琥珀色の戯言

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「村上春樹がノーベル賞をまたもや逃しました。なぜだと思いますか?」

参考リンク(1):ノーベル文学賞:中国の作家、莫言氏に決まる(毎日jp)

 スウェーデン・アカデミーは11日、2012年のノーベル文学賞を、中国人作家で中国作家協会副主席の莫言(ばく・げん)氏(57)に授与すると発表した。「民話と歴史、現代性が一体となった幻惑的なリアリズム」が評価された。中国在住の中国人へのノーベル賞授賞は、10年の劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏への平和賞以来2人目。同文学賞は初めて。00年には中国出身でフランス国籍の高行健(こう・こうけん)氏が受賞している。


10月11日、「村上春樹さんが、ついにノーベル文学賞受賞か!」ということで、ファンとして、けっこう楽しみにしていました。
20時頃に発表と聞いていたので、twitterでタイムラインを確認してみると「受賞者は中国の莫言氏」。
そして、村上ファンの「残念!」という呟きがたくさん。
僕も「ボブ・ディラン受賞説」なんていうのをけっこう耳にしていたので、こういうのは蓋をあけてみなければわからないよな……とあまり期待しないようにしていたのですけど、「受賞ならず」の報は、やっぱり少し残念でした。


とはいえ、ネットでいろいろ読んでいると、村上さんが受賞できなかったこと=「中国に負けた」とか「村上さんのほうが上なのに、政治的な配慮で莫言氏に決まった」などと言っている人が少なからずいたので、それは村上さんが受賞できなかったこと以上に悲しいことだな、と感じたのです。


参考リンク(2):村上春樹氏受賞逃す 現代中国を代表する農民作家、莫言氏のノーベル文学賞受賞をどう読み解くか(木村正人のロンドンでつぶやいたろう)

この<参考リンク(2)>の記事は、今回のノーベル文学賞の「背景」について、かなり勉強になりました。

「理想主義」と「人道主義」を追い求める傾向が強いノーベル文学賞の選考は、作品の「文学性」よりも、著者や作品の「政治性」に基づいているとたびたび論争を巻き起こしてきた。


これはまったくその通りで、「ノーベル賞」=「作品への評価」「作家として最高の名誉」であるかどうかは、けっこう微妙なところです。
もちろん、凡庸な作家では選考対象にはならないでしょうし、「文化人として最高の名誉」であることは間違いないと思うのですが……


ちょうど11日に読んでいた桜庭一樹さんの読書日記『本のおかわり もう一冊』に莫言さんの講演の話が出てきて、欄外の解説に「アジアのガルシア=マルケス」「アジアでもっともノーベル文学賞に近い作家」と言われている、と書いてありました。
「世界文学」の事情に詳しい人からみれば、今回の結果は「想定内」だったのでしょうね。
今回の日本のマスコミの「受賞確実フィーバー」は、オリンピック前の「メダル確実」みたいなもので、期待料込みというか、判官贔屓というか、そのほうが視聴者が喜ぶはずという前提のものだったのでしょう。


莫言さんが村上さんより優れていた、というよりは、「どちらが受賞してもおかしくなかった」状況で、結果的に莫言さんの番になった、と。
もしかしたら、「まだ中国在住、中国籍の作家の受賞がない」ということで、オリンピックの開催地選定や春の甲子園出場校を決める際のような「地域性」も考慮されたのかもしれません。


ネットでは、「なんで中国の作家なんかに」「政治的な配慮なんだろ」とか言う人が少なからずいて、悲しくなってしまったんですよ。
この人たちは、莫言さんの作品をひとつでも読んで、「八百長だ」みたいなことを言っているのだろうか?
残念ながら、僕も読んだことないんですけどね。
少なくとも「読んだこともない作家と村上春樹さんの優劣を語ること」に、意味があるとは思えません。


前述した『桜庭一樹読書日記』のなかで、莫言さんの作品『蛙鳴(あめい)』と、莫言さんが日本に来たときの話がこんなふうに紹介されています(桜庭さんのメモをまとめたものだそうです)。

