琥珀色の戯言

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【読書感想】1984年のUWF ☆☆☆☆

1984年のUWF

1984年のUWF


Kindle版もあります。

1984年のUWF (文春e-book)

1984年のUWF (文春e-book)

内容紹介
現在のプロレスや格闘技にまで多大な影響を及ぼしているUWF新日本プロレスのクーデターをきっかけに、復讐に燃えたアントニオ猪木のマネージャー新間寿が1984年に立ち上げた団体だ。アントニオ猪木、タイガー・マスクこと佐山聡--、新間にとって遺恨はあるが新団体UWFにはふたりの役者がどうしても必要だった。UWF旗揚げに関わる男達の生き様を追うノンフィクション。佐山聡藤原喜明前田日明、髙田伸彦……、彼らは何を夢見て、何を目指したのか。果たしてUWFとは何だったのか。この作品にタブーはない。筆者の「覚悟」がこの作品を間違いなく骨太なものにしている。「Number」に連載され話題となったUWF物語が一冊に!


 プロレスマニア、とまではいかなくても、マイコン雑誌とともに、ときどき『週刊プロレス』を買って読んでいた僕にとって、当時、自分がUWFという集団やイデオロギーをどんなふうにみていたか、というのを軽い痛みとともに思い出させてくれる本でした。


 思えば、九州の小地方都市の中学生だった僕は、UWFという団体やその試合を映像で観たことは一度もないままに、『週刊プロレス』の記事を読んで、「おお、これぞ真剣勝負なんだ!と感動していたものです。
 真剣勝負だったら、サソリ固めとかそう簡単に決まらないだろうし、だいたい、勝ち負けにこだわるんだったら、殴り合いとか蹴り合いになるんじゃないか、と。
 そもそも、UWFでは、藤原喜明選手のような「地味なプロレスラー」が強かったり、決め技がヒールホールド(踵固め)のような地味な技だったりするのが、かえって「本物っぽい」感じがしたんですよね。
 むしろ、「地味だから、こっちが『本物』にちがいない」と、みんなが信じてしまったのです。

 この日、観客の心に最も強く刻みつけられたのは、一見、何でもないシーンだった。
「前田が佐山をロープに振った。振られた佐山は、当然そこで戻ってくるはずだった。ところが佐山はロープに腕をからませて、リバウンドしてこなかった。その瞬間、後楽園ホールに『おおっ!』というどよめきが起こった。佐山はこんなことをリングの上でやってしまうんだ。プロレスの約束事に束縛されるつもりなんかないんだと驚いたのです。UWFのプロレスが既成のプロレスとは違うことを、ほんのわずかな動きひとつで、観客に理解させてしまう。やっぱり佐山は天才なんだな、と思いました」(作家の亀和田武
 ザ・タイガーの復帰戦は大成功に終わり、観客に鮮烈な印象を残した。
 既成のプロレスへの懐疑とともに。


 こういう「プロレスのお約束破り」に「おおっ!」って感動していたのです。


 あれから30年経って、著者は関係者にも取材しつつ、さまざまな種明かしをしていきます。
 UWFがやっていたのは、やはり、最初から筋書きが決まっていた「プロレス」の文脈上にあったこと、前田日明選手は「強すぎて干された」というよりは、「プロレスラーとして不器用すぎて、相手の選手にうまく合わせることができず、怪我をさせてしまうことが多かったので嫌われていた」こと、そして、UWFのなかで、プロレスを逸脱した「ルールがある真剣勝負」を本当に志向していたのは、元タイガーマスク佐山聡選手だけだったこと。

 佐山聡には高い理想があった。
 ボクシングにアマチュアとプロがあるように、新格闘技にもアマチュアとプロがあるべきではないか。
 アマチュアは自分が育てる。現在のUWFはショーを見せるプロレス団体に過ぎないが、将来はリアルファイトの新格闘技団体へと移行する。そのときに活躍するのは、ザ・タイガーでも藤原喜明でも前田日明でも髙田伸彦でもなく、自分が育てた選手たちになる。
 その第一歩として、ザ・タイガーはUWFのリングに上がる。プロレスの試合の中で、どれだけ新格闘技(総合格闘技)の要素を見せることができるのか。これはチャレンジなのだ。
「無限大記念日」初日のメインイベントは藤原喜明前田日明対ザ・タイガー&高田伸彦だった。
「試合前日には道場でリハーサルを行った」
 と、前田日明は証言している。

