琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

エベレスト 3D ☆☆☆☆



あらすじ
世界にその名をとどろかせるエベレスト登頂を目指し世界各地から集まったベテラン登山家たちは、参加者の体調不良などトラブルが重なり下山が大幅に遅れる。さらに天候が急激に悪化し、命の危険性が劇的に高いデスゾーンで離れ離れになってしまう。ブリザードや酸欠などの極限状況に追い込まれた一行は……。

参考リンク(1):映画『エベレスト 3D』公式サイト


2015年28作目。
土曜日の19時からの回を観ました。3D字幕版。
なんとなく字幕版を選んでしまったのですが、エベレストの景色を存分に味わうには、吹き替え版のほうが良かったかな、と思います。
あと、この映画『エベレスト 3D』までがタイトルみたいなのですが、2D版って、どこかで公開されているのでしょうか。この映画に関しては、3Dが良さそうですけど。3D酔いもしなかったし(でも、高所のシーンとか、ものすごく怖い)。


この映画、1996年にエベレストで起こった遭難事故を題材にしています。
アメリカでは(あるいは、登山、アウトドア愛好家のあいだでは)けっこう大きく採りあげられた事故だったようなので、作中には、この遭難の背景などについて、あまり詳しい説明はありませんので、このエントリなどは参考になると思います。


参考リンク(2):【読書感想】ツアー事故はなぜ起こるのか(琥珀色の戯言)


この新書のなかでは、「客の願望を叶えるための、さまざまなツアー」の一端が紹介されています。

 エベレストが最も典型的だが、プロの登山家に案内してもらい、荷物や酸素ボンベ、食材などはすべてシェルパに運んでもらって頂上を目指す登山隊の事を日本では、営業登山、あるいは公募隊、商業登山、ガイド登山などとさまざまな名称で呼んでいる。筆者自身は営業登山とこれまで表記していたが、本書では商業公募登山隊と記すこととしたい。


この『エベレスト』の題材となったのは、1996年に、この「商業公募登山隊」の参加者が犠牲になった遭難事故なのです。

参加したのは、全くの山の素人、というわけではありませんでしたが(さすがに「はじめて登る山がエベレスト」みたいな人は、いくらお金を積んでも無理みたいです。そりゃそうですね)、エベレストに登頂するには、技量・体力が不足している人もいたのです。

この登山そのものが「公募登山を運営している側にとっての『宣伝』の意味合いが強かったこともあり(有名人やジャーナリストも参加していたので)、この登山の責任者たちは、危険なサインが数多くあったにもかかわらず、「安全」よりも「登頂」を優先し、結果的に犠牲者を出してしまったのです。


この映画のなかでは、エベレストの狭い登山ルートに一度に登山者が押し寄せることによる「渋滞」のリスクや、エベレストに挑むにはちょっと実力不足ではないか、と思われるような参加者、ひとり6万ドルという高額の参加費の話も出てきます。
ツアーガイドたちが妙に「山慣れ」してしまって、安全確認を怠ったり、体調を整えず無理に頂上を目指したりする様子も描かれているのです。
彼らは、苛酷なエベレストを甘くみすぎていたのではないか?


その一方で、「無謀な素人ツアーによる事故」というイメージは、この映画が事実に基づいているのであれば、それはそれで偏見なのかな、と。
「山にのぼったこともないような人を、いきなりエベレストに登らせる」というレベルの無謀さではなく、ほとんどの参加者は7000mから8000m級の山に登った経験があり、エベレストでも高地に慣れるための訓練もちゃんと行っていたし、トラブルが起こったときのための酸素ボンベや登りやすくするためのロープも、あらかじめ用意されている……はずだったのです。
何かひとつ、決定的な原因があったというよりは、判断ミスや油断、準備不足などが積み重なって、こんな事故になってしまった。


個人的には、そこまでしてあの山に登りたくて、登って命を落とした人たちのことを、そんなに責めたり哀れんだりするような気持ちにもなれなくて。
こんな「平凡な毎日」を過ごし、寿命を消化していくだけの人生をおくっている僕には、限界に挑戦して、世界でいちばん高いところを目指して燃え尽きるような生きざまが、なんだかとても美しくみえるというか、それはそれで良いのではないか、という気持ちもわき上がってきたのです。
憧れの場所で死んで、あの山の一部になるっていうのも、それはそれで良いんじゃないか。
とはいえ、誰かが遭難すれば、悲しむ人がいて、捜索するために危険をおかす人たちもいる。
ほんと、登山者たちの極限でのモラルって、すごいな、と思うのです。
自分の命だってどうなるかわからないような状況で、おそらく助からないであろう、ここで知り合っただけの他人を引きずってでも、一緒に降りようとするのだから。
(もちろん、全員がそうしたわけではないけれど)


この映画でのロブ・ホールは、多くの人を引率して登山するには、あまりにも優しすぎる男のようにもみえました。
いやそこは潔く「撤退」したほうが……と、結果を知っている僕は1996年に向かって叫びたくなるのだけれど、このチャンスを逃したくない、という参加者の気持ちに寄り添ってしまうのもわかる。
こんなにボロボロの状態で……と思うけれど、逆に、ボロボロにならずにエベレストに登頂できる人なんて、そんなにいないのだろうし。


「そんな危険な場所に、行く必要ないんじゃない?」って言いたくなるんですよ。
僕だって、行かない。
でも、冒険的な人間ではないけれど、冒険家たちの話を聞くのが大好きな僕は、彼らに憧れてしまう。


この映画を観ながら、僕はずっと、圧倒されていました。
なんとなく近所の山に登る延長のようなイメージでみていたエベレスト登山って、ベースキャンプの様子って、こんなふうになっているのか!ということがわかって、けっこう嬉しくもありましたし。
こういう準備をして、お祓いみたいなのもして、何度も高地に慣れるためのトレーニングを繰り返して、けっこう高い位置から、頂上に「アタック」する(ちなみに、最近の登山用語では、「アタック」っていうのは日本人くらいだそうです)。
自力では一生登ることはないであろうエベレストを、こうやって疑似体験できるなんて。
結局のところ、「商業登山」をする人たちだって、やむにやまれぬ思いがあって、高いお金を払って「なんとか登ろうとした人たち」ではあるんですよね。
「内戦などで危険な観光地でも、どうしても観たくて行ってしまう人たち」と、そんなに違わないのかも。


ラスト近くで印象に残ったのは、ヘリコプターの操縦めちゃくちゃ上手いな、というのと、ある遭難者の家族が国に対して行ったことを日本人がやったら、「自己責任だろ!」の大合唱になるのではないか、というのと。


正直なところ、この映画、観ていても全く楽しくはありません。
エベレストの光景に息をのむところはたくさんあるのだけれど、とくに後半、多くの人が遭難していく場面では、画面をみているのがつらくなります。
なんでお金を払って、こんなヒリヒリした思いをしなければならないのだろう、と、緊張のあまり四肢を突っ張りながら、僕は考えていました。
ドラマチックな展開や教訓めいたエピソードなどなく、ただひたすら、大自然の容赦ない気まぐれの前に、登山者たちが翻弄されていく。
いや、それこそがまさに、この映画の「教訓」なのだろうか。


「楽しい映画」を観たい人には、オススメしがたい作品です。
でも、「すごい映画」「映画館でしかできない体験」を求めている人は、劇場で観てほしい。