琥珀色の戯言

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【読書感想】ヒキコモリ漂流記 ☆☆☆☆


ヒキコモリ漂流記

ヒキコモリ漂流記


Kindle版もあります。

ヒキコモリ漂流記

ヒキコモリ漂流記

内容紹介
神童の運命はウンコで変わった!? 

26年前の夏。優等生だった一人の中学生が突然、引きこもり生活に……。            「神童」→「名門中学に合格」→「引きこもり」→「大検を取得で大学へ」→「2年足らずで失踪」→「上京して芸人に」→「借金から債務整理」→そして、「復活(ルネッサンス)!」


人生いつだってやり直せる!? 髭男爵が七転び八起きの人生から学んだやり直しのルール。


auスマートパスとマガジンワールドで好評WEB連載中の山田ルイ53世の自叙伝『ヒキコモ・ル・ネサンス』が、待望の書籍化決定!


 あの「髭男爵」の山田ルイ53世さんの半生記。
 ルネッサーーンス!で一発当てるまでには、こんなことがあったのか……
 この本のなかで、山田さんは、自分の幼稚園時代から、芸人という道を見つけ、東京に出てくるものの、あまり売れない時期が続くところまでを語っておられます。
 個人的には、山田さんが芸人として、どのように暮らしてきたのか、売れるというのはどういう感じで、それをどんなふうに自分で眺めていたのかというのを知りたいな、と思ったのですが、またどこかでそのあたりの話を読む機会があるかもしれませんね。


 山田少年は幼稚園時代から勉強もスポーツもできて、クラスのリーダー的な存在であり、小学校のとき、ふと思い立って中学受験をしたら神戸の名門校に合格し、そこでも成績優秀で「山田くんはこのままいけば、東大に行けますよ」と先生にも言われていたのだとか。
 ただ、中学受験の時期くらいから、変調はみられていたようです。

 中学に入る少し前から、つまり、中学受験に臨んでいる最中から、僕はある種の儀式めいた「段取り」にこだわるようになっていた。
 実際その「段取り」を守って、実行することで、中学受験の勉強もしっかりと集中して出来たし、結果として合格したのだから、それはそれで成功だった。正解だったと言っていいと思う。
 しかし、この頃になると、その段取りが悪い方向に進化し、増大し、宿題とかテスト勉強などの、「本当にやらないと駄目なこと」に辿り着く前に、僕を疲れさせてしまう……そんなことがよく起こった。
 例えば、勉強を始めようとする。
 すると、その前に、部屋の掃除をキチっとしなければならない。そうしないと気が済まない。
 まず掃除機をかける。ありとあらゆる埃やゴミ、自分の体毛のたぐい、とにかく「すべて」を吸いとらなければならない。そうしないと、勉強していても気になって手につかないので仕方がない。

 これは山田さんの当時の「ルーティン」の一部で、この儀式は次第にエスカレートしていき、床や机、文房具などを拭いてピカピカにし、自分自身に付着した埃を粘着テープで徹底的にとり、手の指の関節を10本全部鳴らす、などの段取りを済ませてしまわないと、勉強に取りかかれないようになっていったそうです。
 これを毎回やっていたら、勉強する時間なんて、なくなってしまうのではなかろうか……
 こういう「潔癖性」というか「ルーティンへの異常なまでのこだわり」が、当時の山田さんにはあったのです。
 それでも、勉強もスポーツもできる生徒として、家の外では、うまくやっていたはずでした。


 それが、あるきっかけで、家に引きこもるようになってしまい、家庭も崩壊(これは、もともと崩壊していた家庭が、顕在化してしまっただけかもしれないけれど)。
 一念発起して大検を受け、愛媛大学の夜間部に合格したものの、生来の「リセットしたい願望」に抗えず、芸人の世界へ……


 僕がこの本を読んでいて印象に残ったのは、子供の頃「神童」と呼ばれ、周りからもチヤホヤされていた山田さんが、中学生時代の引きこもり以降を「余りものの人生」だと考えていた、ということなんですよね。
 中学生って、とりあえずまだ、未来に希望があってもよさそうなものじゃないですか。
 でも、あまりにもデキすぎる子供って、こういう感情にとらわれてしまうというか、いつまでも「子供の頃、あるいは、受験でデキていた自分」を引きずってしまうことがあるのかもしれないな、って。


