琥珀色の戯言

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ピエタ ☆☆☆☆


ピエタ

ピエタ

内容(「BOOK」データベースより)
18世紀、爛熟の時を迎えた水の都ヴェネツィア。『四季』の作曲家ヴィヴァルディは、孤児たちを養育するピエタ慈善院で“合奏・合唱の娘たち”を指導していた。ある日、教え子のエミーリアのもとに、恩師の訃報が届く。一枚の楽譜の謎に導かれ、物語の扉が開かれる―聖と俗、生と死、男と女、真実と虚構、絶望と希望、名声と孤独…あらゆる対比がたくみに溶け合った、“調和の霊感”。今最も注目すべき書き手が、史実を基に豊かに紡ぎだした傑作長編。


ひとり本屋大賞、最後の10冊目。
『誰かが足りない』『くちびるに歌を』『プリズム』と、「本屋大賞どうなってんだ……」という作品が続いていたのですが、この『ピエタ』は素晴らしい作品だと思います。


この小説の舞台となっている「ピエタ」について、Wikipediaでは、こんなふうに紹介されています。

ピエタ慈善院(Ospedale della Pietà、オスペダーレ・デッラ・ピエタ)は、ヴェネツィア共和国の救貧院、孤児院、音楽院。


ここは1346年に孤児や棄て児を養育するために設立された慈善機関であった。赤ちゃんは後代に回転式の赤ちゃんポストによって預けられた。預ける親の多くはいずれは引き取りに来ることを前提としていて(ほとんど実現しなかったが)、形見の品を赤ちゃんに添えた。女子は結婚しない限り、生涯をここで過ごした。男子も受け入れて船大工や石工などの職業訓練を行なったが、介護が必要などのよほどの事情がない限り16歳になるとここを去った。一方、女子は音楽的才能を発芽させれば、8歳から10歳にかけて集中的に訓練を始め、慈善院付属音楽院の「合奏・合唱の娘たち」の一員に育て上げられた。


共和国の法的保護の下にあったピエタ慈善院は、貴族や裕福な市民からの寄付と遺贈、音楽の才能のない「手工芸の娘たち」の収入だけでは十分まかなえず、付属音楽院のコンサートによる収入がピエタの運営を大きく支えた。特にヴィヴァルディが「協奏曲長」に就任してからは、その指導の下に合奏・合唱団の技量が飛躍的に伸び、多くの女性ヴィルトゥオーソや名歌手を輩出した。中でも、名ヴァイオリニストとしてヨーロッパ各地から聴衆を呼んだアンナ・マリーアとキアーラ(キアレッタとも)が有名であるが、いずれもヴィヴァルディの愛弟子であった。こうした名声に惹かれて貴族たちもここに娘を送って音楽教育を受けさせた。


アントニオ・ヴィヴァルディは1703年から1740年までに断続的にヴァイオリン教師、作曲家を務めた。ヴィヴァルディの器楽曲の多くがここの女性たちのために作曲された。ともすれば、「娘たち」という名前から、少女だけからなる女性オーケストラや合唱団が想像されるが、構成メンバーの実際の平均年齢は40歳に近かった。演奏や歌唱は音楽院内のホールまたは教会で行なわれた。教会の聖歌隊席は祭壇の反対側に一箇所、側壁に向かい合うように二箇所あったが、下の観客から 「娘たち」の姿かたちがはっきり見えないように、 美しい飾りをちりばめた鉄製の格子に囲まれていた。ジャン=ジャック・ルソーも聴衆としてこれを記録している。

赤ちゃんポスト」に預けられた子どもたち、そのなかで音楽的な才能がある女性たちは慈善院付属音楽院の「合奏・合唱の娘たち」としてピエタの運営を支える存在となったのです。


この小説には、多くの「女性たち」が登場します。
「合奏・合唱副長」にまで上り詰めたアンナ・マリーア、「コルディジャーナ」クラウディア、そして、「合奏・合唱の娘たち」の一員であり、結婚の機会も失ってしまい、「秘密」を抱えながら「堅実な金庫番」として生きるエミーリア。貴族の娘として生まれながら、「何者にもなれない」ヴェロニカ。
彼女たちはみんな、食べ物に困るほど困窮しているわけではありません。
でも、「自分には何かが足りないのではないか」という想いを断ち切ることもできないのです。
彼女たちは、「偉大な音楽家でありながら、司祭という自分の職業に縛られていた」ヴィヴァルディ先生の死をきっかけに、「自分たちの生」について、あらためて向き合うことを余儀なくされるのです。


僕がこの作品を読んでいて、いちばん心に響いたところ。
それは、この作品の世界のなかでは、「謎解き」も「どんでん返し」も、「クライマックス」も存在しないことでした。
だから、平板でつまらない作品だというわけではありません。
読んでいると、「ああ、そういうドラマティックなものばかりが人生じゃないし、わからないことをわからないまま死んでいくのも人間なんだよなあ」というのが伝わってくるのです。
「ドラマのような人生」というのがありますが、この作品はむしろ、「人生のようなドラマ」なのかもしれません。

 ピエタが腐っているというわけではないが、スカフェータがあることによって、捨てられるたくさんの子供達。ピエタはその子らを懸命に育ててきたわけだけれど、そもそも、こんなにたくさんの子供が捨てられる場所が、美しいと讃えられるヴェネツィアに存在する、それこそがおかしなことではないだろうかとわたしはいつ頃からかずっと思っていた。心の奥底に押し込めていた、そんな気持ちが、クラウディアさんの話を聞いているうちに、ふつふつと湧きだしてくる。

 このゴンドラでよく昼寝をしていたよ。とロドヴィーゴさんは、器用に櫂を動かしながらわたしに教えてくれた。そこに寝そべって。ここなら人目を避けられるってんで。おかしいだろう、こいつが進む運河はヴェネツィアの街ん中を縦横無尽に駆け巡ってんのに。けどさ、隠れるのにこんないい場所もまたないんだ。辛い目に遭ったり、気持ちが塞いだりすると、旦那は、ロドヴィーゴ、しばらく適当に漕いでいてくれって言って、ここにすっ転がって、長いこと空を見てた。

 あたりまえのことなのですが、外からはどう見えても、完璧に幸福な人なんていない。
 みんな、いろんなものを背負いながら、それでも生きている。

 
 少しだけ、背筋が伸びる作品です。
 僕は大島真寿美さんの作品ははじめて読んだのですが、今年の「本屋大賞」のなかで、いちばんの「出会い」だったような気がします。

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