琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

ブログと「怒り」

メジャーなブログになるためには怒りが必要なのかも(by 愛・蔵太の少し調べて書く日記(07/8/6))

↑のエントリを読んで以来、何か書いておきたい、という気持ちは僕の心にずっとあったのですけど、なかなかそれをうまく言葉にできないんですよね。「メジャーなブログ」というのがどういう定義なのかはさておき、やっぱり、僕も「怒り」などの感情の起伏が伝わってくるブログを読むのが好きですし。

どうしてブログで「怒り」を表明するのか?
以前、↑のようなエントリを書いたことがあるのですが、id:lovelovedogさんが書かれている

 世界はよくなっているとは思えないし、どうすればよくなるのかも分からないんですが、ぼくは「誰かに対して怒っている人間は、絶対過去に何らかの因縁がある」という判断をしてしまうのですね。

という心境は、なんとなくわからないではないのです。僕自身にもやっぱり「嫌いな人」は存在しますし、その理由には「過去の因縁」という場合もあります。ただ、その「因縁」ってやつも千差万別で、「直接言いがかりをつけられた」なんて場合もあれば、「昔からなんとなく感じ悪かった」というくらいのこともあるわけです。でも、後者のレベルのものまで含めていたら、キリがないというのも事実なんですよ。逆に、日頃から親しくしていたり、好感を抱いているブログに対しては、多少気に入らないことがあっても許してしまう、ということだってあるでしょうし。
 まあ、ブログを何年かやっていれば「敵」の一人や二人いるのはしょうがないような気もします。

 もうひとつ感じていることは、「メジャーなブログの人たちは、ちゃんと客席を向いて『怒り』を表明している」といいうことなのです。当たり前のことなんですが、「怒っているブログ」のすべてが人気になるわけではありません。「怒っているブログ」のなかで「メジャーなブログ」というのは、ちゃんと「怒る相手を選び」「怒りかたを加減し」「怒っている姿を観客にアピールする」ことができているところです。本当に我を忘れて口汚く対象を罵倒するだけなんてブログは、一時的に面白がられて人が集まるかもしれませんが、周りが飽きたらそれでおしまいです。
メジャーなブログっていうのは、「サーベルを持っているのに柄の部分で殴るだけ」のタイガー・ジェット・シンのような「怒り芸」を持っているのです。そして、そんな芸当ができる人っていうのは、たぶん「心の底から怒ってはいない」。
 そのあたりの「匙加減」というか「バランス感覚」が、「怒り」を使ってメジャーになれるブログの特徴であるような気がします。

 僕は全くメジャーになれないブロガーなんですけど、「最近はケンカしなくなったから、来てくれる人が減ったなあ」なんて、ふと考えてみたりすることもあるんですよね。でも、実際にバトルをやっていると、すごく疲れるし、途中でうんざりしてしまうのです。ただし、本当に腹が立ったときには、やっぱり闘わずにはいられません。もしかしたら、「本気で怒ってしまう」から、メジャーになれないのかも。
 
 もしかしたら、現代は「本気で怒っている人」をなかなかリアルで目にするのは難しい時代だからなのかな……

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