琥珀色の戯言

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【読書感想】逆襲される文明 日本人へIV ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
イスラム国の蛮行、ヨーロッパの不協和音、押し寄せる難民、トランプ登場…大変動期の今こそ歴史に学ぶべきではないか。古代ギリシアローマ帝国、中世ルネサンスと、半世紀にわたって文明の繁栄と衰退を見つめ続けた著者が導きだしたものは。


 このエッセイ集、いくつか読んだことがあるような気がするな、と思ったら、月刊『文藝春秋』に連載されているものなんですね。芥川賞受賞作掲載号は買って読んでいるので、そのときに塩野さんの『日本人へ』も読んでいるのだよなあ。
 2013年11月号から、2017年9月号に掲載されていたものなので、時事ものとしては、少し古いと感じるところもあるのですが、ローマやギリシャを書いてきた塩野七生さんからみた「日本の現状」や「政治家という存在」は、なかなか興味深いものがあります。


 この新書の冒頭には、ニコロ・マキアヴェッリのこんな言葉が掲げられているのです。

 現実的な考え方をする人がまちがうのは、
 相手も現実的に考えるだろうから
 バカなまねはしないにちがいない、
 と思ったときである。


 これを読んで、いまの北朝鮮情勢を真っ先に思い出しました。
 純粋に「戦力」「経済力」を考えれば、北朝鮮がアメリカに(たぶん日本にも)かなうはずかない。ミサイル攻撃をしてきたり、激しい恫喝をしてきたりするのは、彼らの寿命を縮めることにしかならないはず。
「だから、きっとこれは脅しによって有利に交渉をすすめようとしているだけだ」
 と「現実的な考え方をする人」の僕は思うわけです。
 多くの日本人も、そう考えているのではないでしょうか。
 しかしながら、相手が本当に「現実的な判断をする」のかどうかは、わからないところがあるのです。
 自分の権力が失われるくらいなら、世界を巻添えにしてやる、なんて狂気を抱いている可能性だってある。
 まあ、こういうことを想像しはじめるときりがなくて、「もう、先制攻撃で完膚なきまでに叩き潰してしまうしかないのでは……」ということになってしまいがちなのですけど。
 ヒトラーが勢力を伸ばしてきたときも、きっとイギリスの首相だったチェンバレンは、「とりあえずある程度領土的な野心を認めてやれば、まさかイギリス・フランス相手に戦争はしないだろう」って、思っていたんですよね、たぶん。


 歴史上の人物や現代の(とくにヨーロッパの)政治家のさまざまなエピソードが散りばめられているのですが、塩野さんのお家芸であるカエサルの借金の話なんて、何度聞いても開いた口が塞がらないのです。呆れた、というより、圧倒される、という意味で。

 古代ローマユリウス・カエサルの”借金哲学”ともなると、もはや人を喰っているとしか言いようがない。なにしろ現代の研究者からさえも、他人のカネで革命を敢行した、なんて言われている男で、この人の一生は借金漬けの連続だった。それでいて、莫大になる一方の借金を気に病むどころか、借金を重ねることで支持者を固めていったのだから、貸し手にとっては居て欲しくない債務者の筆頭格である。借金とは多額になればなるほど債権者と債務者の力関係は逆転するという点に、彼は目をつけたのだった。平たく言えば、大きすぎてつぶせない存在に、自分のほうからなったのである。
 このカエサルの借金哲学がどのような考えの上に立っているかを、彼自身が『内乱記』の中で述べている。
「そこでカエサルは、大隊長や百人隊長たちからカネを借り、それを兵士の全員に配った。これは、一石二鳥の効果をもたらした。将官たちは自分のカネが無に帰さないためにも敢闘したり、最高司令官の気前の良さに感激した兵士たちは、全精神を投入して善戦したからである」
 政治の場でもカエサルの”借金哲学”は、効果を産みつづける。彼をささえつづけるしかなくなった債権者という、支持者を増やして行ったのだから。


 「大きすぎて潰せない」というのは、いまの破綻した大企業や銀行にも言われることですよね。
 そんな大きな会社が、経営の失敗で多額の負債を抱えても、影響を考えて救済されるのに対して、小さな会社だと「自己責任」になってしまうのは不公平な感じもするのですが、公平さよりも現実的な問題への対応を重視せざるをえない、という状況もあります。
 カエサルという人は、「少しお金を借りると単なる債務者だが、貸し倒れになると相手も困るくらい借りてしまえば一蓮托生の仲間になる」ということを理解していたのです。
 とはいえ、お金を借りる、というのは、ほとんどの人にとってはプレッシャーにもなるし、引け目を感じてしまうはず。
 この話を読むたびに、カエサルという人の「破格さ」を思い知らされます。

 民主政が危機におちいるのは、独裁者が台頭してきたからではない。民主主義そのものに内包されていた欠陥が、表面に出てきたときなのである。EUの本部が小国ベルギーの首都ブリュッセルに置かれている一事が示しているように、ヨーロッパ連合に参加している各国はいずれも平等な権利を有する。人口が500万でも5000万でも関係なく、国内総生産に対する借金の上限を3パーセントと決めていることも、各国平等のこの精神を示している。
 そのうえEUには、建前とはいえ、リーダー国はあってはならないと決まっている。だが、この種の考え方は理想かもしれないが、現実的ではない。なぜなら人類は、現代までの2500年にわたってあらゆる政体、つまり王政から共産主義までのあらゆる政体を考え出して実験してきたのだが、指導者のいない政体だけは考え出すことができなかったという事実を忘れているからである。民主政体も例外ではない。民主主義のプラス面とマイナス面の双方ともを直視した人とそれに共鳴する少数がリードして始めて、民主政体は機能する。ちなみに民主主義のマイナス面とは、多くの人に良かれと考えて政策を実施したところ誰一人満足しなかった、という結果に終わることなのだ。
 民主主義下のリーダーにこそ、大いなる勇気と覚悟と人間性を熟知したうえでの悪辣なまでのしたたかさが求められると思っているが、実際上のEUのリーダーであるメルケルとオランドだが、この二人は右にあげた資格に欠けていることでも共通している。「やってはいけません」一筋のメルケルでは、まずもって気が滅入ってしまうからリーダーにはなれない。


 なぜ、塩野さんはドイツのメルケル首相をこんなに嫌っているのだろう?と思うような記述がけっこう出てくるんですよね。
 ユーモアとかセクシーさを重視する塩野さんにとっては、好きになれないタイプなのかもしれませんが……僕はメルケルさんって、そこまで言われるほど酷いリーダーじゃないというか、むしろ難しい情勢下で、よく頑張っていると思うんですよ。
 それも、ドイツの経済力あってこそ、なのだとしても。


 塩野七生さんらしいエッセイ集なので、塩野さんの作品が好きな人にはお薦めできると思います。
 塩野さんを知らない人が読むと「なんかやたらと偉そうなオバサンだなあ」って感じかもしれませんが。


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ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

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