琥珀色の戯言

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【読書感想】いちばんやさしい美術鑑賞 ☆☆☆☆

いちばんやさしい美術鑑賞 (ちくま新書)

いちばんやさしい美術鑑賞 (ちくま新書)


Kindle版もあります。

いちばんやさしい美術鑑賞 (ちくま新書)

いちばんやさしい美術鑑賞 (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
「何を見たらいいのかわかりません!」―そんな美術鑑賞にさようなら!これからはもう一歩作品に踏み込みましょう。しかも超簡単!「上手さを知るには手を観る」「プレートは必ず読む」「誰かと一緒に観に行く」「評価のチェックリストを作る」…。1年に300以上の展覧会に足を運ぶカリスマ・アートブロガーが、美術の本質を見極めながら、広くて深くてしなやかな美術鑑賞法を教えます。


 著者はアートブロガーのTak(たけ)さんで、ブログ『青い日記帳』を15年間も書き続けておられる方です。
 著者は「はじめに」で、友人に聞いた話として、「映画と展覧会、両方のレビューをブログに書いている友人によると、両者のアクセス数は10倍も違うそうです」と仰っています。
 僕の個人的な経験からすると、本の感想とか映画の感想というのは、それなりにメジャーではあるけれど、そんなにものすごい数の人が来る、というものでもないので(ごく一部の「超人気ブログ」が別なのかもしれませんが)、この10分の1って、それは少ないな……と唸らずにはいられません。
 僕自身も、本を買ったり、映画を観に行ったりするときには他の人のレビューをけっこう参考にするのですが、美術展に関しては、あまりブログでのレビューを見ることはなかったんですよね。

 本書は、「展覧会に出かけて絵をどのように観たらよいのでしょう?」という多くの方が抱える問題の解決の小さな手助けとなることを目指し執筆した「美術観賞超入門書」です。これまで美麗な作品画集や美術の歴史またが画家の生涯を紹介する本は、たくさん刊行されていますが、それらは美術史家であったり、その道のプロが書かれたものが大半で専門的な内容でした。本書は展覧会観賞の一ファンが、ふだん展覧会場で実践している見方を紹介する、いわゆる素人による素人のための指南書です。
 西洋美術七点、日本美術八点で構成しました。一部を除いて、いずれもメジャーな教科書でもお馴じみの作家を、おおまかに年代順に取り上げ、美術の流れを掴みつつ読み進められるよう工夫しました。または日本国内の美術館で観られる絵画に的を絞って取り上げられました。オルセー美術館メトロポリタン美術館に収蔵されているわけではありませんから、読んだらすぐに美術館に観に行くことが可能です。


 紹介されている作品が日本国内の美術館で観られる(ただし、公開期間が限られているものもあり)というのが、この本の大きな長所のひとつなんですよね。
 なんのかんの言っても、「百聞は一見に如かず」というのは、展覧会にもいえることですし、この本に書いてあることを実際の絵や工芸品で確かめてみることによって、また興味が広がっていくのです。
 作品のことを知らないと見てもよくわからない、面白くない、というのはもちろんなのですが、とりあえずある程度の数を見てみないと、観賞のポイントを紹介されてもイメージが浮かんできません。
 そういう意味では、本当に「騙されたと思って」ここで紹介されている作品を観に行ってみていただきたいのです。
 美術館って、ひとりでもふたりでも楽しいですし(ただし、あまりにも観賞ペースが違う人と一緒に行くのは、お互いにとってストレスになりやすいのも事実です)。


 宗教画から現代美術まで、洋画に日本画と、さまざまな時代の作品が採りあげられていて、読んでいくだけで、美術史のおおまかな流れがわかるようになっていますし、けっこう具体的な「初心者は美術館でどこに注目すれば良いのか」ということも書かれています。

