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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】女装して、一年間暮らしてみました。☆☆☆☆


女装して、一年間暮らしてみました。

女装して、一年間暮らしてみました。


Kindle版もあります。

女装して、一年間暮らしてみました。

女装して、一年間暮らしてみました。

内容紹介
この本は、もとテレビ番組・映画プロデューサーとして名をはせた著者が、一年間女装をするという「実験」をして暮らしてみたドキュメンタリーです。
きっかけはなんと、一足のストッキングでした。
「モモヒキは暑すぎるけれど、なにもはかないと風邪をひく」という切実な理由から、デパートでストッキングを買ってはいてみたところ……「女性の世界には、こんなにいいものがあるのか!」と思ったところから、この生活は始まります。


そうはいっても、単なるオモシロ本とあなどることなかれ。
著者は、女装をすることによって生まれた心の変化(男性の役割から解放されるって、なんて自由なんだろう)、これまで縛られていた心(完璧に男らしくいなくては、人から愛されない)、女性として生きる大変さ(電車内でチカンにあう)、女性アンテナの発見(男でいるときには見えなかった世界が見える)などを体験し、考察し、男と女の違いを説明しようと奮闘します。


初めての化粧、初めての女子会、初めての婦人科検診、妻へのカミングアウトなどを経てたどりついた、心の中の足かせをはずす方法とは? 「性」の真実とは?
自分ではなかなか経験できない新しい世界を知ることができる、貴重な一冊。


 ドイツで、一年間女装をして生活してみた男性の体験記。
 この本のタイトルをみて、僕は、著者がどういうスタンスで「女装」をして暮らしてみたのかな、と思ったのです。
 もともと女装癖があったのか?
 性同一性障害を抱えていたのか?
 あるいは、そういう「切実な事情」ではなく、純粋に「実験」として、「女装した男性に対する周囲の反応」をみてみようとしたのか?


 著者には妻もおり、妻にも打ち明けて、これを実行しています。
 きっかけは、足の防寒具として、ストッキングを履いてみたこと、だったのですが、そこからどんどん、「女性の姿になること」にのめり込んでいくのです。
 でも、著者は最後まで、「自分は本当は女性なんだ」というところには行き着かない。
 女性へのあこがれや共感はあるけれど、やっぱり、自分は男性である、という立場から、この本は書かれています。
 女装をしている、というだけで、周囲の女性、そして男性からの「視られかた」「扱われかた」というのはこんなに変わってくるのか、と読んでいると驚かされるのです。
 そして、著者自身の「視られている自分」への心境の変化も。

 テレビ業界で働いていたころから、僕はいやというほど男の醜さを目の当たりにしてきた。
 常にほかの人よりも気の利いたコメントを発し、機知に富む(あるいはそう聞こえる)ジョークを飛ばさなければならない。誰もが実際以上に自分を大きく見せようと必死だ。そういう男たちを見るたびに僕は「痛々しい」と感じていた。腐った友情を捨てられない男や、自分と違う意見をもつ相手はこてんぱんにやっつけなければ気がすまないやつらも同類だ。そんな連中とは距離を置きたいと願うようになっていた。
 男とはこうあらねばならない。女はこうふるまうものだ、などといった堅苦しい偏見に抵抗するための手段として、僕は女性に変身することを思いついた。性別という壁に対する個人的な抵抗運動だ。革命と言っても過言ではない。そうすることで、自分がもつ偏見も明らかになることだろう。まわりの人々も巻き込むことになるかもしれないが、望むところだ。


 僕自身に女装癖は無いんですけど、男として生まれると、「男らしくしろ」っていう有形無形のプレッシャーって、あるんですよね。
 これは、女性であれば「女らしく」なのだろうけど。
 それは男同士での競争みたいな感じの場合だけではなく、異性から、そういうふうに言われることもある。
 「男女平等」を主張している人が、別の折には「男の子だったら、男らしくしなさい!」なんて口にするのは、珍しいことではありません。
 「平等」と「男らしさ、女らしさ」は別物だ、ということなのかもしれませんけど。


 著者が女装をして電車に乗ったときの話。

 すると横のほうで三人の背広姿の男たちが立ち上がった。それまで彼らは女性の話をしていたのだが、僕の顔を見たとたんに口を閉ざした。僕に気づかないふりをしながら、横目でじろじろとながめてくる。
 身に覚えがある。僕もそうしていたから。じろじろ見られる女性がどう感じるのか、初めてわかった。小声で友人と話している限り、その女性の耳には何も聞こえないはずと男の僕は思っていた。チラ見しても気づかない、何を考えているのかなんてわからない、ちょっとぐらい聞こえてもだいじょうぶ。そう思い込んでいた。でも錯覚だった! 性別の垣根を越えてみて、初めてわかった。女性は動くアンテナ。すべてを感受できるのだ。
 女性になることで、僕のアンテナは“送信”から“受診”に切り替わっていた。常に何かを発信していなえればならないという男の習性が消えていた。


