琥珀色の戯言

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【読書感想】愛国論 ☆☆☆


愛国論

愛国論

内容紹介
永遠の0』の宮部久蔵、『海賊とよばれた男』の国岡鐡造に込められた国を想う気持ちとは!?


大東亜戦争から戦後の自虐史観、そして現在の嫌中嫌韓問題まで、日本人の国への想いがどう変遷してきたのか。そして今後どうなっていくのか。ベストセラー作家百田尚樹と国民的ジャーナリスト田原総一朗が正面から大胆に論じていく。

・『永遠の0』は右翼にも左翼にも叩かれる
大東亜戦争に正義はあったか
・日本人にとっての天皇という存在
自虐史観はなぜ蔓延したのか
慰安婦像にみるお粗末な日本の情報戦略
朝日新聞は「反日」なのか「無能」なだけか


 田原総一朗さんと百田尚樹さんの対談本。
 このお二人、日頃の言動からみると、かなり立ち位置が違うので、話が噛み合うのだろうか?と思っていたのですが、年長の田原さんが、百田さんからうまく言葉を引き出している感じでした。
 百田さんという人も、日頃は「百田尚樹がこんなことをまた言っている」と、ネットで叩かれていること前提で視られているところがあるんですよね。
 僕自身としては、百田さんの言説には納得できないところは多いのですが、この本での言葉を読んでみると、巷間言われているような「戦争賛美のタカ派」という固定観念では語れないというか、百田さんには百田さんなりの理由があるのだな、と。

 この本の冒頭では、百田さんの代表作『永遠の0』について語られているのです。
その中で、百田さんは「戦争体験が、現在50代後半の百田さんの親世代、直接戦争を体験した世代から、百田さんの世代に対しては語られているけれど、百田さんの子供の世代、戦争当事者からすれば孫世代には、ほとんど語られていない」ということに気づいた、と仰っています。

田原総一朗そうそう。僕は最近よく「おじいさんやおばあさんから戦争の話を聞いている?」と若い連中に聞くんだけど、みんな「聞いてない」「しゃべらない」っていうんだ。


百田尚樹戦後60〜70年間に、親たち世代、私の世代、子ども世代という3世代で、大きな知識の断絶が生じてしまった。そこで私は、両親やおじさん、おばさんから戦争の話を受け継いだ世代として、これを下の世代に残すべき義務があるんじゃないか、と思ったんです。『永遠の0』に出てくる宮部久蔵は、ちょうど私の父親の世代なんです。

 そういえば、僕の父方の祖父も太平洋戦争に従軍していて、僕の父親は戦場での体験について聞かされたそうですが、祖父が僕に対してそれを語ることはありませんでした。
 僕がまだ小さいうちに、亡くなってしまったのも理由ではあるのですけど。
 戦争に行った人たちや、戦時中につらい体験をした人たちは、自分の子供たちにそれを伝えても、孫世代に伝えるべきかどうか、迷っていたのかもしれませんね。
 実際にそれを体験していない僕の父親世代、あるいは、百田さんの世代は「話は聞いたけれども、自分自身の経験ではないことを語って良いものなのかどうか」と考えていたような気もします。

 『永遠の0』や、それに関する議論のなかで、「日本の若者たちが、あまりにも太平洋戦争のことについて知らない」という事実に、僕は驚かされてしまったのです。

田原:これは小説家・百田さんの、放送作家またはテレビ制作者的なところだろうと思うけど、『永遠の0』は場面が次から次へと展開し、見せ場や山をつくって飽きさせない。とても用意周到につくり込んでいる印象を受けました。ちょっとつくり過ぎでは、と思った部分もあったくらいなんだ。


