琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

渾身 ☆☆☆


渾身

渾身

 島根県隠岐島では20年に一度、夜を徹して古典相撲が神社に奉納される。地区の誇りをかけて男たちがぶつかるその晴れの一日に、地域に根ざして生きる老若男女の思いを凝縮させた小説。親が認めぬ結婚で地元のひんしゅくも買った英明が、最後の大一番に登場する最高位に選ばれる。期待に応えようとけいこを重ねた本番は、延々と続く死闘に。

ちょっと前に目黒考二さんがラジオ番組の中でベタ褒めされていたのを聴いて読んでみたのですが、「うーん、いい小説だけど、好きな小説じゃないな」というのが僕の正直な感想です。
子供の頃から引越しが多く、「地元」を持たない人間にとっては、この小説で描かれる、主人公・英明の「隠岐で暮らしていくこと」「地元に受け入れられること」へのこだわりが、どうしても理解できなくて。読みながら「そこまでして、わざわざ地元の人たちに認めてもらうより、島から出て生活すればいいんじゃない?別に犯罪をやって白眼視されてるわけじゃないんだから」としか思えなかったんですよ僕には。
僕が中学のときに引っ越してきた地域には、全国でも名を知られる大きなお祭りがあるのですが、そのお祭りに対する「地元の人たちのこだわり」に、僕はとても辟易させられたのです。曳山を引く、ということにひたすらこだわり、誰がどの場所につくかという「場所争い」暴力沙汰になる大人たち、「お前は他所から来たから曳山は関係ないな」と言い放つ同級生。「部活に所属していない大学生が、自分の大学の学園祭に行くときの心境を10倍に増幅したもの」とでも言えば良いのでしょうか。僕はとにかく、その祭りと、その祭りに付随する「地元意識」が大嫌いだったのです。だから、この小説に対しても、「じゃあ、相撲が強くないと、ここの人たちは『ヨソモノ』を受け入れてくれないのか?」というような白けた気分にしかなれなかったことを告白しておきます。いや、これもひとつの「現実」だということを僕も知ってはいるんですけど、ここまで「曇りなき美談」として語られるとなんだかねえ。

確かに、相撲の取り組み中の描写はすばらしいし、思わず引き込まれます。
ただ、ちょっと長いというか、さすがにこれはやりすぎなんじゃないかと。
三浦しをんさんの『風が強く吹いている』に対して、僕は「マンガだからこそ描ける感動がある」と思ったのですが、この作品は、作者が「真剣勝負を描こうとしているにもかかわらず、あまりに『感動的』にしようとしすぎて結果的にマンガになっちゃってる」のですよ。僕の経験では、スポーツというのは、大舞台・真剣勝負になればなるほど、意外と「好試合」にはならないものなんですよね。この試合でペナントレースの行方が決まるという巨人・中日戦が10年くらい前にありましたが、あれも結果はあっけないワンサイド・ゲームでしたし、競馬でもTTG(テンポイントトウショウボーイグリーングラス)の「3強有馬記念」が延々と語り継がれているのは、そういう「観客の期待に応えるような大舞台での好勝負」っていうのは、実際にはほとんどないからなのです。マツリダゴッホが勝っちゃって、「蛯名KY!」ってオッサンが寒風吹きすさぶ中山で叫ぶのがスポーツの現実なのです。それじゃ「小説」にならないのは百も承知ですが、この作品は、ちょっと「やりすぎ」なんですよね。「相撲の名勝負」をこれだけ文章化した川上健一さんはすごいと思うけれど、今回は、その「技術」に酔ってしまったのかな、と。

家族小説としても、あまりに「きれいな話」すぎて、かえって感情移入できないところがありましたし、世間の評価の高さのわりには、僕には「ノレない」小説でした。上手いし、いい話なんですけどね、本当に。

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