Kindle版もあります。
混迷を深めるウクライナ侵攻。そのような中、プーチン大統領をロシア人はどう見ているのか、そして、日ロ関係、世界をどう見ているのか。ロシア・プーチン大統領が抱く価値観、ロシア人の世界の見方から、「今まで」と「これから」の情勢を描く。
ロシア連邦が2022年2月24日にウクライナへの全面的な軍事侵攻を開始してから、もう2年8ヶ月が経ってしまいました。
2014年にクリミア半島をロシアが自国に強引に編入して以来、不安定な情勢が続いていましたが、21世紀になって、20世紀前半の2回の世界大戦の時のような大国間の戦争が起こるなんて、僕には予想外のことでした。
アメリカ、中国という力で他国を圧倒的できる「大国」ならともかく、そんなことをやったらこのグローバル社会の中で孤立し、政権は不安定になり、国民を苦しめるだけだから、独裁国家のイカれた指導者でもなければ、そんな「国にとっても自分にとっても損になること」をやるわけがない、そう高をくくっていたのです。
ロシアの侵攻に対して、ウクライナは序盤の危機を乗り越え、西欧諸国の支援のもと、ロシアの侵攻に耐え続けています。
その一方で、西欧諸国も、ロシアの前時代的な「侵略戦争」を強く批判しつつも、この戦争で自国民の血が流れたり、最新鋭の兵器や多額の予算を失ったりすることに、ためらい続けてもいるのです。
こんな侵略を許すわけにはいかない、世界の秩序が壊れてしまう。
そんな危機感も、戦闘が長引くとともに、薄れていっているように感じます。
経済が自由化され、ソ連解体後、資本主義が採り入れられ、「西側化」したはずのロシアの国民は、この戦争を、いまのプーチン大統領をどう見ているのか?
こんなことをする大統領への不満が渦巻いているのではないか?
この本は、朝日新聞の支局員として、2度、モスクワに駐在し、2度目の2013年から17年にはモスクワ支局長も務めた著者が「ロシアの側からみた世界、そして、ウクライナとの戦争」について書かれたものです。
赴任時期的には、著者自身はウクライナ戦争の開戦時にはロシアから離れていたのですが、共産主義からベルリンの壁が崩れ、プーチン長期政権のロシアの空気に触れてきた人の「ロシア観」には「なるほどなあ」と感じるところが多々ありました。
ロシアの人たちは「騙されている」とか「情報から遠ざけられている」から、こんな戦争を支持しているわけではないのです。
正直なところ、こんな戦争はやめてほしいけれど、大っぴらに反対しながらプーチン政権下のロシアで生きていくのは難しい。
それに、ウクライナでロシアの兵士たちが多数犠牲になっていても、ロシアの領土内で戦闘は行われてはいない。
空襲警報が頻繁に鳴って、そのたびにシェルターへの避難を繰り返しているウクライナの人たちの日常に比べると、ロシア国内では、戦場に行っている人以外にとっての「実感」は乏しい。
太平洋戦争でアメリカからの空襲で都市が焼き払われる前の日本も、こんな感じでみんな「国のための戦争」を支持していたのかな、と思ったのです。
著者は、1994年にロシア語を学ぶために会社から1年間派遣された時のモスクワは「犯罪と汚職とインフレの街だった」と振り返っています。当時、男性の平均寿命は50代まで下がっていたそうです。
その後私がモスクワで暮らしたのは、2005〜08年と2013〜17年。いずれも特派員として、プーチン政権2期目と3期目を取材した。
モスクワは1990年代に比べて見違えるほど栄え、高層ビルが次々に建築され、物が溢れ、目に見える汚職や犯罪も減って、少なくとも多くの一般住民にとっては安全な場所になっていた。
男性の平均寿命はこの間に、約10歳伸びた。
この変化が、プーチン大統領の今も高い支持率の背景にあることは、押さえておく必要があるだろう。
ソ連崩壊後に民主国家として生まれ変わり、経済的にも豊かになったはずのロシアが、なぜ他国を侵略し、プーチン大統領を誰も止められない国になってしまったのか?と、著者は考え続けているのです。
そして、これは日本にとっても「他人事」ではない、とも述べています。
実際、今のロシアとかつての日本には類似点が多い。他国の領土内に傀儡国家を作って影響力のテコとすること。他国を勝手に自国の「生命線」と位置づけること。自らの破壊工作を他国による攻撃だと主張する「偽旗作戦」を常用すること。国際機関の決定や勧告に背を向けること。議会の翼賛化が進んでいたこと……
著者の所属を考えると、「朝日新聞的だなあ」と思うところもあるのですが、日中戦争、太平洋戦争前の日本も「大正デモクラシー」と呼ばれる、民主主義が栄え、経済的にも豊かになっていった時代だったんですよね。当時の人たちは、「なんでこんなふうに変わってしまったのだろう?」と疑問に思いつつ、大きな戦争に流されていったのではなかろうか。
プーチン大統領は、2000年にロシアの大統領に就任し、任期についての規定で、一時首相として「院政」を敷いた時期もあったものの、2024年5月から5期目の大統領の任期を務めています。
プーチン大統領は、初めて大統領選挙に立候補する前のインタビューで、ドイツのコール元首相の退任後のスキャンダルを踏まえて、「1人の指導者が16年も続けば、どんな国民でもうんざりする」と語っていたそうです。
権力は人を変えてしまうし、一度手に入れると、手放せなくなってしまう。権力を失ってしまえば、復讐の対象になったり、過去の罪を問われるリスクもあります。
プーチン大統領にとっては、大統領としてウクライナ戦争をやっている限りは、内部からのクーデターや外国の軍事的な圧力がなければ、「これまでの罪」を問われない。
