琥珀色の戯言

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【読書感想】ビジネス戦略から読む美術史 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

フェルメールの名画は「パン屋の看板」として描かれた!? ガラクタ扱いされていた印象派の価値を「爆上げ」したマーケティング手法とは? 美術の歴史はイノベーションの宝庫である。名画・名作が今日そう評されるのは、作品を売りたい画家や画商、そして芸術を利用しようとした政治家や商人たちの「作為」の結果なのだ。ビジネス戦略と美術の密接な関係に光を当てた「目からウロコ」の考察。


 もう10年くらい前の話になりますが、ゲームのイメージ画などで知られる有名画家の個展に行ったことがあるのです。
 そこには数々の作品(版画)が展示されていて、感心しながら見入っていたのですが、記憶に残っているのは、そこのスタッフの熱心な「売り込み」だったんですよね。
 「この絵が気になるますか?お目が高い!今買わないと売り切れてしまいますよ!」
 いやこれ何十万円もするし……と僕はすっかり及び腰になり、作品鑑賞もすぐに切り上げて、逃げ出すように帰ってきました。
 作品そのものは、素晴らしかったのですが、まあ、これも「商売」なんですよね売り手にとっては。
 作家も、こうして売っくれる人がいるからこそ、創作のモチベーションが上がる、という面もあるのでしょうし。

(公的な美術館などで行われる有料の展覧会では、熱心なセールスをされた記憶はないのでご安心ください。タダより高いものはない)

 この本、「経済活動としてのアート」という観点から、さまざまな時代の「アーティストや画商が食べていくための戦略」が紹介されています。
 ピカソのような「ものすごく稼げる」アーティストが登場したのは20世紀に入ってからのことで、それまでのアーティストは、パトロンに衣食住を保障してもらったり、生活に必要な代金をもらったりしているのが「限界」だったのです。
 どんなにすぐれた芸術作品でも、それに高い価格をつけるマーケットがなければ、大金にはつながらない。

 著者は、「はじめに」で、こう述べています。

 美術史は、ビジネス戦略の歴史である。
 生活必需品ではない美術品を売るためには高度の戦略が必要だったからである。確かに、ガラクタ呼ばわりされた印象派の金ピカ額縁と猫足家具による「爆上げ」戦略や、名画『夜警』をモデルの割り勘で描いたレンブラントのビジネス感覚、はたまた「インスタ映え」を思わせるナポレオンの自己演出、当時のインフルエンサーだった批評家による画家のプランディング等々の歴史を眺めていると、美術品を売る戦略をもってすれば、この世に売れない商品などは存在しないような気さえし始める。


 現在、2021年では、投資(あるいは投機)目的でのアートの購入、というのも珍しくはないのですが、基本的にアートというのは、「なくても生きていくには(物理的には)困らないもの」なんですよね。
 それを、どうやって人々に「売りつける」ようになっていったのか。

 「芸術家」という仕事が生まれた最初の時代のアートは、教会が文字を読めない人たちに、わかりやすく教義やエピソードを説明するために描かれていました。
 教会や、のちには権力者たちが、神の教えや自らの姿を記録し、多くの人に見せるために画家や彫刻家に仕事をさせたのです。
 16世紀の宗教改革により、改革派が「偶像崇拝禁止」を打ち出したことで、宗教画のニーズが激減することとなりました。
 画家や画商たちにとっては失業の危機だったはずですが、彼らはそこで、「一般市民に絵を買ってもらう」ことを思いついたのです。
 そのためには、彼らが親しみを持てるようなテーマのほうが、「売れる」はずですよね。