 山田さんの「引きこもり時代」の話に、こういうのがありました。

 バイトをしていて、まず辛かったのが音楽である。
 僕が働いていたコンビニでは、営業時間中、延々とひっきりなしに、ノンストップで「有線」が流れていた。チャンネルの都合なのか分からないが、その有線では、当時のヒット曲がガンガン流れてくる。若者に向けての、恋愛ソングや、ポジティブなメッセージが込められたヒット曲の数々……これが辛い。ポジティブなメッセージの押しつけがひどいのである。
 こちらの状況などお構いなしに、「前向き」を押し付けてくるからたまらない。すべての人間に三河武士のような生き様を強要してくる。そもそもこちらは後ろを向いているのだから、背中越しに声をかけられるとびっくりするのである。
 引きこもっている人間には、その手の歌はもはや「説教」にしか聞こえない。彼らも彼らで、そういう能天気な資質をもともと持っている人間なのか、あるいは業界の、大人の諸事情があるのかは知らないが、メッセージを込めずにいられない。
 引きこもりという、人生を立ち止まった人間に、それらの歌はメッセージのカロリーが高すぎるのである。刺激が強すぎるのである。
 本当にしんどい人間は、歌も聞けない。胃が受け付けない。お粥みたいな歌が必要だ。


 「応援ソング」は、「本当にしんどい人間」には届かない。
 とはいえ、山田さんの場合は、それでもコンビニでアルバイトできるくらいの「社会性」は辛うじて残されていたのですから(かなり辛かったみたいですが)、家から一歩も出られない、というレベルの引きこもりだと、もっと苦痛は大きいのかもしれません。
 しかし、エリート街道まっしぐら、だったはずの息子がある日突然引きこもってしまうというのは、両親もキツかっただろうなあ。


 そういえば、統合失調症を告白し、啓蒙活動もされている松本ハウスの加賀谷さんも、すごく勉強ができる子で、有名塾でトップクラスの成績をあげ、進学校に通っていたんですよね。
 そして、両親の関係は冷えきっていて、子供が家族の「最後の砦」であることを、その子供自身がわかっていた。
 山田さんの場合は、病気だったという記述はないけれど、長期間の引きこもりには、精神的な問題があったのではないかと思われます。
 

 大学時代、一緒にコンテストなどに参加していた「相方」が就職するという話をきいて、芸人になるつもりだった山田さんは、こう感じていたそうです。

 問題は「就職」である。もちろん、彼の人生だ。僕がとやかく言えることではない。
 ここで問題なのは僕自身のことだ。
 そうか、人は簡単に、「芸人になる」とか言えない。そんな決断はできないのだ……そう痛感した。ここまでの、大学生活において感じてきた違和感もそういうことなのだ。
 それはよくよく考えれば、当たり前のことだった。一緒にバイトしたり、遊んだり、勉強したりしていたが、僕と彼、彼らとでは本質的に違っていた。僕と違って、みんなは人生が大事だった。その人生を、軽く扱うことなどできないのだ。当然だ。みんな、それぞれ自分なりに、真面目に積み重ねてきた、その上に立って生きていた。生活していた。そこには、いろいろな将来に対する考え、計画、想いがあったのだ。
 反面、僕が当時思っていたことといえば、いまだ「だいぶ人生が余ってしまったな〜……」ということだった。持て余していたのだ。あまりに思い描いていたものと違う人生を、キチンと考えて生きる気力もなく、意味も見出せていなかった。
 人生の取り扱い説明書がまったく違ったのである。僕の人生は、中古で安いけどリモコンが付いていないビデオデッキみたいなものだった。


 それでも、山田さんは、生きてきたのです。
 いや、むしろ「芸人として、お金がなくても、売れなくても長年下積みをやっていく」ためには、このくらい人生に対して突き放していたほうが、良かったのだろうか。


 お笑いとか芸人の世界って、「地頭はすごく良いのだけれど、社会適合力に欠ける人間のための、セーフティネット」みたいなところがあるのかもしれませんね。
 とはいえ、山田さんも「面白さよりも、世渡りの上手さで仕事を得ていく芸人たち」をみてきたと仰っていますが。


 世の中には、こういうふうに生きている人もいるのか、と、あらためて考えさせられる一冊でした。
 ルネッサーンス!って能天気にやっているようにみえる髭男爵の、シルクハットの中に渦巻いていたもの。
 何かの参考になる、とかそういうものではないですが、僕には見えない世界を見せてもらった、そんな気がしました。


統合失調症がやってきた

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