- 作者: 村田邦彦
- 出版社/メーカー: 毎日新聞出版
- 発売日: 2015/12/11
- メディア: 単行本
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Kindle版もあります。
- 作者: 村田邦彦
- 出版社/メーカー: 毎日新聞出版
- 発売日: 2016/01/20
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内容紹介
1980年、福岡市天神にオープンした「洋麺屋ピエトロ」。小さなスパゲティ専門店でつくっていたオリジナルドレッシングは、なぜ全国に展開していったのか。ブランドを創造し、成長させていくために、必要なものとは? 創業35年をむかえるいま、全国ブランドに成長したピエトロの秘密を、創業社長が語る。すべてのビジネスパーソンに贈る成功のヒント。<目次>第1章 中洲の教え第2章 ピエトロ創業前夜第3章 洋麺屋ピエトロ、開店第4章 おすそわけから、全国へ第5章 ピエトロ流ブランディング第6章 (私のピエトロ、から)みんなのピエトロ、へ第7章 そして200億円企業へ
『洋麺屋ピエトロ』をご存知でしょうか?
福岡近辺で生活していると、けっこうあちらこちらで見かけるスパゲティ専門店なのですが、九州以外にお住まいの方にとっては、「ピエトロドレッシング」のほうが有名かもしれませんね。
その『ピエトロ』は、どのように創業し、人気店となり、ドレッシングが売れていったのか。
僕が『ピエトロ』でスパゲッティをはじめて食べたのは大学に入ってからだったのですが、当時はまだ、スパゲッティといえば、「ナポリタン」か「ミートソース」というイメージで、さまざまな季節の素材や明太子とかウニなどを使った、アルデンテのオリジナルスパゲッティには「世の中には、こんなスパゲッティもあるのだな」と感動したのをよく覚えています。
あれだけの味なら、最初から人気店だったのではないか、と思いきや、この本で社長の村田邦彦さんの話を読むと、そんなに簡単ではなかったことがわかります。
村田さんは、1941年生まれ。僕の父親と同じ年の生まれなんですね。
読みながら、ああ、確かに同じような「仕事も遊びもやりすぎてしまうタイプ」だな、そういう世代なのかな、と思ってしまいました。
村田さんは、仕事に情熱は燃やすけれど、遊びにもエネルギッシュ、という人で、若い頃、お父さんに任されたレストランを一軒潰してもいるのです。
その後、サラリーマンとして働いていた時期に、渋谷でブームになりかけていたスパゲティ専門店『壁の穴』のフランチャイズとして福岡に店を出す、という話が持ち上がります。
結果的に、そのフランチャイズは実現できなかったのですが、村田さんは、オリジナルのスパゲティ店『洋麺屋ピエトロ』をはじめることになるのです。
村田さんは「ピエトロの味を決めるのは自分で、それだけは譲らない」という方針を貫き、体育会系で荒っぽく、従業員を厳しく叱責したり、手が出ることもあった、と振り返っておられます。
今だったら「ブラック企業!」って言われそうな話ではあるのですが、当時の飲食店は、それが普通だったのです。
ピエトロの味を決定するのは、私です。ここを譲る気はありません。
私が試行錯誤しながらつくった味を忠実に再現してくれる腕が欲しいわけで、勝手にアレンジしてもらっては困る。つまり「自分でオリジナルメニューをつくりたい」「創意工夫が得意」という料理人も、うちには向かない。
ですから「いずれ自分の店を持ちたい」とか「料理の勉強をしたい」とい前向きな目標のある人間は、あえて断りました。
むしろ積極的に採用したのは、昔の私のように「独立して失敗し、借金がある」、あるいは「本格的に修業をしたことはないけれど、料理が得意で仕事を探している」といった、生活のために割り切って働いてくれる人間です。生活がかかっていれば、簡単に辞めないだろうという胸算用もなかったとは言いません。
この傾向は開店当時だけではなく、かなり長い間、続きます。飲食の世界は、転職のサイクルが速い職業ですから、腕に自信がある人はすぐに独立や引き抜きで辞めてしまいます。
このあたりは、村田社長の以前の「失敗体験」が活かされた、ということなのでしょう。
あえて「志のある人」よりも「お金が必要で、稼ぎたいという人」を雇っていたのです。
さらに、村田さんは、当時の飲食業界では珍しく、残業手当も出していました。
「志」ではなく、「条件」で従業員を集めていたのです。