戦線が膠着状態で、長期戦による犠牲が増えていくのは承知の上で、「やり続けるしかない」状況に陥ってもいるのです。
プーチン氏は、全面進行の大きな理由として、米国主導の軍事同盟であるNATOが、冷戦終結後も加盟国を拡大し、ロシアの安全が脅かされているということを挙げている。
しかし、それだけではない。前項で指摘したように、隠された2番目がある。それは、ウクライナをロシアの一部だと考えて、ロシアから離れて主権を主張することは認められないという、プーチン氏独自の(とはいえ、ロシアでは多くの人々に共有されている)世界観だ。
それに加えて、プーチン氏の侵略には第3の理由があることが、開戦後にはっきりしてきたように思う。それは、欧米のリベラルな価値観を退廃として敵視し、今回のウクライナ侵略を「伝統的な価値観を守るための正義の戦い」と位置づける考えだ。
この点に関連して、2022年2月24日の開戦演説で、プーチン氏は以下のように米国を批判した。
「私たちの伝統的な価値観を破壊しようとする試み、私たちはロシア国民を内側からむしばむ偽りの価値観や彼らが自分側の国々に乱暴に植え付けてきた志向を、私たちにも押しつけようとする試みが続いていた。それは、人間の本性そのものに反するゆえ、退廃と退化に直接つながる」
プーチン氏はこのときすでに、米国の「偽りの価値観」と自分たちの「伝統的な価値観」を巡る戦いという側面があることを意識していたのだ。
さらに異様に感じられたのは、同年9月30日、ウクライナの東部と南部の4州を一方的にロシア領に編入することを宣言した際の演説だった。
「(西側のエリートによる)人間性の全否定、信仰と伝統的価値の破壊、自由の抑圧は、明白な悪魔崇拝の特徴を帯びている」
「アメリカ側」の日本で生きてきた僕には「は?悪魔崇拝?若い頃はソ連のKGBで最新の情報戦をやってきたはずのプーチン大統領が、そんな妄想的な思想を本当に持っているのだろうか、それって『老い』なのか?」としか思えないのですが、「アメリカ(の民主党のエリートたち)から押し付けられた、多数派の普通の人々の日々の生活よりも。LGBTのトイレを重視しているように見える「ポリティカル・コレクトネス」に反発している人や組織、国は、世界中にたくさんあるのです。アメリカ国内でさえ、「ポリコレ疲れ」がみられているのだから。
時間の経過と世代交代によって、人々の「常識」は自然に変わっていくのだろうと僕は思っていますが、共産主義から資本主義への急速な変化に直面し、「みんなが貧しかった時代」から、「一部の人たちだけが、リッチになり、富と権力を見せびらかす世界」に辿り着いてしまったロシアの多数派の人々、とくに高齢者は、困惑しているのは間違いないでしょう。
2023年2月、私はウクライナの首都キーウを訪れた。街並みの美しさは以前訪れたときと変わらない。時折響く空襲警報にも人々は慣れっこで、表面上は穏やかな日常生活を送っているように見える。しかし実際に話を聞いてみると、誰もが心の奥底にロシアに対する強い怒りと抑えきれない憎悪を抱いていることがひしひしと伝わってくる。
ロシアとの「停戦」にはなんの意味もない。ロシア軍を打ち負かして領土から追い出さないかぎり、ウクライナという国はいずれ世界地図から消されてしまう。そんな強い危機感を繰り返し聞かされる旅だった。
私は、いったんロシアのモスクワに立ち寄り、そこからキーウに向かった。
私がモスクワに勤務していたとき、二つの首都間の移動は直行便で2時間もかからなかった。便数も多く、その気になれば日帰り出張も可能だった。
しかし開戦後の状況は、まったく異なる。キーウの民間空港はすベて閉鎖されており、ポーランドなどの隣国から陸路で入る必要がある。さらに制裁の影響で、モスクワからポーランドにも直行便が飛んでいない。そのため、旅程は以下のようなものになった。
モスクワから空路イスタンブール経由でワルシャワへ。ワルシャワで夜行列車に乗り、キーウへ。イスタンブール空港の乗り継ぎで一夜を明かし、列車内でも1泊。2泊3日かけてようやくたどり着いた。二つの国がいかに遠い存在になってしまったかを体感させられた。
戦争をする、というのは、こういうことなのだなあ、2時間でお互いの国を日帰りで行き来できていたのが、こんな長旅になってしまうのか、と思い知らされます。
「ロシアに親戚がいないウクライナ人はいない」と言われているくらい身近な存在だった両国。
感情的には、近いがゆえ、密接であるがゆえに反感もあったロシアとウクライナですが、この戦争での犠牲や空襲警報によるストレス、ロシア側によるウクライナの子供たちの連れ去りと、親ロシア教育などがお互いに積み重なっていくのです。
いつかは戦闘が終わっても、お互いへのネガティブな感情は、ずっと残り続けることになるはず。
一度はじまった憎悪の連鎖は、そう簡単には断ち切れない。
僕は幼い頃に広島で暮らしていたこともあり、核兵器にはずっと恐怖を感じていますし、廃絶を願っています。
それでも、もしウクライナが核兵器を保有していたら、この侵攻は起こったのだろうか?と考えずにはいられないのです。
どんなにAIが進歩しても、人口が減少に転じても、「人間」は、そんなにすぐには変わらないし、変われない。
なぜプーチンを止められないのか?と思うのと同時に、ヒトラーのときも、当時の人たちは「止められなかった」のかもしれないなあ、結局、人間は同じ失敗を繰り返す生き物なのかな、という諦念もわいてきます。
同じ失敗を繰り返しながら、少しずつでも良い方向へ進歩していければ良いのだけれど。