- 作者: 宮下規久朗
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2018/01/17
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- 作者: 宮下規久朗
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内容紹介
いったい、美術にどれほどの力があるのだろうか。
心に余裕のある平和な者には美しく有意義なものであっても、
この世に絶望した、
終わった者にも何か作用することがあるのだろうか。
(「あとがき」より)
私は30年以上にわたって毎年のように西洋の美術作品を巡って歩いてきたが、美術作品も、それが位置する場所の力と相まってオーラをまとうようである。
(中略)
無数の眼差しが注がれてきた美術作品は、巡礼者の信仰を吸収した聖遺物と同じく、
膨大な人々の情熱と歴史を宿し、あるべき場所で輝きを放っているのである。
(「まえがき」より)
初めてのイスラエルで訪ね歩いたキリストの事蹟から、津軽の供養人形まで、
美術史家による、美術の本質を見つめ続けた全35編。
美術ファンは多いようで、「作品や作家の紹介」だけでなく、「絵画に描かれている小道具や登場人物のポーズの意味」や「作品が描かれた歴史的背景」、「怖い絵」というカテゴライズなど、さまざまな「アートに関する新書」が上梓されています。
この新書は、美術史家である著者が、古今東西、さまざまなアートについて、いろいろな媒体に書いたエッセイをまとめたもので、個々のテーマについて深く語ったものではないのですが、それだけに、「美術とは人間にとって何なのか」ということを考えさせられるところがあるんですよね。
考えてみれば、古今東西の文明・文化で、それぞれの「アート」が存在していたわけで、有史以来の人間というのは、アートと切っては切り離せない関係にあるようです。
そして、この本の「あとがき」を読むと、著者が置かれていた精神状態についても想像せずにはいられないのです。
アートは人を癒すことができないのか、それでも人はアートを必要とするのか。
イスラエルでキリストの生涯をたどりながら、なぜか自分の今までの美術行脚が思い出された。
私は三十年以上にわたって毎年のように西洋の美術作品を巡って歩いてきたが、美術作品も、それが位置する場所の力と相まってオーラをまとうようである。
もちろん、作品自体の質はどこに移動しても変わることはないが、出開帳や展覧会などでは決して味わえない要素がある。寺社でも美術館でも、その作品が本来置かれてきた場こそが作品に生命力与えるのだ。作品からこうした場の引力や属性を剥ぎ取って、他の作品とともにニュートラルな空間に並べることによって、作品の純粋な造形的な特質をあきらかにするという信念が近代的な美術館や展示という制度を支えてきたのだが、それによって失われるものも大きいのだ。
また、作品を見たときの感動の大きさは、そこにいたる道程の困難さと比例しているようである。大都市の美術館に展示されているのを見るのではなく、その一点のためにわざわざ見に行ったという経験である。
おそらく、作品をつくった人たちは(とくに昔の画家たちは)、その作品が現在のような美術館に展示されることなど、想像もしていなかったはずです。
注文主の家の壁や教会など、置かれる場所を踏まえて描いた作品なのだから、その場で観るのが、いちばん「ふさわしい観かた」ではあるのでしょう。
とはいえ、より多くの人に効率よく鑑賞してもらおうとすれば、美術館のようなシステムのほうが、明らかに優れているし、作品の管理もしやすい。
「苦労して観に行ったほうが、より素晴らしく感じられる」というのは、ものすごくよくわかるのだけれど。
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』やミケランジェロの『最後の審判』は、あの場にあることが大きな魅力なわけですし。
ちなみに、アメリカの抽象表現主義の画家、マーク・ロスコは、自分の作品が展示される環境に対して強いこだわりを見せ、隣に展示される作品にまで神経をとがらせ、主催者と衝突することも珍しくなかったそうです。
観る側が何気なく観てまわっている展覧会でも、その展示方法や順番にも主催者はかなり気を配っている、ということなのでしょう。
