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【読書感想】国境の人びと: 再考・島国日本の肖像 ☆☆☆


国境の人びと: 再考・島国日本の肖像 (新潮選書)

国境の人びと: 再考・島国日本の肖像 (新潮選書)

内容(「BOOK」データベースより)
境界だからこそ晒される脅威と苦難。だが、そこにも根を下す人々がいた。北は択捉島から南は沖ノ鳥島まで、東は南鳥島から西は与那国まで、世界で六番目に広い「海」を持つ日本。その国境はすべて海の上にある。紛争の最前線、北方領土対馬竹島尖閣諸島をはじめ、九十九に上る国境離島のことごとくに足を運び、自らの目で確かめた著者が、そこで暮す“人”を通じて問い直す「この国のかたち」―。


 そうか、日本の国境は、たしかに「すべて海の上にある」のだな……
 そして、日本の国境には「島」が関わっているのです。

 日本の海が広くて大きい理由は、北は択捉島から南は沖ノ鳥島までの距離が、3020キロメートル、東は南鳥島から西は与那国島までが3143キロメートルあり、この海域に6852の島(周囲100メートル以上のみ)が点在しているからである。特に基線の根拠となる離島、いわゆる国境離島の数は99に上り、これら国境離島から広大な排他的経済水域が広がっているのである。

 中国との紛争の最前線になっている尖閣諸島や、韓国に占拠されている竹島、これらの島の名前は知っていても、実際にどんなところなのか?と問われて、即答できる人は少ないはず。
 ニュースに採り上げられているこれらの島以外にも、「日本の国境に近い、離島で生活している人々」がいるのです。


 そもそも、「島」とは何か?
 国連海洋法条約では、このように定義されているそうです。

「島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、高潮時(大潮の日の満潮など、最も潮が高くまで満ちた時)においても水面上にあるものをいう」
 と書かれ、島の大きさは問われてはいない。この定義からすると、10平方メートル程度しかない沖ノ鳥島国際法上、れっきとした島なのである。
 日本は、この小さな沖ノ鳥島を基点として約40万平方キロの領海と排他的経済水域を主張している。


(中略)


 しかし、沖ノ鳥島の維持管理は、極めて難しい。なぜならば、この周辺は、台風が多く、また太平洋の波やうねりが高く、自然環境の厳しい場所であり、島が波による浸食などで壊されてしまう可能性があるからだ。実際、1930年には、環礁内に6つの露岩の存在が記録されていたが、1952年に1つ減って5つになり、さらに1987年には、北小島と東小島の2つを残すだけとなってしまった。


 この、たった10平方メートル(キロメートル、じゃないです。念のため)の沖ノ鳥島によって、日本はかなり広い範囲の領海や排他的経済水域を確保しているのです。
 日本政府は、多額の費用をかけて、島の浸食を防ぐ工事をしたり、港を建設したりしています。
 人の手を加えていないと、いつ「島」が水面下に消えてしまうか、わからない状態なんですね。
 

 しかしながら、沖ノ鳥島が「島」であるという日本に主張に対しても、横槍が入っているのです。

 だが、2004年、沖ノ鳥島を基点とした「日本の海」を確保する政府の方針に対し、不気味な強敵が現れた。それは、中国の海洋侵出である。同年4月、中国外務省の担当者が、日中事務レベル協議の場において、「沖ノ鳥島は、国連海洋法条約第121条3項でいう『岩』であり、排他的経済水域を有しない」と発言し、日本の排他的経済水域の主張に待ったをかけてきたのだ。
 確かに中国の主張する国連海洋法条約の条文には、
「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することができない『岩』は、排他的経済水域又は大陸棚を有しない」と定められている。解説すると、人が住んでいない島、または、経済活動が行われていない島は岩と呼び、12海里(約22.2キロ)までの領海の権利は認めるが、さらに広い排他的経済水域や大陸棚の権利は認めないというのだ。大陸棚とは、沿岸から地殻が続いている場合、さまざまな条件が付くが、最大350海里(約648キロ)までの階梯における資源開発権が認められる海域である。

