琥珀色の戯言

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【読書感想】土漠の花 ☆☆☆☆


土漠の花

土漠の花


Kindle版もあります。
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内容(「BOOK」データベースより)
ソマリアの国境付近で、墜落ヘリの捜索救助にあたっていた陸上自衛隊第一空挺団の精鋭たち。その野営地に、氏族間抗争で命を狙われている女性が駆け込んだとき、壮絶な撤退戦の幕があがった。圧倒的な数的不利。武器も、土地鑑もない。通信手段も皆無。自然の猛威も牙を剥く。最悪の状況のなか、仲間内での疑心暗鬼まで湧き起こる。なぜここまで激しく攻撃されるのか?なぜ救援が来ないのか?自衛官は人を殺せるのか?最注目の作家が、日本の眼前に迫りくる危機を活写しつつ謳いあげる壮大な人間讃歌。男たちの絆と献身を描く超弩級エンターテインメント!


 2015年『ひとり本屋大賞』4作目。


自衛官は人を殺せるのか?」

 友永達は言うまでもなく、仮眠中だった隊員達も飛び起きて三人に89式小銃を向けている。相手が女であっても油断はできない。自爆テロの可能性もある。自衛隊の海外派遣部隊は現地の人々の信頼を得ることを身上としているが、なにしろここは世界有数の危険地帯だ。隊員達の緊張が友永にはひりひりと感じられた。彼自身も同様に緊張している。

 外国からは「軍隊」だと見なされているけれど、自国内に対しては「自衛隊」。
 国連の平和維持のための活動に協力していて、戦闘はしないことが「原則」。
 でも、実際に武装勢力と対峙し、自らの、あるいは友軍・一般市民の命が危険にさらされた場合も「殺さない」ことを貫くことができるのだろうか……


 この小説は、まさに、そういう状況に「巻き込まれてしまった」自衛官たちの姿を描いているのです。
 ただし、「人を殺さない自衛隊のはずなのに……」という葛藤は、ほとんどの隊員にはありません。
 いやまあ、こういう状況に陥ったら、やるか、やれなかったらすぐやられてしまうかのどちらかでしょうしね。

 
 そもそも、今の危険地帯の現状というのは、自爆テロのリスクなども考えると、「気が休まることはない」のです。
 子供や女性でも、自爆テロ要員の可能性はある。
 だからといって、銃を手に襲撃してくるわけでもない、一般人っぽい人を、見境なく銃撃して近づけないわけもいかないのです。


 この作品、「発砲できない自衛隊のジレンマ」みたいなものを描いた、政治的な小説だと思って読み始めると、「えっ?」と面食らってしまうかもしれません。
 ランボーかエクスペンダブルズみたいな不死身の自衛官たちが、強大な敵に立ち向かっていく姿は、『七人の侍』あるいは『さらば宇宙戦艦ヤマト』。
 ただし、だからつまらない、ということではなくて、滅法面白いんですよこの小説、本当に。
 「自衛隊に、こんなハリウッド映画みたいな戦争アクションをやらせても良いのか?」という、背徳的な気分が、高揚感にもつながるんですよね。
 

 「内容紹介」に、「男たちの絆と献身を描く超弩級エンターテインメント!」とありますが、まさにこれ、「エンターテインメント」以外の何者でもないのです。
 先ほど『七人の侍』や『さらば宇宙戦艦ヤマト』のタイトルを挙げましたが、「あまりにも王道な、男臭い戦場小説」。


 出てくる武器のリアリティや、読んでいてジリジリせずにはいられないような、敵の動きの抜け目のなさとか、ディテールの素晴らしさが、この小説をそこらへんに転がっている「超人戦争アクション」と差別化しているのです。
 大概において、こういう作品では、主人公側のありえない幸運とか、敵のバカな動きとかが勝因となるのですが、この『土漠の花』の、とくに前半部は、読んでいるだけで緊張感が伝わってくるんですよね。
 後半、とくに最後のほうは、『エクスペンダブルズ』化してしまうのですが、エンターテインメント的には、こういう派手なクライマックスが必要だと考えたんでしょうか。


 率直なところ、これを「自衛隊のジレンマを描いた小説」だとか「これから日本の自衛隊が直面するかもしれないこと」として受けとめるには、あまりにも「エンターテインメントとしてのデキが良すぎる」とは思います。
 モビルスーツがみんなガンダムなわけじゃなくて、大概はジムとかボールとかで、「邪魔だ!」って蹴られて爆発する側なんだよな、あるいは、ジムとかボールに乗っているパイロットだって、かなりのエリートなんですよね……
 でも、多くの人が、アムロ・レイの姿をみて、戦場に憧れてしまう。

 冒頭の「なすすべもなくやられてしまう様子」のほうが、「いきなり矢面に立たされた『人を殺さない軍隊』のリアル」なのでしょう。


 ただ、これを読んでいると、その「現場」に投げ出されてしまうと、建前とか理想なんていうのは吹っ飛んでしまうものであり、「帰る場所がある人間」と、「そこで生きていくしかない人間」との間の埋められない溝、みたいなものも考えずにはいられません。
 それでも、「介入」するのが正しいのかどうか?
 とはいえ、今のその状況というのも、いろんな勢力が歴史的に介入してきた結果でもあるわけで、いまさら「後は知らん」というのもねえ……


 このまま日本が進んでいけば、自衛隊が「戦死者のいない軍隊」であり続けることの終わりが、いつかやってくるのだろうな、とは思います。
 「自衛隊だから、撃つのはやめよう」なんて遠慮してくれる相手ばかりではないだろうし、目の前の友軍が戦闘で危機に陥っても、「うちは戦闘はしませんから」と逃げることができるのかどうか。
 日本にいる人間の理屈としては、それで良いのだろうけれど、この小説で「現場感覚」みたいなものを考えると、「そうやって退くなんて、無責任じゃないか」と感じてしまうのです。
 

 島田裕巳さんが『靖国神社』という新書のなかで、こう述べておられます。

 これ(集団的自衛権行使の容認)によって、具体的にどういったことが起こるか、未来のことは未知数だが、自衛隊が戦闘地域において武器の使用に踏み切る可能性が出てきた。そうなれば、戦闘に参加した自衛官のなかに死者が生まれることも予想される。つまり、戦後はじめて「戦死者」が生まれるわけである。 


 そのとき、戦死した自衛官靖国神社に祀るべきだという議論が出てくるはずである。まったくそうした主張が生まれないとは考えられないし、その主張に共感する人間も少なくないものと予想される。


 もちろん、日本人の「戦死者」が出ないにこしたことはないのだけれど、紛争地域に行けば、巻き込まれないとは限らないわけで。
 ただ、この小説の「カッコよさ」に酔って、勘違いしてもいけないのだろうな、とは思います。
 すごく面白いだけに、ね。



靖国神社 (幻冬舎新書)

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靖国神社

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