 この本を読んでいると、「女性というのは、こんなふうに誰かの視線を気にして、自分がどう見られているのかを意識しているものなのだろうか」と考えこまずにはいられませんでした。
 女装した著者はかなり綺麗にみえていたようなので、なおさらなのかもしれませんが。
 ホームパーティに呼ばれたときに「何を着てくるのか?」としきりに尋ねられた、という話も出てくるんですよね。
 男だって「今日の研究会、偉い人が来るから、スーツ着て出たほうがいいよね……」というくらいの「確認」はするのですが、女性の場合は、服装がかぶってはいけない、とか、いろんな配慮が必要なのだよなあ。「スーツの色がかぶらないように」なんて考えたことない。
 装飾品とか下着のバリエーションの多さというのも、僕には「めんどくさそう……」なのですが、著者によると、「女性の姿になってみると、ちょっとした服装の違いにも敏感になって、ショッピングに時間をかけたくなる気持ちがわかる」そうです。
 読めば読むほど、これは「実験」なのか、著者の「欲求」なのか、わからなくなってしまうところもありました。
 周囲の反応とかを読んでいると、「やっぱり、学問的な探究心だけで、一年間も女装を続けるのは、難しいのではないか」とか感じましたし。
 それに、「女装した男性」は、「普通の女性」よりも注目されるのは事実でしょう。


 この本のなかには、男性に襲われたエピソードも出てきます。
 危機一髪のところで、著者はなんとか致命的なダメージを受けずにすんだのですが、「女性であること」は、日常生活において、ある日突然、深刻な性的ダメージを受けるリスクが男性よりも高いということを考えずにはいられませんでした。


 基本的に、著者の実験は、すごく「楽しそう」ではあるんですけどね。
 世の中には、経験してみてわかる「現実」もある。
 著者のこの「実験」に際して、協力してくれた友人もいたのですが、多くの人は、彼と距離を置くようになったそうです。
 それは「中年の危機」だと決めつけられたり、人前で嘲笑されたり。

 年寄りに比べて若い人たちのほうが寛容だ、と僕は思い込んでいた。道徳や礼儀にうるさい人々とは違い、「カジュアルな、ときにはだらしないとすら思える服装をした」気さくな人々は、僕のことを受け入れてくれるだろう、と期待していた。でも、逆のほうが多かった。圧倒的に多かった。
 一見“自由に”生きている人々に限って、心ない言葉を投げてくる。ほとんどが男だ。高齢者のほうが僕に寛容で、興味を示してくる。男女とも、高齢になればなるほどオープンになる。それに、寛容さが求められる職業(セラピストや俳優)に就いている人に限って、極度に了見が狭いのもショックだった。自分の世界観を壊したくないからだろうか? いずれにせよ、もっともらしいことを言いながら僕を拒絶する。
 苦しかった。いったい何を信じて生きていけばいいのだろうか?


 友人たちが「困惑」するのも僕にはよくわかります。
 寛容なはず、と思われる人びとが、その人の許容範囲をこえると、急に不寛容に陥ってしまうというのもわかる。
 本当に「何でもあり」という人は、ものすごく少なくて、日ごろ寛容にみえる人が、「自分はここまで譲っているのだから、その境界をこえたら許せない」と、豹変することもある。


 この「実験」の結末はどうなるのか?
 著者と妻との関係は、どう変化していったのか?


「訳者あとがき」には、こう書かれています。

 完全な女性になりたいという思いから、スカート、ハイヒール、メーキャップ、乳房と実験はどんどんエスカレートしていく。女子会を開き、婦人科の検診も受け、挙げ句の果てには女性の格好で飛行機に乗り、外国へバカンスにも行く。その様子がおもしろおかしく事細かに報告されている。
 性転換者の多くは、性別を変えるきっかけとして子どものころに味わった苦しみやつらい体験を挙げる。「間違った体に生まれてしまった」とか「心は女の子なのに体だけが男の子でつらかった」といった話をよく耳にする。しかし著者ザイデルは男らしく振る舞うことに窮屈さこそ感じてはいるが、男性であること自体に苦しみや疑問を抱いているわけではない。女性と男性の違いは何なのか、女性のほうが男性よりもリラックスした楽しい生活を送っているのではないか、といった純粋な好奇心から前向きに実験に取り組んでいる。だから、本書は読んでいてとても楽しいし、肩がこらない。


「男としての感覚」を持ったまま、「女性としての体験」を積み重ねていくところが、この本の面白さであり、他の性同一障害者の「告白」と差別化されているところなのです。
 それだけに「所詮、腰掛けみたいなものだろ」という感じもするのですけどね。


 女性は、この著者の感覚に、どのくらい「共感」するのだろう?
 もし読んだ女性がいらっしゃったら、教えていただきたい。