 要するに、なんらかの「人間の痕跡」がないと、領海までは認めても、より広範な排他的経済水域や大陸棚の権利は有しないのではないか、という主張なんですね。
 相手が日本にとってはいつも突っかかってくる国、中国なので「またか……」という気分にはなる話なのですが、沖ノ鳥島の現状というのは、日本人からみたら「島に決まってる!」であっても、他所からみれば「あんなちっちゃいところを人工的に維持して周囲の海の権利を主張するなんてセコい」と思われそうな感じ、でもあるのです。
 でもまあ、日本にとっては、とても「大事な島」なんですよね、沖ノ鳥島って。
 

 また、太平洋の経済的排他水域の基点となっている、北大東島南大東島は、サトウキビの生産が主な産業です。
 しかしながら、この島でのサトウキビに関する産業は、TPPで安いか海外からの砂糖が入ってきた場合、競争力を失い、廃業を余儀無くされると予測されているのです。
 そうなると、北大東島南大東島に住む人は、いなくなってしまうかもしれません。
 「国境としての島を維持する」ために最も効果的なのは、「島に、その国の人が実際に居住していること」なのです。
 どんなに領土的な野心を持った国でも、いまの時代に実際に住んでいる他国民を追いだして占拠するというのは、難しいのです。
 だからといって、沖ノ鳥島尖閣諸島に誰かに住んでもらう、というわけにはいかないでしょう。
 でも、いま、人が住んでいる島に関しては、住み続けてもらうことそのものが、領土や領海を守ることにもつながっているのです。
 僕もこんなに偉そうに書いていますが、「じゃあお前が住めよ」って言われると、困り果ててしまうしかないんですけど。

 この本を読んでいると、「日本の領土を守ろう!」という意識の高さのわりには、「実際に国境で生活している人たち」のことは、あまり顧みられていないのではないか、という気がしてなりません。
 

 奄美群島与路島について。

 いま島で最大のイベントは、小中学校の運動会だという。集落の中心に小学校と中学校が一体となった学校がある。グラウンドは緑の芝が一面に敷きつめられ、子供たちは裸足でのびのびと走り回っている。その運動会の日に合わせて、島外に出ていた人々が帰省する。この日だけは、世代を超えて人々が集い、童心に返り楽しんでいるようだ。

 与路島だけでなく、「島」で最大のイベントが「運動会」であることが多いというのも、ちょっと驚きました。
 でも、考えてみれば、そうなってしまうことも頷けるのです。

 与那国島は、人口約1500人(2014年現在)、離島の御多分にもれず過疎化が進んでいる。島には、高校がないため、中学校を卒業した子供たちは、沖縄本島石垣島の高校に進学し島を離れることになる。「15の春」と呼ばれ、島の子供たちは、この時期までに独り立ちできるように教育される。さらに、島には就職先がほとんどないため、一旦島を離れた子供たちが島に戻ることは望めない。島には、コンビニもレンタルビデオ屋もない。本屋もなければ、ゲームセンターやパチンコ屋もない。若い人々が楽しむ施設は何もない。島人は、泡盛と唄・三線、そして青い海で癒されているのである。そんな生活に耐えられる若者は希少価値だ。島にあこがれて内地から来ても、定住できる人は少ないのが現実である。

 日本の最南端、与那国島
「国境の島で生活をする」というのは、そんなに甘いものではないんですよね。
 ちょっと寄り道をするくらいなら、素晴らしい場所であったとしても。


 「日本の領土を守れ!」と声高に叫ぶ人は多いし、僕だって、やすやすと日本の領土を他国に奪われるようなことがあってはならない、と思います。
 しかしながら、現場レベルでの話となると、「国境の島を守る」っていうのは、ただお金を出せば良い、というものでもなく(もちろん、お金がないとはじまらない、というのも事実なのですが)、一筋縄ではいかないものだなあ、と痛感させられました。

 

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