- 作者:百田尚樹
- 発売日: 2020/06/25
- メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
ボクシング黎明期からモハメド・アリに至る、26人のヘビー級王者たち。彼らはその圧倒的な強さとカリスマ性で、激動のアメリカ近代史、ひいては世界の趨勢をも動かす存在だった。唯一無二の男たちの栄光と悲哀を余すことなく綴り、読者を熱狂と興奮のリングに引き摺り込む、感動の巨編。
書店で見かけて購入。
著者は百田尚樹さんか……と思ったのですが、あらためて考えてみると、百田さんの小説のなかで僕がいちばん最初に読んだのは『ボックス!』っていう青春ボクシング小説だったんですよね。人は、作家は、自分が本当に好きなものは、面白く書けるのかもしれません。
百田さんは、「史料(資料)を活かして書く」ほうが、自分のアイディアだけで勝負するよりも、良い作品を書いているような気もしますし。
ボクシングの歴史のはじまりから(最初は映画『ファイト・クラブ』みたいな世界だったみたいです)、「世界チャンピオン」が誕生するまで。
その後、ボクシングは大きなお金が動く興行となり、一攫千金を目指して多くの人がチャンピオンを目指すのです。
そのなかで、白人対黒人、という「人種の対決」が大きなテーマになっていたことも語られています。
1700年代の終わり、当時、独立したばかりのアメリカのヴァージニア州の農園主たちがイギリスを訪れた際、この勇敢な格闘技に興味を示した。彼らはアメリカに戻ると、自分たちの奴隷(黒人)同士に金を賭けて戦わせた。これがアメリカでのボクシングのルーツである。
モハメド・アリはかつてこんなことを言ったことがある。
「黒人同士がリングで戦う光景を見ると、やりきれない気持ちになる。『俺の奴隷がお前の奴隷をやっつけるぞ』と言いながら、所有者が賭けをしているところを連想して嫌な気分になるんだ」
この本の最後に登場するのは、第26代世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリなのですが、僕はリアルタイムでアリを観ていないので、せめて、マイク・タイソンまで読みたかった!とは思いました。
ただ、この本を読む限りでは、強さはさておき、その行動が社会に与えた影響なども含めると、アリはタイソンよりもはるかに大きな存在だったのだな、とは感じます。
ボクシング・ファン、格闘技ファンにとっては、すごく面白いし、資料的な価値も高い本ではないでしょうか。
初期の頃の世界ヘビー級チャンピオンは、一度王座につくと、あまり試合をしたがらず、有名人との付き合いにうつつを抜かしたり、イベントなどに出演したりして、「試合をせずに大金を稼ぐ」人が多かった、なんていうのを読むと、のどかな時代だったのだな、と思うのと同時に、チャンピオンになるような人でも、戦わずに稼げるんだったらその方がいいんだな、と妙に納得していました。
ジャック・ジョンソンについて語ることは、ボクシングを語ることにとどまらない。すなわち、アメリカについて語ることでもあり、二十世紀という時代を語ることでもある。
ジョンソンを一行で語るなら、彼の生涯を描いたドキュメンタリー映像作家、ケン・バーンズの次の言葉ほど適切なものはないだろう。
「十三年以上にわたり、ジャック・ジョンソンは地球上でもっとも有名であると同時に、最も悪名高いアフリカ系アメリカ人であった」
「ガルベストンの巨人」(The Galveston Giant)と呼ばれたジョンソンの生涯は謎と伝説に満ちている。またその強さは半ば神格化されて語られる。
「ザ・グレート・ホワイト・ホープ」(The Great White Hope)──この言葉はヘビー級の世界で、その後、何十年にもわたって使われる言葉となる。
アメリカで白人の有望選手が現れると、メディアは必ずと言っていいほど、この形容詞を冠した。しかしこの言葉は本来、ジャック・ジョンソンを打ち倒す白人ホープに冠された言葉である。
ジョンソンは黒人をタイトル戦から締め出す「カラーライン」を憎んだが、自分がチャンピオンになると、黒人との対戦を拒んだ。伴侶に白人女性を選んだジョンソンは、対戦相手にも白人ボクサーを選んだのだ。ジョンソンはその理由について、「黒人とタイトル戦を行っても金にならない」と言った。金のために戦うジョンソンならではのセリフだが、ビジネス的には真実を突いている。黒人同士の試合をプロモートする白人はいなかったし、仮に試合を組んでも、貧乏な黒人観客を相手に高額チケットの売れ行きは期待できなかったからだ。
著者は、アフリカ系アメリカ人として、はじめて世界ヘビー級チャンピオンになった、ジャック・ジョンソンについて、多くのページを割いて語っています。
