琥珀色の戯言

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インストール

インストール (河出文庫)

インストール (河出文庫)

実はこれ、今回文庫化されたのではじめて読んだのですけれど、「字が大きい!」とか「短い!」とかいうのはあるにせよ、「チャット」も「ネット」もあまりにも当たり前になってしまった現在のほうが、かえって「凄み」を感じます。これはむしろ、ヒップホップ系の音楽的な文章なのではないかな、と。ハッキリ言って、内容はほとんど無いに等しいし、ストーリーも感動的でもなければ、ものめずらしくもありません。でも、確かに読んでいて気持ちがいいんですよね。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20051023
↑で引用させていただきましたが、「解説」で高橋源一郎さんが書かれていたように、この小説は「完璧な日本語(と言い切る自信は僕にはないですが)」なのかもしれませんが、その一方で「完璧な商業小説」ではないと僕は思うのです。でも、それはそれで仕方がないのかもしれません。
ある意味、僕たちが「現代小説」だと思っていたものは、本当の「現代の口語体」と隔離しつつあって、ひょっとしたら、綿矢りさは、そういう「リアルな思考の流れを日本語化できる稀有な作家」なのではないかなあ、と。
だってさ、村上春樹の小説の主人公のような喋り方とする人って、現実世界には「村上春樹の小説を意識している人」しかいないわけですよ。
 併載されている、『You can keep it.』は、僕にとってはなんだか他人事とは思えないような話で、なんだかもう痛々しい気持ちで読みました。ただこれは文章的には、「これは!」と思うような断片には乏しくて、「小説家としての綿矢りさの進歩」であるのと同時に「普通の小説家になりつつある」ということなのかもしれません。もちろん、『インストール』『蹴りたい背中』だけでも、文学史的には、十分な役割を果たしてしまった、と言えなくもないんだけどさ。

ところで、この「インストールについての源一郎さんの解説を読んでいて、
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20051015#p1
↑の「才能を早熟化させるインターネット」というのを思い出したのですが、実は「インターネットが才能を早熟化させる」だけではなく、「そのままノートの片隅に埋もれていたはずの『才能』が、世に出やすくなった」という面もあるのかもしれません。自意識過剰な「青春前期」の若者にとっては、「友達には恥ずかしくて見せられないし、文学賞になんて落ちたらカッコ悪いから応募できない」という気持ちはあると思うのだけれど、ネットというのは「他人に読んでもらうことへの抵抗感」を少なくするプロセスとしては、非常に有効だと思うしね。
ただ、そのことはたぶん「作品」にとっては幸せなことなのだろうけれど、「作家」にとって幸せなことなのかは、正直、僕にはわかりません。その「一瞬のきらめき」が使い捨てられたりするリスクだってあるでしょうから。

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