百田:わかります。私は、小説は基本的にエンターテインメントだと考えている小説家です。言論人やジャーナリストならば、主張したいところを論文で書けばいい。でも、小説家は、読者のアタマに訴えるよりも、心に訴えることのほうが大事だ、と思うんです。もちろんアタマに訴えることも必要ですけれども。
 評論家なんかはよく「この小説にはテーマがない」と、いったりします。たとえば「戦争は絶対にダメである」というテーマが重要だ、とかね。そんな意見を聞くと私は、だったら原稿用紙を500枚も600枚も埋めていく必要なんかない。「戦争はダメだ」と1行書けば済むじゃないか、思います。


田原:うん、そりゃそうだ。


百田:小説が論文と違うのは、そこです。「戦争はダメだ」「愛が大切だ」「生きるとは、どれほどすばらしいか」なんて1行で書けば済むことを、なぜ500枚、600枚かけて書くのか。それは心に訴えるために書くんです。「戦争はダメ」なんて誰だってわかる。死者300万人と聞けばアタマでわかるし、悲惨な写真1枚見たってわかる。けれども、それはアタマや身体のほんとに深いところには入らない。そんな思いがあって、『永遠の0』という小説を書いたんです。


 百田さんの言い分も、僕にはわかるような気がします。
 確かに、「何が言いたいのか(=テーマ)が重要」ならば、テーマだけ「3行でよろしく」で良いはずですが、それではほとんどの人は受け入れがたいから、あえてそれを小説として「表現」していくんですよね。
 ただ、ここでジャーナリストの田原さんが「ちょっとつくり過ぎでは、と思った部分もあった」というのは、『殉愛』騒動にもつながってくるのです。
 百田さんにとっては、「伝えるためのサービス」であり、「演出」であっても、エンターテインメント小説ならともかく、「ノンフィクション」だと思って読んでいる読者にとっては「嘘」になってしまう。


 この本を読んでいると、「戦後の日本の歴史観について」とか、けっこう二人が意気投合しているところもあるんですよね。
 もっと喧々諤々の議論になるかと予想していたのですが、田原さんのほうが、「自虐史観」をもっと醒めた目でみているようにも感じられました。

田原:ただ、大東亜戦争は間違いだった、と僕は思っている。何が間違いかといえば「負ける戦争をしたこと」が間違いだった。もっといえば、日本人は戦後あまりにもアメリカだけを頼りに、対米従属でやってきた。国家とか外交とか安全保障なんか考えず、経済成長に成功して、いい思いをしてきた。日本人は、そこからなかなか脱却できない。
 僕はNHKの『課外授業ようこそ先輩』という番組で、卒業した滋賀県彦根の小学校6年生に授業をしたんです。初日にこんな宿題を出した。「日本は戦争に負けたけど、負けてよかったのか悪かったのか。どっちでもいいけど、家に帰ったら今晩中に、お父さんやお母さんではわからないと思うから、おじいさん、おばあさんや近所のお年寄りに聞いて、戦争に負けてよかったか悪かったか調べてほしい。明日それについて討論しよう」と。
 翌日、子どもたちを二つに分けて討論しようとしたら、なんと全員が「戦争に負けてよかった」派だった。仕方ないから、学級委員だったか3人ばかりを急遽「悪かった」派に仕立てて討論した。対米従属で悪くなかったという思いが、みんなにあるんです。


百田:負けてそんなに悪くなかったとしても、そりゃあ勝ったほうがもっとよかっただろう、と思いますけどね。


 確かに、「負けてよかった」という発想に、何の疑問も持っていないというのは、不思議なことではありますね。
 「勝っていれば、もっとよかったかもしれない」と思う人がいても、おかしくないはずなのに。
 でも、僕も自分の子供に聞かれたら、「負けてよかったんじゃないかな、勝っているかぎり、戦争は続いていただろうし」と答えると思います。
 なんのかんの言っても、戦後の日本人は、自分たちの軌跡に満足しているのですよね。
 あるいは、「それ以外の選択肢なんてありえない」と思い込んでしまっているのか。


 従軍慰安婦問題、領土問題、朝日新聞についてなど、かなりざっくばらんに話をされているのですが、読んでいると、「百田さんもいろいろと大変だなあ」と思うところも少なくないのです。