「カラーライン」という、「黒人をタイトル戦から締め出す」という「ルール」が認められていた時代にチャンピンになったジョンソンなのですが、試合中は白人ボクサーに罵声を浴びせ、私生活でも白人女性を妻にして、白人たちの怒りを買っています(当時は、黒人男性と白人女性の結婚は「違法ではないが、常識ではありえない」という時代だったのです)。
はじめてアフリカ系アメリカ人として世界ヘビー級チャンピオンになったジャック・ジョンソンは、差別されていた人種に勇気を与えた一方で、「白人と黒人の対立を煽る」方法で、多くの観客を集め、興行を成功させ、莫大なカネを生む、ということを世に知らしめました。
人は、スポーツマンシップに則ったフェアで爽やかな勝負よりも、なんらかの憎しみやドラマを投影された人間同士の戦いに、より興味を持つし、見てみたい、と思う。
そこには、大きなお金が動くようになるのです。
この本では、可能なかぎり、世界タイトルマッチの場所と観客動員数、興行収入、そして、チャンピオンと挑戦者のファイトマネーが紹介されています。
その、データへのこだわりに、僕は「なんでこんなにお金の話ばかりするのだろう?」と疑問だったのですが、読み進めていくうちに、これは「大衆は、どういう試合、戦いに、より興味を示すのか」をボクシングを題材にして語っているのだと気がついたのです。
初代王者として認められたジョン・L・サリバン以来、世界ヘビー級のチャンピオンは同時代の「地上最強の男」であり、アメリカの英雄であった。歴代王者はいずれも歴史に残る素晴らしいチャンピオンであり、その人気と知名度はアメリカ大統領に匹敵すると言われた。
モハメド・アリ以前の世界ヘビー級チャンピオンの中に、アメリカ社会を変えるほどの力を持った偉大な二人の男がいた。一人は黒人初の世界チャンピオンとなったジャック・ジョンソンである。黒人には公民権さえ与えられていない時代にチャンピオンとなったジョンソンは、黒人差別に対して堂々と「NO!」と言い、白人社会と真っ向から闘った。その激しすぎる生き方によって、彼は苦難の人生を送るが、彼が黒人たちに与えた勇気は計り知れない。
もう一人は黒人として二人目の世界ヘビー級チャンピオンとなったジョー・ルイスである。ルイスはジョンソンとは違い、黒人差別に対して異議を唱えることはなく、白人に従順なチャンピオンとして生きたが、その圧倒的な強さにより、アメリカにおける黒人の地位を引き上げた。「ナチスのボクサー」のレッテルを貼られたマックス・シュメリングとの一戦は、アメリカを代表しての戦いであり、その勝利は全米が祝福した。ルイスの存在がなければ、大リーグで黒人選手がプレーするのは何年も遅れただろうと言われている。
そして今、モハメド・アリはその二人に肩を並べたと言える。いや、もしかしたらその二人を凌駕した存在となった。アリはしばしば「二十世紀最高のスポーツ選手」と評されるが、アリは単なるスポーツ選手のカテゴリーに留まる存在ではない。まさに社会的な存在として歴史に記される人物であり、生きながら伝説となった男である。
ジャック・ジョンソンの時代には、「黒人がチャンピオンであること」への反発から、白人選手の勝利を見ようと、多くの人がタイトルマッチに集まりました。
第二次世界大戦開戦前のジョー・ルイスの時代には「アメリカの自由と正義」を投影されたルイスと、ドイツ出身で「ナチスのボクサー」と見なされたマックス・シュメリングとの「アメリカの自由とナチスとの代理戦争」に多くのアメリカ人が、熱狂的に黒人ボクサーであるルイスを応援したのです。
実際のシュメリングという人は、ナチスに対して終始批判的な姿勢を貫き、命をかけてナチスに追われた人たちを救ったり、かつてのライバルたちを援助し続けた、気骨のあるドイツ人だったにもかかわらず。
この本のなかで、僕はいちばん心を動かされたのは、このマックス・シュメリングの第二次世界大戦中、そして戦後のエピソードだったんですよ。
彼にブーイングを浴びせた多くのアメリカ人よりも、ずっと「アメリカ的な精神」を持っていた人だった好漢シュメリング。戦争とか興行とかいうものは、こんな人を「ナチスの犬」のように扱ってしまうものなのです。
モハメド・アリも、「白人と黒人」の対立とともに、ベトナム戦争への反戦運動の象徴として、アメリカでは大きな議論を巻き起こしました。
彼らが「強いチャンピオン」であることは間違いないのですが、「憎悪」とか「対立」が背景にあればこそ、彼らが大きなお金と成功を得ることができたのも事実です。
結局のところ、人は「何かに憎しみや『自分たちの側の優位』を投影したい」生き物なのかもしれません。
それが、実際に闘っている人たちが望まない感情なのだとしても。
偉大なボクシングの世界ヘビー級チャンピオンたちの列伝とともに、スポーツ(格闘技)とお金、人々がスポーツに投影するものとは何なのか?についても考えさせられる作品でした。