 フェルメールの『牛乳を注ぐ女』について、著者はこんなエピソードを紹介しています。

 フェルメール作品に関して、フランスの絵画愛好家が興味深い記述を日記に残している。名を成して後のフェルメールは海外のコレクターにも知られるようになっており、この絵画愛好家も遠路はるばるフェルメールを訪ねたのだが、見せる絵はないと断られてしまったのだという。
 作品を見たければ近所のパン屋にあるはずだと教えられ、やむなくそのフランス人が足を運んだパン屋に掛かっていたのがどうやら『牛乳を注ぐ女』だったらしく、家政婦を主役とした画面にも、作品がパン屋の壁に飾られていることにも心底驚いて帰国したらしい。当時のフランスには、家政婦を主役にした絵を描く習慣もなければ、パン屋の壁に絵を飾る習慣もなかったので驚くのは当然なのだが、この作品がパン屋に飾られていたことには、当時のフェルメール家の台所事情が関係している。
 近衛はフェルメール家の三年分のパンの代金として納品されており、画面の家政婦が牛乳を注いでいるのはパン・プディングを作るためだからである。プディング、つまりプリンは蒸し焼きのこと。当時のオランダでは、固くなったパンから作るプディングはイギリスのオートミールや日本の粥のような国民食であった。各家庭ならではの味付けがあり、ビールを混ぜて発酵させる家庭も多く、『牛乳を注ぐ女』の画面を見ると、卓上にパンを入れたカゴとビールを容れる蓋付きマグが描かれている。
 家政婦が牛乳を注いでいる器が広口であることからも、この牛乳が飲むためではなくプディングを作るために注がれているのがわかる。もしも、パンは固くなってもプディングにすれば食べられるということを訴求する広告を作るとするならば、この作品以上にふさわしいビジュアル素材はないだろう。その絵がパン屋の壁面を飾っていたとしても、なんの不思議もないのである。


 現在は美術展の目玉作品として、厳重な警戒のもとに展示されているフェルメール作品も、生まれた当時は「パン屋の広告」だったのです。
 しかし、「フェルメール家のパン3年分」って、当時からそれなりの値段がついていたんだな、とも思いました。
 近所のパン屋とのことでしたから、「パン3年分タダにするから、何か宣伝になるような絵を描いてよ!」「よし、わかった!」みたいな感じで、「ご近所価格」だった可能性もありますよね。それが当時の相場からすると高かったのか安かったのかはわかりませんが。
 「アートを売るビジネス」を行っている側からみると、「どうやって、一般市民に、アートを所有する生活への憧れ(あるいは、実用的な価値)を生み出せるか?」というのが、大きなテーマだったのです。

 1796年、ミラノに侵攻したナポレオンは『最後の晩餐』(1498)を見るためにサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院を訪れ、食堂の壁に飾られた画面をフランスに持ち帰ることも考えたといわれるが、作品の描かれた壁の巨大な重量から考えてこれは無理な相談であった。絵画は、壁画や天井画として教会や宮殿といった不動産に帰属していた時代には、制作された場所でしか観賞することができなかったのである。
 1980年に『最後の晩餐』が世界遺産に認定されたのちも、その「不動」性に鑑みてのことであり、木製パネルに描かれた動産である『モナ・リザ』(1503)は『最後の晩餐』よりはるかに多くの見学者をルーブル美術館に動員し続けていながら世界遺産には認定されていない。ユネスコの定める世界遺産の登録基準が、認定の対象を不動産に限っているためなのだが、じつは絵画が市場を流通する商品となるためには、動産化は必須の前提であった。不動産である壁画や天井画のように世界遺産には登録されないかも知れないが、動産になることで絵画は個人の資産となったからである。
 この絵画の動産化を促進したのが、ルネサンス中期に登場したキャンバスという画材であった。船の帆や旗に使用されていた亜麻製の布地「キャンバス(canvas)」は、当時急速に台頭しつつあった油彩に最適の下地材である上に、大作の画面でも丸めて運べるという利便性も手伝ってまたたく間に普及、従来の壁画や天井画や祭壇画にはなかった商品としての流動性を絵画に与えることになる。


 持ち運べるキャンバスの発明が、絵画を「商品化」するきっかけになったのです。
 僕も一度観に行ったことがあるのですが、「最後の晩餐」を持ち運ぶのは無理でしょうし、『モナ・リザ』のほうが多くの人を動員しているというのも、『最後の晩餐』は、観光客にとっては、それを見るためだけに、かなりの距離の移動を強いられることになるという理由もあるのです。

 ただ、こうしてインターネット時代になって、さまざまな作品や美術館をネット越しに観ることができるようになると、「生の作品を観る」ことの価値とは何だろう?と思うところもあるんですよね。
 「本物は違う」とは言うけれど、精巧につくられたコピーと本物を見分けることはできるだろうか。ディスプレイ越しだと、伝わらない「何か」を本当に受けとめているだろうか。
 それこそ「本物を観た」という自己満足だけではないのか。
 もっと技術が進歩して、バーチャル美術館みたいなものができれば、「本物」の価値は「本物である」という他にはなくなってしまうのかもしれません。
 そのとき、アートの価値はどうなっていくのだろう。


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