- 作者:河野 啓
- 発売日: 2020/11/26
- メディア: 単行本
2020年 第18回 開高健ノンフィクション賞受賞作。
両手の指9本を失いながら“七大陸最高峰単独無酸素”登頂を目指した登山家・栗城史多(くりき のぶかず)氏。エベレスト登頂をインターネットで生中継することを掲げ、SNS時代の寵児と称賛を受けた。しかし、8度目の挑戦となった2018年5月21日、滑落死。35歳だった。
彼はなぜ凍傷で指を失ったあともエベレストに挑み続けたのか?
最後の挑戦に、登れるはずのない最難関のルートを選んだ理由は何だったのか?
滑落死は本当に事故だったのか? そして、彼は何者だったのか。
謎多き人気クライマーの心の内を、綿密な取材で解き明かす。
「登山家」栗城史多(くりき のぶかず)さんがエベレストで滑落死してから、もう2年半になるんですね(2020年12月にこれを書いています)。
当時は、ネットでも賛否両論というか、「ただでさえ登山家としての実力も経験も不足していた栗城さんが、無謀な挑戦を繰り返し、最後は命を落としてしまったこと」に対する否定的な意見が多かったような気がします。
登れないことがわかっていたにもかかわらず、承認欲求を抑えきれずに、エベレストに登る物語を続けようとしていただけなのではないか?
「命を落としてまで、無謀な挑戦を続けなくてもよかったのに」
と言いたくなる気持ちは、僕にもあるのです。
その一方で、結局のところ、栗城さんの人生というのは、こういう形で「決着をつける」しかなかったのではないか、とも感じています。
著者が、栗城さんが亡くなったあとに書いておられたブログ、僕も読んでいました。
かつて私は、北海道放送のディレクターとして栗城さんを約2年にわたって取材した。2008年から2009年にかけてである。
著者は、北海道のテレビ局のディレクターとして、栗城史多という「登山家」を世に出すきっかけをつくった人のひとりでもあるのです。
ただ、著者自身は、途中から栗城さんの「変心や不義理」もあって疎遠になっていたそうです。
その空白期間については、関係者の取材で埋めつつ、「著者からみた、栗城史多」について誠実に書かれているのです。
それゆえに、「有名になり、エベレストに挑戦しようとするまでの栗城さん」の描写には著者自身の体験や実感が反映されているのですが、「有名になってから、エベレスト登山に繰り返し失敗し、追いつめられていく栗城さん」に関しては、少し距離を置いた内容になっていると感じました。
2004年、栗城さんはマッキンリー(アメリカ合衆国アラスカ州にある山で、北アメリカ大陸の最高峰 。標高6,190.4m)の単独での登頂に成功します。
それは、周囲からみれば、無謀極まりない挑戦でした。
単独でマッキンリーに登ると言い張る栗城さんを、森下さん(大学時代の山岳部の先輩)は「考え直せ」と何度も説得した。しかし、翻意させることはできなかった。
「栗城の技術じゃ無理だ、って誰もが思いますよ。中山峠から小樽まで縦走したぐらいの経験でマッキンリーに登ろうだなんて、普通は思わないんです」
ところが、この無謀な挑戦に、栗城さんは成功してしまうのです。運もあったのでしょうが、この本のなかで、著者は、栗城さんの、やると決めたことへの粘り強さ(しつこい、と書かれているところもあります)を何度も強調しているんですよね。
そして、この成功が、栗城さんをさらなる「無謀とされる挑戦」に駆り立てていったのです。
「やってみたらできた」という成功体験が、結果的には、栗城さんから「諦める」「やり方や自分自身を変える」という選択肢を消してしまったような気もします。
「だって、もったいないじゃないですか? こんなに苦労して登っているのに誰も知らないなんて」
登山の過程を自撮りする理由を、栗城さんはそう語った。私は彼の言葉に納得がいった。取材する人間の心情に近い気がしたのだ。
マッキンリーに登った半年後の2005年1月、栗城さんは南米大陸最高峰アコンカグアに向かう。撮影された映像を見ると、栗城さんが「シーンを作ろう」と意識しているのがわかった。
この登山で栗城さんは、肺水腫にかかってしまう。気圧が低いため毛細血管から水が染み出て肺にたまる、高山病の一つだ。息が苦しくて三日間動けなかった。テントの中でひたすら腹式呼吸を繰り返す自分の姿を、栗城さんは映していた。
《苦しいときこそ見せ場だ、カメラに収めなければ……》
そんな思いが伝わってきた。
ルートで一番の難所は、斜度60度の氷河の壁だった。壁の上から下へカメラをゆっくりパンダウンして、傾斜の強さをしっかりと映像でわからせた。そこに自ら語りを入れている。
「ここで滑ったら谷底まで落ちてしまうでしょう」
壁を登っていく汗みずくの顔も自撮りしていた。このとき栗城さんは、自分の上を別の登山家が登っている幻覚を見たそうだ。気圧が低いと、肺もそうだが脳にも水がたまる。「幻覚を見たのは軽い脳浮腫を発症していたからだと思う」と語っていた。