 冒頭で、しっかり描かれている作品はよい印象を残すと書きましたが、どんな時代のどんなテーマの絵画でも一貫して画家の力量を知ることができるポイントがあれば、しっかり描けているかどうかが分かりやすいものです。それはどこだと思いますか? 人物が描かれている場合、それがずばり手です。
 手の描き方は画家の技量の度合いが表れる重要なチェックポイントのひとつなのです。では、どうして手なのでしょうか。人体の他の部分、顔や容姿は、人種や時代、慣習や流行により違いが生まれるので、一貫して比較するには不向きです。また顔などは個人的な好みもあるので、いくら上手く(美人、美男子)に描かれていたとしても観る人の好みに合わないと「下手な絵」となりかねません。身につけている衣装や体型に注目が行ってしまい、そもそも比べることが困難です。つまり、このように考えていくと人体の中で最も普遍性が高いのは手の描き方なのです。
 美大の実技入試で自分の手をデッサンさせるのは定番中の定番です。そこに描き手の技量の差が大きく出てくるので、上手い下手を見極める入試には適切なわけです。それではあらためて自分の手をじっくりと観察してみましょう。思っている以上に複雑な形をしているだけでなく、凸凹やしわがあったり、硬い部分に軟らかい部分があったりと自分の手がこんなにも奥深いものだったのかと再発見することでしょう。そしてそれをいざ描いてみるとなるととても難しいというのは、絵心ゼロの自分でもはっきりと分かります。


 美術館に展示されるような絵ですから、「ド下手」ということはないと思うのですが、細部を比較してみると、けっこう気づくことが多いのです。

 さて《花売り》のような作品にしても、《アヴィニヨンの娘たち》にしても、ピカソの作品を前にして時折耳にするのが「子どもが描くような絵」という表現です。確かに子どもはこのような絵を描くかもしれません。単純な四角や丸の形態や非遠近的で平面的な描き方から、そうした解釈が出てくるのも分からなくはありません。しかし果たして本当に子どもが描いた絵と同じでしょうか。
 綿密な絵画理論に基づいて描かれたピカソの絵と、子どもが自由奔放に描いた絵をさも同列のように扱うことは、どちらの絵に対しても失礼なことであり、それぞれの絵を正しく理解することを放棄しかねません。子どもに見えている世界及びその表現と、ピカソのそれが同じであるはずがありません。「ような」という比喩的な表現であるので、そこまで目くじらを立てることもないように思えるかもしれませんが、百歩譲って見た目は同じようであったとしても、中身はまったく違うものです。
 私には、「子どもが描くような絵」と言うことが、本来、理論で読み解かねばならぬピカソ作品に対する理解を、その難解さから放棄してしまう手立てとしてしまっているように思えます。20世紀絵画はぱっと見ではチンプンカンプンです。けれども画家の意図や描かれている事柄を理解しなくてはなりません。要するに手間や時間が必要となります。「絵画には、二つのものが必要だ。つまり目と頭脳である」と言ったのはセザンヌですが、目だけで分かる作品ではないのです。
「子どもが描くような絵」と言ってしまうのは、その絵に何が描かれ画家がどのような思いで描いたのかを無にしてしまう危険なことなのです。20世紀絵画の前では持てるだけの知識をフル活動させ絵画と格闘しなければなりません。そう、美術館はスペイン生まれて闘牛が大好きなピカソによって格闘場となったのです。


 日本では、作品を観賞するときに「先入観を持たずに、自分の感性を頼りにする」ことが重んじられているのですが、そもそも、「自分の感性」とは何か、というのが難しい問題なんですよね。
 そして、そういう風潮が、難しい作品が「わからない」で済まされ、現代アートが敬遠されがちな理由でもあるのです。
 僕も正直、「わざと難しくして、煙にまいているだけなんじゃないか?これ……」と言いたくなることも多々ありますし、「わかっている」自信もないのですけど。
 

 その前に立ち、作品が発している何かを受け止める、近づいて隅々まで細かく作品を観る、全体が目に入るまで離れて制作をした作家の気持ちになってみる、ウェブで作家の情報を調べてみる、作家についての論考を読んでみる、作品そのものに加えて、私たちに与えられた手がかりや資料をもとに、解釈を重ねることが、デュシャン以降の現代美術を観る観賞の仕方です。もう皆さん、お気づきですね。そうです! 観賞は、「観る」から「考える」「解釈する」に変わったとも言えます。


 デュシャンの生涯や伊藤若冲の『動植綵絵』の来歴など、紹介されているエピソードを読むだけでも、作品への興味がわいてきます。
 写真には撮影者が意図していないのに「写ってしまう」ものもあるけれど、人間の手で描かれた絵画には「作者が描こうとしたものだけが、描かれている」のです。
 「超入門書」と銘打たれてはいますが、美術館好きの人にとっても、「自分は何を観てきたのだろう?」と考えるきっかけになる本だと思います。
 観ているつもりで、ただ、「あの作品を観た、という自慢話を集めているだけ」になりがちなんだよなあ。
 もちろんそれはそれで、ひとつの価値観ではあるのだけれども。


fujipon.hatenablog.com

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