国家の「法と名誉を守るためなら命を捨てて国に殉じる」というのは、まさに「不自由」極まりないもののような気がするんですよね。
でも、彼らにとっての「自由」というのは、「何者にも従属していない」ということであり、彼らはその「自由」のために死をかけて戦うのです。

僕はこのスパルタ王レオニダスの物語を高校のときの「世界史資料集」ではじめて読んだのですが、この「テルモピレーの戦い」は、「旅人よ ラケダイモン(スパルタ)に行きて伝えよ 我ら命を守りてここに果てりと」という戦場に後世遺された碑銘とともに、ものすごく印象に残る話だったんですよね。数百万と号されたペルシャ軍(実際は、当時の補給能力からすれば、数百万の軍勢を動かすのは難しかったようですが)に対して、わずか300名で、他のギリシア諸都市が降伏あるいは日和見を決め込むなか、テルモピレーの要害で全滅するまで敢闘したスパルタ軍。はっきり言って、「負けるに決まっている戦い」です。そもそも、普通はこれだけ戦力差があれば「戦い」にもなりえません。こういうのって、本当に高校生男子心をくすぐるわけですよ。

この映画、なんだかレオニダス(あんまり関係ない話ですが、映画の中では「レオナイダス」と発音していたようです)のひとり相撲を見せられているようですし、彼らが「自由のために!」と叫んでいるのを聞いても、『北斗の拳』のケンシロウが「自由のために闘う!」と言いながら北斗神拳をふるっているような違和感を禁じえないのですけど、なんともいえない「残虐美」みたいなものがあるんですよね。敵は『ロード・オブ・ザ・リング』の冥王サウロンの闇の軍勢みたいな異形の連中だし(この映画のペルシア軍の描写を観て、イランやイラクサウジアラビアなどの中東諸国は怒らなかったの?)、「死体ツリー」「死体ウォール」がババーンと登場するというR-18っぷり。「歴史ドラマ」というよりは、本当は「歴史の名場面をダシにして、血まみれの戦場を描きたかった」だけなんじゃないの?という雰囲気が伝わってくるのですが、これだけヒューマニズムが排除されていると、かえって爽快なくらいです。『ロード・オブ・ザ・リング』+『HERO』+『グラディエイター』+スプラッタまみれ、という作品なんですけど、これが大ヒットしてしまう世界って、どんなに殺伐としているんだろう! 普通の映画だったら、「100万の大軍に300人で立ち向かう葛藤」みたいなのが描かれそうなものなのですが、この映画は「これがスパルタだ!」でおしまい。いや、僕だったら、「スパルタ的な自由」より「ペルシャの配下の不自由」のほうがいいかも。

ところで、僕がこの映画を観ていちばん考えたことは、「歴史における『物語』の力」なんですよね。この「テルモピレーの戦い」そのものは、はっきり言って「スパルタ軍の無謀な意地っ張り」でしかありません。でも、この戦いでの300人のスパルタ人たちの「敢闘」は、結果的に歴史上、大きな意味を持つようになっていったのです。ペルシア帝国からすれば「あんな恐ろしい連中とはなるべく戦いたくはない」と考えるようになったでしょうし、ギリシア側は「テルモピレーの勇者たち」によって、大きな「勇気」を与えられたのです。そういう「影響」でいえば、太平洋戦争での硫黄島の戦いや神風特攻隊というのは、けっして「全くの犬死にではなかった」のかもしれません。もちろん、それは合理的、効率的な手段ではないのだとしても。

ギリシャ・ローマ史好き』『残酷描写に耐えられる』『映画はシナリオよりも雰囲気!』という皆様には、ぜひオススメしたい作品です。
……って、日本の映画ファンには受け入れ難い作品だろうなあ……
僕は『レオニダス燃え』なので、けっこう好きですけど。

参考:Yahoo!映画『300』
(ユーザーレビューでは、かなり厳しい評価が多いようです。まあしょうがないかな……)

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