琥珀色の戯言

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【読書感想】芥川賞物語 ☆☆☆☆


芥川賞物語

芥川賞物語

内容紹介
異様で滑稽、けれども愛すべき日本一有名な文学賞。その第1回から第147回までの受賞作と候補作の選考過程にまつわるエピソードを完全網羅した〈権威〉と〈喧噪〉のドキュメント。

第1回から、第147回まで。
「もっとも有名な文学賞」である芥川賞の歴史を、1回1回、丁寧に紹介した本です。
ホームページ『直木賞のすべて』の運営者が書いておられるのですね。
「あとがき」を読んで、「自分は芥川賞よりも、直木賞のほうが本当は好きなんだけれども、単著を出せるということの魅力にあらがえずに引き受けてしまいました」というようなことを書いておられて、正直な人だなあ、と思うのと同時に、最後まで読んだ人間としては、「そんな舞台裏、内緒にしておいてくれればいいのに。ちょっと興醒め」とも感じてしまいました。


ただ、この本に関しては、著者の良く言えば「客観的な姿勢」「冷静さ」、悪くいえば「芥川賞への思い入れの少なさ」が、良い方向に働いているのではないかと思います。
文学賞について語られた本」の大部分は、「個々の候補作、受賞作への著者の好み」が前に出過ぎているものが多く、「なぜこの人に芥川賞をあげなかったんだ!」という憤りをもって、選考委員を「断罪」しているものすらあります。
この本の著者の場合は、その当時の選考委員のコメントとか、社会に起こした現象などを同時代の資料に基づいて切り取っているので、かなり資料性が高いのではないかと。
芥川賞」に興味はあるけれど、個々の文学論争みたいなものを、いちいち追っていく時間もない、という人にはうってつけです。
中高の「日本史・世界史の教科書」みたいな感じ。


芥川賞の汚点」として語られることも多い、村上春樹さんへの不授賞なのですが、そのことについても、著者はけっこうサラッと「流している」感じで、とくに異議を唱えてはいません。
(この件に限らず、著者は個々の作品・作家への評価を控えて、この本を書いておられます。「あとがき」でも意図的にそれを心がけたと言及されています)

 加えて、群像新人文学賞を受けたばかりの村上春樹風の歌を聴け」に対して、言及する委員も多かった。「今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあった」(『文藝春秋』79年9月号 大江健三郎)といった否定的な見解を含め、触れずにはおかれないものを、村上作品は持っていた。吉行淳之介はこれと関連して、最近の芥川賞の性質にも筆を及ぼしている。
芥川賞というのは新人をもみくちゃにする賞で、それでもかまわないと送り出してもよいだけの力は、この作品(『風の歌を聴け』)にはない。この作品の強みは素材が十年間の醗酵の上に立っているところで、もう一作読まないと、心細い。」「芥川賞はたかが新人賞、という言い方もあるが、現実にはこわい賞になってしまっている。」(同号)
 処女作に芥川賞を授けることへの躊躇が、不採用理由のひとつとして語られている。芥川賞騒動とその影響を受ける授賞者の歩みを、委員の立場から配慮したのである。

「作品への評価」だけではなく、「授賞者のその後への影響」とかも配慮してしまうのが「芥川賞」なんですよね。
これを読んでいると、当時村上春樹さんに授賞されなかったのは、ある意味「村上さんの将来にとってはプラス」だったのかもしれないな、とも思えるところもあるのです。
この本で紹介されている、数々の受賞者が巻き込まれた「喧噪」に巻き込まれなかったのが、結果的には良かったような気もします。
もちろん、それをどう感じていたか、いまはどう考えているのかは、本人にしかわからないでしょうけど。


概観していくと、選考の偏りとか、選考基準の曖昧さについて取り沙汰されることが多いのは「最近の芥川賞」だけではないということがよくわかります。
「原稿用紙250枚以下の短篇じゃないとダメ」だったはずが、それが強調された次の回にいきなり「これはデキがいいから例外」になったり、「新人賞」としての基準が揺れ動いたり。
「2名受賞」が続いた時期もあれば、「受賞者なし」ばかりの時期もあります。

 芥川賞は、派手な受賞者が出ても批判される。地味な作品が受賞しても嘆かれる。該当作なしでも、授賞ばかりが続いても、どんな状況でも茶々を入れられる。

しかしながら、そういうカオスなところが、この賞の魅力のひとつであるのも事実です。
僕がリアルタイムで芥川賞に注目しはじめたのは、第130回の綿矢りさ蹴りたい背中』、金谷ひとみ『蛇にピアス』からなのですが、それ以降でさえ、前回酷評されていた人が急に絶賛されて受賞、というのを何度かみてきましたし。
楊逸さんが第138回に『ワンちゃん』で受賞を逃したときには「日本語が稚拙」なんて言っている選考委員が何人もいたのに、その半年後の第139回では圧倒的な支持を得て『時が滲む朝』で受賞。その際には「日本語の技術的な問題」への指摘は影をひそめていて、「半年で、そんなに言語ってうまくなるのか?」と苦笑してしまったものです。


僕のような直近からのウォッチャーとしては、石原慎太郎さんが「暴走選考委員」というイメージがあるのですが、この本を読んでいくと、「なんだかやたらと若手作家に厳しく、キツイ言葉を浴びせる(一方で、自分の「わかる、わからない」基準で評価している)「名物選考委員」というのは、どの時代にも一人や二人いたのだということがわかります。

 開高(健)は第101回(1989年上期)まで都合23回、選考に関わり、一貫して厳しい裁定をした委員として知られている。初参加以後、ほとんど同じような指摘を選評に書き付けるが、その一端をここで紹介しておきたい。
「今回の七つの候補作は、一、二の例外を別とすれば、読後感がそれぞれそっくりである。過もなく、不足もなく、ソツがないのだが、クー・ド・グラース(止めの一撃)を欠いているという一点で、みな、よく似ている。」「器用さはあるけれど才能がない。」『文藝春秋』1978年9月号)

最近の石原慎太郎さん退任後の芥川賞選考は、玄人筋には「まともになった」と評価されているようなのですが、いちウォッチャーとしては、「なんだか物足りない感じがする」のも事実なんですよね。
山田詠美さんとか、ある意味「暴走モード突入」しつつあるような気もしますけど。
川上弘美さんは「逸走」というか、ひとり別のフィールドを走っているようにも見えるし。
(しかし、川上さんの場合は選評の文体は独特ながら、結果的に選評の内容とか推している作品は「至極真っ当」なんですけどね)


ある意味、著者の思い入れの無さが、このような「素っ気ないけど、余計な色がついていない芥川賞史」を生みだしたわけで、その点では、むしろ幸運であったとすら言えるかもしれません。
芥川賞について興味はあるんだけど、そんなに難しくない『まとめサイト』みたいな本はないだろうか」
そういう人には、おすすめできる本だと思います。
というか、大部分の「ウォッチャーレベルで芥川賞に興味がある人」にとっては、「必要十分条件を過不足なく満たしている本」ですよ、うん。

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