琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

すぎやまこういち先生のこと

スギヤマ工房、「第21回ファミリークラシックコンサート」開催〜開発中の「ドラクエIV」と「IX」の音楽について語る

↑の記事を読みながら、僕は去年行った「ドラゴンクエストコンサート in 福岡」のことを思い出していました。
ドラゴンクエスト』というゲームは、堀井雄二鳥山明、そしてすぎやまこういちという3人の天才クリエイターによる「作品」であり、このうちの誰か一人でも抜けてしまったら、それは『ドラゴンクエスト』ではないのです(そういう点では、『ファイナルファンタジー』とは根本的に異なるんですよね)。
 福岡でのコンサートのステージで、すぎやま先生は優しい口調で曲の説明をしたり、指揮棒を振るったりされていたのですが、「序曲」からスタートして最初の何曲かを演奏されたあとで、先生は、「それでは、私はちょっと座らせていただきますね」と仰り、それ以降は座って指揮をされていました。
 これは別にアクシデントでもなんでもなくて、「予定通り」だったはずなのですが、それでも、実際にそうやって座って指揮をされているすぎやま先生の姿を観ていたら、やっぱり、すぎやま先生の「年齢」を考えずにはいられなかったのです。
 すぎやま先生は、1931年生まれですから、もう76歳になられます。外見上は全然そんな年齢には見えないし、創作に対する意欲も相変わらずのようなのですが、それでも、「老い」というのは確実にすぎやま先生にも忍び寄ってきているはずです。それを考えるとき、僕は、「あと何作『ドラゴンクエスト』で遊べるかなあ」などと淋しくなってしまいます。
 すぎやま先生の「ゲームミュージック」の凄さというのは、すぎやま先生御自身が「ゲームを愛していて、ゲームを知り尽くしている」ということに由来しています。

以前「ファミコンサウンド武勇伝」というエントリで、

すぎやまこういち先生は、FFの植松さんの「3音だけってのは、やりにくいですよね」という問いに、

音楽なんて2音で充分。ドラクエは2音で作ってるよ。残りの1音は効果音に使ってる。

と答えられた。

という逸話を紹介したことがあるのですが、今の「ゲーム音楽」は、「楽器としてのゲーム機」の機能が向上したことにより「普通の音楽」になってしまっているのが、ちょっと物足りないような気が僕にはするのです。
今、『リブルラブル』とか『マッピー』とかを聴きなおしてみても、やっぱり「いいなあ」って思うのだけど、最近のゲーム音楽って、あんまり印象に残っていないのです。それは「感傷」なのかもしれないけどさ。
みんなが「普通の音楽がゲームで使えたらなあ」と思っていたけど、実際にそれが可能になってみたら、そんなに面白いものじゃなかったのですよね。

PSG3音の時代から「ゲーム音楽」を作り続けているすぎやま先生は、「制約すら武器にしてきた数少ないゲームサウンドのクリエイター」なのです。
そういえば、僕がはじめて『ドラゴンクエスト(1)』をファミコンでクリアしたとき、そのエンディングの演出と音楽の素晴らしさに「ゲームにこんな映画みたいなエンディングがあるなんて!」とものすごく感動して、エニックスにアンケートはがきを送った記憶があるのですが(自意識過剰なことに、『ドラゴンクエスト2』が出たのには、僕の熱い想いも影響したに違いない、なんて考えてたんですよ当時は)、こんなにハード性能が進化しているにもかかわらず、あれを超える素晴らしいエンディングには、まだ出会えていないのです。

すぎやま先生にはいつまで元気で活躍していただきたいけれど、その一方で、すぎやまこういちを超えるゲーム音楽家は、この先出ることがあるのだろうか?と不安になってしまうのも確かなんですよね。「ゲーム音楽」そのものが無くなることはないとしても。

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