アコンカグアの山頂には、鉄製の十字架が置いてある。栗城さんはその十字架を起こすと、恋人のように胸に抱いた。
「もうダメかと思ったね」
登山の実力よりも、パフォーマンスで話題を集める「劇場型登山家」栗城史多。ネット配信や講演で多くの人の心をつかんでいったものの、栗城さんの登山家としての実力不足を指摘し、「過剰演出」を否定する登山家も少なくありませんでした。
そもそも、登山というのは、自分自身と山とのストイックな闘いであり、「人に見せたり、何かを共有するためのもの」にしてしまうのは、おかしいのではないか。
逆にいえば、そういう登山家たちの孤高で排他的なふるまいこそが、栗城さんのようなサービス精神旺盛なクライマーがふつうの人たちにもてはやされる理由になったのかもしれません。
栗城さんの人物評を尋ねると、こう答える人が多い。
「憎めないヤツ」
一方で、山の先輩Gさんや、初期の応援団長だった札幌の某弁護士のように、心のメーターが「かわいさ余って……」に振り切れた人もいる。
私自身はどうかというと、彼を目の前にするとそれまで抱えていた不満や怒りが萎えていく感覚があった。どうも強く言えないのだ。持って生まれた愛嬌もあるだろうが、それだけではない気がする。
一つ告白しておかなければならない。
私は彼のある言葉を、「虚偽表示」や「誇大広告」の臭いを感じながらも、「まあ本人が言っているのだから」と番組の中で垂れ流してきた。
彼が掲げる『単独無酸素での七大陸最高峰登頂』が、それだ。栗城さんに初めて会ったとき、彼は「酸素ボンベは重いし高価なので、これまで登った六つの最高峰では使わなかった」と私に語った。しかしそれは、彼のいわば「ネタ」だった。
どういうことか?
そもそも酸素ボンベを使って登るのは、8000メートル峰だけなのだ。つまり七大陸最高峰のうち、エベレストのみ。他の六つの最高峰にボンベを担いで登る人間など、端(はな)からいないのである。「単独無酸素」と「七大陸」がセットになること自体、ひどく誤解を生む表現なのだ。
栗城さんの夢を正確に表現するなら……。
『単独での七大陸最高峰登頂、および無酸素でのエベレスト登頂』
私は全国放送の番組に出した企画書に、彼が語った「酸素ボンベは重いし……」のくだりをそのまま書いた。しかし不勉強を自覚しているから、提出前に確認を求めた。栗城さんは「面白い」としか言わなかった。企画書の段階とはいえ、テレビは不特定多数の人に見てもらうものだ。そこに描かれる主人公なら「河野さん、勘違いしていますよ。ここ直してください」と、視聴者に誤解を与えないよう注意を払うのが普通ではないだろうか。
日本ヒマラヤ協会の大内倫文さんともこの話題になった。「国語力の問題じゃないですよね?」と私が言うと、大内さんは「まさか」と笑った。
「確信犯だよ。スポンサーから金を引き出すために、しれ~っと言ってんだ」
メディアや講演会の聴衆にアピールするためにも、キャッチーな言葉が必要だったのだろう、正確な表現よりも。
登山に詳しくない僕は、7000mと8000mの山は、どっちも「ものすごく高い」けど、1000mの違いしかない、と思っていたんですよ。
ところが、さまざまな条件(酸素の濃度や気象の変化、地形など)から、8000m以上の高峰というのは、それ以下の高い山よりも、さらに別次元の厳しい世界なのです。
なかでも、エベレストという山の厳しさは、別格ともいえるもので、そのなかでも難しいルートを、もともと登山の技術が高いわけでもなく、凍傷で指を失っている栗城さんが登るというのは「無謀」だとしか言いようがありません。
栗城さんは、奇跡を信じていたのか、どうせダメなら、より困難なルートに挑戦して敗れたほうがドラマチックだと判断したのか、度重なる失敗で世間の興味が薄れ、スポンサーからの資金集めも難しくなっていることに焦り、正常な判断力を失ってしまっていたのか……
著者は、関係者への取材と綿密な調査にもとづいて、栗城さんの「登山家としてのルール違反」にも言及しているのです。
でも、僕がそれを読んだときに受けた印象は「栗城さんは嘘つきだ。登山家失格だ」という憤りではなくて、「まあ、そういうことをやってしまうのが『人間』だよなあ」という、「納得感」みたいなものだったんですよ。むしろ、なんでもありで、酸素を吸いまくり、シェルパたちのつくった神輿にかつがれてエベレストに登ってしまっても、みんな苦笑しながら許したのではなかろうか。今はそういう時代だよね、って。
栗城さんは、そこまで開き直れるほどの「詐欺師」ではなかったのでしょう。
栗城さんは、他の道で、その「人を動かす才能」を活かせばよかったのに、というのと、こういう形で「落とし前」をつけるしかなかったのかもしれないな、という思いが入り混じって、なんともいえない読後感でした。