味には自信があったはずの『ピエトロ』なのですが、最初はなかなかお客さんが来てくれなかったそうです。
お客さんがいないだけではありません。こんなこともありました。
カップルで来た男性客に「なんやこの麺、茹だっとらんばい!」と文句を言われたのです。
きっとアルデンテのスパゲティを初めて食べた方だったのでしょう。そのころのスパゲティは茹で置きしてあるソフト麺のようなイメージでしたし、そもそも九州で麺といえば、コシがなくやわらかいうどんが主流です。東京やほかの地方よりもずっと、「アルデンテの硬さ」が気になったのかもしれません。
もしそれが友人であれば、「これがほんもののスパゲティたい、この田舎もんが!」と言ってしまうところですが、それをやったらおしまいです。営業生活で培った忍耐力を稼働してなんとかわかっていただけるよう説明しました。それでも結局、その方には、あまりいい顔はしてもらえませんでした。
多くのお客さんは「おいしい」と喜んでくださいましたが、好みの違いだけは仕方がありません。
もともと、九州、とくに福岡は豚骨ラーメン、そして、うどんの「激戦区」で、「スパゲティの店なんて流行らないよ」と村田さんもさんざん周囲に言われていたそうです。
しかし、九州に越してきて、ほとんど生に近いような「硬麺(カタメン)」を食べている人たちに驚いた僕としては(しかも、それよりも硬い「ハリガネ」なんていうのもあるんですよ!)、あんな硬いラーメンが好きなら、アルデンテなんてまだやわらかすぎるくらいではないのか、とも思うんですけどね。
ピエトロといえば、まず思い浮かぶのがドレッシング、という人も多いはず。
それまではフレンチタイプのドレッシングが主流だったのですが、ピエトロでは、村田さんの好みで「和風しょうゆドレッシング」を使っていたのです。
それが、「野菜嫌いの子供が、このドレッシングをかけると食べてくれる」と口コミで評判となり、ピエトロブランドを代表する商品となっていきました。
「工場の竣工で生産本数が急増した」というと、完全に機械化した大工場を想像される方が多いのですが、ピエトロの工場は、手作業をしているスタッフがとても多い。厨房のような工場です。
素材を運んだり、ドレッシングを容器に詰めたりする生産ラインには機械を入れていますが、野菜のカットや調合など、味に関わる部分では相変わらず寸銅鍋を使っているんですよ。これはいまでも変わりません。
たとえば、1日に約5トン使うたまねぎは、納入する際に薄皮だけは取り除いてもらいますが、水分の蒸発を防ぐためにへたと根の部分は切り落とさないまま工場に運び込まれます。
山のように積まれたたまねぎは4人がかりでひとつひとつ、へたと根を切り取り、2等分に。この時点で内部に傷みのあるものは除外してから、半分のたまねぎをさらに5〜6等分にして、みじん切り用のカッターへ。
さらに搾汁機にかけてゆるくたまねぎジュースを搾るところは機械がやりますが、これも私がメーカーでたまねぎの手搾りを実演して、何度も何度も改良してもらって完成したピエトロオリジナルの搾汁機です。
たまねぎ以外の黒オリーブや赤ピーマンといった食材も、内部の確認を兼ねてすべて工場内で刻んで水洗いをしています。にんにく、しょうがも工場内でその日にすったものだけを使っています。
ピエトロドレッシングは、工場でたくさん生産されるようになっても、多くの工程で「手作業」にこだわっているのです。
大手メーカーから類似の安いドレッシングが出ても売れ続けているのは、こういう「違い」が大きいのかもしれません。
この本を読んでいると、村田社長自身も「値段ほど味に差はなくて、危機感を持った」他社製品もあったそうなのですが、お客さんは、「ピエトロドレッシング」を選んだのです。
ブランドイメージっていうのも、大きかったのかもしれません。
ここで、村田社長から、ピエトロドレッシングについての注意点を。
ところで、ピエトロのドレッシングをおいしく召し上がっていただくには、ちょっとしたコツがあります。ボトルを上下にではなく、左右によく振ってください。すると上下に力いっぱい振ったときよりも油分と味液がよく混ざり、再び分離するまでのスピードがゆるやかになるのです。ぜひ一度お試しを。
本当に、いろんなことがあったのだなあ、という『ピエトロ』の物語。
僕は『ピエトロ』の「なすとひき肉の辛味スパゲティ」が大好きなんですよね。
こんな人が、あの味をつくったのか、と、なんだか腑に落ちました。
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