琥珀色の戯言

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【読書感想】百年泥 ☆☆☆

百年泥 第158回芥川賞受賞

百年泥 第158回芥川賞受賞


KIndle版もあります。

百年泥

百年泥

内容(「BOOK」データベースより)
チェンナイで百年に一度の洪水!アダイヤール川氾濫、市内ほぼ全域浸水か。橋の下には猛烈な勢いで逆巻く川、橋の上にはそれを見物しに雲集したとてつもない人びとの群れ…こうなにもかも泥まみれでは、どれが私の記憶、どれが誰の記憶かなど知りようがないではないか?洪水の泥から百年の記憶が蘇る。大阪生まれインド発、けったいな荒唐無稽―魔術的でリアルな新文学!第158回芥川賞受賞!


 第158回芥川賞受賞作。
 方言を多用した、63歳の若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』のほうが注目を集めていることもあって、こちらはやや影が薄い感じがします。
 読んでみると、いかにも芥川賞受賞作らしい、インドの文化とマジックリアリズム、そして私小説の融合、という作品です。
 
 この作品に関しては、「インドってこんなところで、こういう考えの人たちが生きているのか」という発見とともに、これはどこまでが事実で、どこまでがファンタジーなのか?というのが気になるところでもあるんですよね。

 たしかにラッシュ時のチェンナイの交通機関や幹線道るの混雑は想像を絶し、例えばこの会社の重役は全員、ラッシュを避けるために飛翔によって通勤するが、それはチェンナイで暮らしはじめて以来、今では見慣れた光景になった。
 たいてい毎朝九時ごろ、すでに三十度をはるかに超える酷暑の中を私は会社玄関に到着する。その時ちょうど前方で脱翼した人をみると副社長で、
「おはようございます」
 あいさつすると大柄な彼は私にむかって愛想よく片手を上げた。そのまま趣味のよいブルーのワイシャツの襟元をととのえつつ両翼を重ねて駐車場わきに無造作に放り出す。すると翼が地上に到達する直前に係員が受け止め、ほぼ一動作で駐車場隅の翼干場にふんわり置いた。


 こういう虚構の部分と、そのほかの文章や内容が馴染んでいないように僕は感じました。
 むしろ、「なじんでいない違和感」を醸し出したい、という目的なのかもしれませんが。


 その一方で、主人公のお母さんの、リアリティのある「この世のものとは思えないような不在感」は、強く印象に残りました。

 親が子どもの学校生活と関わるあらゆる機会を母はキャンセルした。「お父さんお母さんに見せなさい」と学校で先生に配られた授業参観や三者面談、家庭訪問、運動会などを案内するプリントを渡すと、そのつど母はしずかに首をふった。結果、何か行事や催し物のたびに「風邪をひいています」「けさてんかんの発作で倒れました」「修行の旅に出てなど考えつくかぎりの理由を言い立てる私にあきれ果てた担任は、私の母親の実在を疑いはじめたくらいだ。ある日強引に家まで来た担任教師は、上り框にしかれた座布団のうえで十五分あまり、主として私の学校での態度に関し、
「まじめなお子さんですが、例えばですね、授業中手を挙げたりすることが少なく、積極性に欠ける印象があります。仲の良いお友達がいないようで、休み時間にクラスのみんなが遊んでいるときなど……」
 無表情にうつむいたまま、ゆっくり顎だけ上下させうなずきつづける母の前で、一人所見を論じたてたのち担任は帰り、学年主任に提出するレポートには、「保護者様には私の指導に対する御同意を頂戴いたしました」とのみ記入した。担任が座っていた座布団の上に落ちていた十五分ぶんの断念を私はていねいにはたきで払ってから押入れにしまう。


 この作品を読みながら、僕自身はいままで生きてきたなかで接してきた、リアクションに乏しい人々にも、何か理由とか隠された心の動きがあったのではないか、と考えずにはいられなかったのです。
 そして、僕を「打っても響かない人間」だとみなしてきた人たちには、僕がこんなふうに見えていたのではないか、とも思ったんですよ。


 人間は「可能性」というものをポジティブにとらえがちだけれど、たぶん、その大部分は「やっぱりやらなくてよかったこと」「知らないほうがよかったこと」ではないか、と僕は最近思うようになりました。
 そこに想像力をはたらかせることは、生きていくために必要な機能なのでしょう。
 

 正直、なんだか各パーツがうまく繋がっていない小説だなあ、と感じるし、「中途半端に新しいものが、いちばん古い」という言葉も思い出します。
 それでも、この「リアルに存在感のないお母さん」は、かなり印象に残りました。


おらおらでひとりいぐも

おらおらでひとりいぐも

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