 後楽園大会の前日に藤原さん、佐山さん、高田が道場に集まり実際にスパーリングをやって感触を確かめてみようとなったんだ。でも、これがうまくいかなかった。ロープに飛ばすグラウンドで相手と密着しての関節技の攻防を展開しようとしても、お互いに膠着状態が続いてしまう。イメージ的には、初期のアルティメット大会の攻防を思い返してもらうとわかりやすいかもしれない。初期の大会では参加した選手のほとんどがグラウンドの状態になるとなす術がなくなり、お互いに抱きつくような感じで降着してしまっていた。そのような攻防が道場で繰り広げられていたんだ。
 これでは、会場に足を運んでくれたファンに胸を張って見せられる攻防ではないと、みんなで頭を抱え込んだよ。
 特にショックを受けていたのは佐山さんだった。新日本プロレスを辞めて自分でタイガージムを起こし、シューティングの基礎を築き上げていたのにもかかわらず、いざ試合形式になると、まったくその技術が活かされないんだから、スパーリングが終わって茫然とたたずむ佐山さんの姿を今でもはっきり思い出すことができる。
 それで、これではどうしようもないとなって藤原さんがこう言ったんだ。
「やはり、プロレスを無視した上で百パーセント“ゴッチ流”の格闘術だけで試合を構築するのには無理がある。ところどころに従来のプロレスのエッセンスを取り入れないとファンは納得しない」(佐々木徹『無冠 前田日明』)

 藤原は正しかった。翌日に行われたメインイベントは華やかでスピーディーなものになり、観客を熱狂させたからだ。


 少なくともUWFの時点では、プロレスラーたち自身も、観客も「関節技中心の試合は、お金を取ってみせるレベルのものではなかった」のです。
 だから、「プロレスらしい要素」を排除しているようで、実際に取り除いたのは「お約束の一部」でしかなかったのです。
 のちに格闘家として活躍する若者が、大学時代に、真剣勝負だと信じていたUWFの試合を観て衝撃を受けています。
 「真剣勝負の試合がキャメルクラッチで決着がつくことなど絶対にありえない」と。


 UWFは、プロレス、あるいは格闘技としてのイデオロギーの違いで、新日本プロレスから分かれたというよりは、アントニオ猪木の事業の失敗に伴う会社の政治的な分裂がまずあって、そこで新日本を飛び出した「道場での強さを追求した選手たち」のスタイルを前面に押し出して差別化をはかったのです。


 実際に試合を観た人の感想として、「UWFの試合は面白くなかったけれど、これを『つまらない』と言ってしまうと、『お前はプロレスがわかっていない』と周囲からバカにされそうで、わかったようなフリをしていた」というのが紹介されていて、UWFというのは、たしかに「イデオロギー」であり、「アート」だったのだなあ、と。


元『週刊プロレス』編集長のターザン山本さんはこう語っています。

「放っておいたらレスラーは堕落するから、プレッシャーをかけて堕落させないために“UWFの理想はこうですよ”と、理論や理屈を作って『週刊プロレス』でどんどん発信する。カネと女とクルマにしか興味のないレスラーを理想化し、正当化するために延々とやった。
 UWFの試合は面白くないから、ファンが試合に酔うことはできない。読者が酔ったのはUWFイデオロギー、概念、解釈、理論武装です。
 それらはUWFではなく、すべて『週刊プロレス』が作り出したもの。つまりUWFの犯人は『週刊プロレス』だったんです(笑)。読者が本気になれば、レスラーも仕方なく少しだけ動く(笑)。僕はUWFを遠隔操作した」


 結局、ファンは、メディアに「踊らされていた」ということなのでしょうか。
 まあ、踊らされて楽しんでいたところは、あったんですけどね。

 ただし、著者は、新日本プロレスからUWF、そして、佐山聡がはじめた「シューティング」が、のちの『PRIDE』やアメリカの総合格闘技団体UFC(Ultimate Fighting Championship)につながっていったことを考えると、UWFはその「過程」にあったものであり、評価されるべきものでもあった、と考えているようです。
 UWFそのものよりも、UWFイデオロギーで「リアルファイト」を志向した人々が増えていった、というのが大きかったのかもしれません。


 UWFのあと、プロレスの凋落と総合格闘技の大ブームがあり、現在は新日本プロレスが、あらためて大人気となっているんですよね。
 殺伐としがちな総合格闘技ではなく、鍛え抜かれた身体を持つ選手たちが、華やかな大技の応酬を魅せる、というプロレスの「明るさ」があらためて見直されてきたのです。
 総合格闘技の隆盛で、プロレスは一時期観客動員数も下がり、「終わった」とまで言われていたのですが、総合格闘技をみてきて、「やっぱり、プロレスのほうが楽しい!」と感じた人も少なくなかったのでしょう。
 「そんな技を受けたら、死んでしまうんじゃないか?」という激しい攻防を観たいけれど、本当に選手が死んでしまったら困る。
 ショービジネスとしてのプロレスは、本当に微妙なバランスの上に成り立っているのです。


 この本を読んでいると、著者はこれまで書いてきたアントニオ猪木ジャイアント馬場女子プロレスの選手たちに比べると、UWFという団体には、あまり思い入れがないんだな、と感じるんですよ。これまでの対象に比べると、この本の語り口には、熱気みたいなものが乏しいのです。
 それは、ジャイアント馬場女子プロレスラーたちが、これまでの歴史のなかで、不当に低く評価されがちだったのに対して、UWFは、内実に比べて、あまりにも美化され、伝説になっていることへの反発なのだろうか。
 

fujipon.hatenadiary.com
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完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

完本 1976年のアントニオ猪木 (文春文庫)

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