百田:世界に200ほど国・地域があるけど、軍隊を持たないところは二十いくつしかない。ヨーロッパ50カ国のなかでは6カ国です。アイスランドは北海道と四国を足したくらいの面積ですが、国のほとんどは氷に覆われています。リヒテンシュタインは小豆島くらいの面積でやや大きい。バチカンモナコサンマリノアンドラは小さな都市国家。そんな国、守りようがない。軍隊を持たない残りの20カ国くらいはカリブ海の国や南太平洋の島です。そこで、私が「ナウルとかバヌアツとかは、家にたとえれば貧乏長屋みたいなもので、鍵をかけてもしゃあないやろ。盗るものあらへん」というたんです。すると……。


田原:NHK経営委員の百田尚樹氏、他国を貧乏と誹謗中傷」。関西人ジョークが通じない。しかも「問題だ!」とは書かず、記事の最後に必ず「問題となる可能性がある」と書く。記事にした時点で自分が問題にしているくせに(笑)。でも、そう書かれるのは、おもしろいじゃない。無視されるより、はるかにいい。本も売れるでしょう(笑)。


百田:「悪名は無名に勝る」ですか。おもしろいですけど、書かれるほうは嫌ですよ(笑)。でも、そう長生きもできないから、生きているうちにいいたいことはいってやろうと思っていますが。むかつくのは、日本のマスコミが、私の発言をわざわざアメリカのマスコミやケネディ駐日大使のところに持っていき、「これ、どう思いますか?」って意見を求めることですよ。で、アメリカが「そんな発言はけしからん」というと、帰ってきて喜んで記事を書く。「日本の皆さん、アメリカさんが怒ってますよ!」って(笑)。こんなマスコミって、世界のどこにあるのかなと思いますね。


 まあ、これに関しては、「それは関西人ジョークだから」という理由が世界に通用するか、という疑問はあります。
 日本人だって、他国から自分たちがどう見えているかというのは、けっこう気になっているし、「アメリカンジョーク」だから、というこことでアメリカの有名人にバカにされたら、やっぱり怒るだろうし。
 百田さんの場合は、サービス精神の暴走であり、一種の「炎上商法」でもあるんですよね。
 おそらく、百田さんの本の読者の大部分は、百田さんの政治的なスタンスとかには、こだわっていないのではなかろうか。

百田:「俺らは、なんにもない。貧しい!」と。でも、そういってるやつが、ブランドもののバッグからスマホを出し、メールを送ったりゲームに興じたりする。「そんな若者、世界のどこにおんねん! 自分らがどれほど豊かか、ちゃんとわかれ! 君らのおじいさん、おばあさんが、70年前に焼け野原だった日本を、ここまで持ち上げたんだ。そのおかげでいま、あんたらは、ここにおるとわからんかい!」と、私は強くいいたい。


 いまの世の中で「若者」やってるのは、そんなに簡単なことじゃないし、スマートフォンも彼らにとっては「必要不可欠なライフライン」ではあるんですよ。
 でも、「戦後」を「仕事漬け」で生きてきた人たちが、いまの若者たちに対して「ぬるい!」って言いたくなる気持ちは理解できなくはないし(外から見える部分に関しては、やっぱり「豊か」になってますからね)、百田さんのこういう「歯に衣着せぬ意見」に共感する人たちが、読者として百田さんを支えているのだろうな、とも思うのです。


 たぶん、「百田尚樹的な考え」って、いわゆる「団塊の世代」後の、ひとつの主流派ではないかな。
 日頃は、ちょっとしゃべろうとすると「炎上」してしまい、あまりきちんと話もできない百田さんなのですが、こうしてまとめて意見を読んでみると、「こういう人は、けっこう大勢いるんじゃないかな」と感じました。
 たまには、「あちらの言い分」を聞いてみるのも、悪くない。
 「百田尚樹が言うことは、全部おかしい」というのも、それはそれで「偏見」だと思うから。

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