2016年、日本ではじめて春画の展覧会が開催され、多くの観客を集めたことが話題になった。一方、同年、美術関係者の間で注目されたのが、東京国立近代美術館に保管される藤田嗣治の戦争記録画が全点公開されたことである。春画も戦争画も、それまでタブーとして全面的に公開されたことがなかった。
西洋美術は基本的に公共性を帯びていた。西洋の彫刻の多くは神殿や広場に設置されて人々の目を楽しませていた。古代ギリシャ時代、プラクシテレスの作ったアフロディテ像はクニドスの神殿に飾られて観光名所となり、西洋のヌード彫刻の先駆となる。中世以降、西洋絵画の大半は教会の祭壇画や壁画として制作されたが、万人に開かれていた教会は公共のギャラリーとしての役割を果たしてあ。19世紀以降、西洋で美術館という制度が成立して広く普及したのは、美術が本来このような公共性をもっていたためである。
一方、日本美術は、仏像や絵馬を除き、私的な性格が強かった。絵巻も屏風も扇も、通常は巻いたり畳んだりしてあり、基本的に内輪の者しか見ることができない。仏画も、寺院において法要の時期のみに掛けられることが多かった。浮世絵版画も広く流通したとはいえ、私的な鑑賞を目的としていた。春画は、こうしたひそやかな鑑賞に限られていたがゆえに検閲の目をかいくぐり、世界でも類を見ない一大芸術に発展したのである。
そのため、明治期にはじめて博覧会や博物館が生まれると、美術の内実よりも、作品を公衆に対して展示し、それを大勢で鑑賞することが人々を当惑させた。
日本で、「作品を公の場で展示し、大勢で鑑賞する」ようになったのは、そんなに昔の話ではないのです。
だから、日本では「展覧会での展示物」について、問題が起こりがちなのではないか、と著者は述べています。
また、戦争画についても、描く側としては、イデオロギーはさておき、「大勢の人に観てもらえる絵を描くことができる」ということで、制作意欲を高揚させていた、ということです。
藤田(嗣治)がその後まもなく軍部の委嘱で戦争記録画を描いたのは、壁画のような大画面や公共性を求めたためでもあったろう。当初、彼にとっては表現内容は二の次であったにちがいない。西洋で公共的な壁画芸術を見て学んでいた藤田にとっては、戦争記録画は自らの本領を発揮できるまたとない舞台であった。
1943年に《アッツ島玉砕》を描いたころから、次第に戦争の記録や大義よりも人間の極限状態や殺戮という主題に熱中していく。それは全国に巡回して多くの民衆を感動させ、藤田は、自分の芸術がはじめて広く日本国民に受け入れられたことに感激した。
戦争画は戦後タブー視され、この作品も画家の生前は人目にふれることはなかった。そして太平洋戦争の時代は日本美術史の空白期とされてしまう。しかし、この短い期間に、軍部から委嘱された膨大な戦争記録画が制作された。それらを集めた「聖戦美術展」や「大東亜戦争美術展覧会」は日本全国の津々浦々に巡回し、それまで美術と縁のなかった膨大な大衆に歓迎された。それらの大半を主催したのは朝日新聞社であり、同社の事業部は画家の従軍にも深く関わっていた。こうしたことが、新聞社とデパートの主導する戦後のめざましい美術ブームにつながったのである。
どうしても、2018年の価値観で、「戦争に協力した画家たち」を断罪してしまいがちだけれど、当時は「戦争に協力するほうが正しい」という考え方のほうが一般的でもありました。
そして、戦争画には、美術の「大衆化」に貢献したという一面もあるのです。
とはいえ、いまの僕が戦争画を観ると、やはり、「うーん」と考え込んでしまうのも事実なんですよね。
結局、その時代や鑑賞する人の精神状態や属性によって、美術というのは、受け止められ方が違う。
その一方で、人類の遺産とされているものには、ある程度の普遍性がある(とされている)。
「美術は人を癒すことができるのか?」
癒される人もいれば、そうでもない人もいる。
同じ人でも、癒されるタイミングもあれば、何も感じないときもある。
それが、美術の面白さであり、限界でもあるのでしょう。
そもそも、すべての人を完璧に癒すことができる一つの作品があれば、美術というのはそれで完結しているはずなのだから。
fujipon.hatenadiary.com
この本はすごくおもしろかった。
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