 今回の新作『蛙鳴』は、中国の一人っ子政策について書かれている。そのテーマについて、

 私は作家として、社会で起こるあらゆることに注目すべきだと考えます。
 特に長い期間、多くの人の運命に影響を及ぼした出来事については、必ず何らかの文学作品が関わらなければならないと。
 しかし一方で、小説は新聞報道ではなく、秘密の暴露がその任務ではないのです。
 では小説家の任務とは何か? それは”忘れられないある種の人物を想像すること”です。
 たとえば川端康成の『伊豆の踊子』は、踊り子の創造によって永遠に忘れられない作品となりました。
 歴史に残る古典的な作家は必ず、そういった永遠の人物を作っているのです。
 それが複雑な人物であるほど人々は忘れることができない。

 で、『蛙鳴』では、助産婦として長らく活躍しながら、一人っ子政策とともに堕胎を請け負うようになり、心に矛盾と苦しみを抱える”叔母”という人物を創造した、というお話に繋がっていく。

これを読んだかぎりでは、莫言さんというのは「中国政府の御用作家」なんかじゃなくて、制約のなかで、「中国という矛盾を抱えた大国で生きる個人の姿」を描いてきた作家なのではないかと思われます。
村上さんの「壁と卵」のたとえでいえば、「壁に押しつぶされる卵の側に立ってきた」人なのでしょう。
中国政府によって、作品が発禁になった時期もあったそうです。


参考リンク(3):村上春樹がノーベル賞をまたもや逃しました。なぜだと思いますか?(Yahoo!知恵袋)


この「回答」の人たちは、「反応」のごくごく一部です。
もちろん、「残念!」って言っているファンもいれば、「ノーベル文学賞なんて、どうでもいいんじゃない?」と言っている無関心層もたくさんいます。
それにしても、「受賞を逃した」からといって、ここまで誹謗中傷されるようなものじゃないと思うのですが……
基本的に、スウェーデン・アカデミーの都合で、密室で決められていることでもあるし。


僕は「莫言さんと村上春樹さんの作家としての距離」は、そんなに離れていないと思うのです。
「日本と中国の溝」よりも、「同じ国民でも、ノーベル文学賞を国の威信の争いに置き換えてしまう人どうしの断絶」のほうがはるかに深いのではないかと感じています。
国家とか集団の空気とかいうなかで抑圧され、どう生きればいいかに迷う人間の姿は、日本でも中国でも、そんなに大きな変わりはないはずです。
作風は異なっていても、莫言さんと村上春樹さんが書きたいことは、けっこう似ているのではないかなあ。
そして、この両作家の読者も、たぶん、「似ている」。


参考リンク(4):ノーベル文学賞の莫言氏、村上春樹氏も受賞資格あると発言(サーチナ)

 「審査員の心をつかんだのは何だと思うか?」という質問に対して、莫言氏は「もっとも大きいのは作品の文学素質だと思う。これは文学の賞で、受賞理由は文学以外は考えられない。私の作品は中国文学だが、世界文学の一部でもある。私の文学は中国人民の生活、中国の独特な文化と風情を表している。同時に小説をとおして『一般の人間』というものも描写した。私の小説はずっと『人』の立場から『人』を表現している。このような作品こそ、地域、民族の限界を超えられると思う」と述べた。

これを読むと、莫言さんと村上春樹さんが目指しているものは、そんなに違わないのではないかという気がします。
ふたりの国籍が違っていても。
もちろん、「作家はだいたいみんな同じようなことを言っている」というのも事実ではあるのですが。

莫言さんが今年受賞したということは、少なくとも来年は、同じ「アジア枠」で主題も似ている村上春樹さんの受賞は難しいかもしれないな、とか考えてしまうのも事実なんですけどね。


僕もあらためて莫言さんの作品を読んでみるつもりです。
こういうのを、自分の「読書守備範囲」を広げてみる機会にしてみるのも悪くないかな、と思うので。


蛙鳴(あめい)

蛙鳴(あめい)