琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

「いつか、男も女も萎えていく」


Amazonのカスタマーレビュー:わしズム 2007年 5/18号

今日、↑を読んでいたら、とても心に引っかかるレビューがありました。

最も参考になったカスタマーレビュー

16 人中、11人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
衝撃でした。, 2007/4/23
By そよ子 - レビューをすべて見る

今回は結婚がテーマでしたが、正直私には重たい内容でした。
特に衝撃を受けたのが切通理作氏の『今週、妻と離婚します』でした。

私は自分が出産年齢のリミットがきているのと、自身の病気が治るのがそれに間に合わないと
いう理由で子どもを持つことができません。
切通氏も奥さんとの間に子どもがなく、男としての自分に焦りを感じられたことや
本当は子どもが欲しかったということもあり、自分より一回りも若い女性との恋に落ちた結果、その女性との間に子どもができて奥さんと離婚して、新しい女性と暮らすことに決めたという衝撃の告白を文章に綴っておられました。

私はこれを読み、うちの旦那も私との間に子どもができないことに不満を感じて
よそに子どもを作ってしまうのではと、とても不安になりましたが、
そのことを旦那に言うと「そんなことができるのは一部の人間だけ。余計な心配をするな!」
と叱られてしまいました。

旦那は「いつか、男も女も萎えていく。その時に必要なのは安らぎだ。子どもがいないのは関係ない」と言ってくれました。

それを聞いて私は、子どもというのは若い時の勢いで出来てしまう部分も大きくて、
歳を取って本当に大事なことは夫婦の絆なのではないかと思いました。

切通氏のことを存知あげないので、読んだ作品でしか判断できないのですが、
彼も歳を取ったら元の奥さんのところに戻っていかれるかも知れませんね。本当の安らぎを求めて。 

僕も当時(結婚直後)に、この切通さんの『今週、妻と離婚します』を読んで驚いた記憶があります。
それは、「そんなことで糟糠の妻と別れてしまう切通さんの人間性の欠如」と「それをこんなふうに文章にして雑誌で発表してしまう作家の残酷さ」に対しての二重の驚きでした。

「子どもがいない、できないという理由での離婚は許されるのか?」
ちょうど、東野圭吾さんの『聖女の救済』を最近読んだこともあり、このレビューに僕はものすごく考えさせられました。
うちは子どもが産まれて1ヵ月あまり。
生まれてみてはじめて、自分の「親バカの才能」に気づいてもいるのですが、その一方で、「子どもを育てていくために失うもの」を僕はときどき数えてしまいます。
お金がかかることや海外旅行にしばらく行けなくなることなどは「覚悟」していたのだけれども、実際のところ、「本や映画を集中して読むのが難しい」ことや「外食ができない」(これは、僕よりも妻側のほうが深刻なはずです。彼女は何も言いませんが)ことなども、けっこうストレスなんですよね。
赤ん坊っていうのは、2時間おきに目を覚まして泣き、そのつどオムツを替えたりミルクをあげたりしなければならないので、本当に「子どもの面倒をみているだけで一日が終わってしまう」日々だったりするわけで、「こうしているうちに、どんどん年をとってしまうこと」が怖くなることもあるのです。
「あんなに仕事をがんばってやっていたのに、ずっと育児ばかりになっちゃって寂しくない?」と聞くと、「それはあなたの考えすぎというか価値観の押しつけで、先のことはわからないけど、今はこれで幸せ」なんて言われたり。
日々育っていく自分の息子は、やはり、「かけがえのない存在」ではあるし、昨日と違う面をみつけるたびに嬉しくなってしまうのだけれど、「これから『自分の人生』はどこに行ってしまうのだろう」という不安もあります。


この「そよ子」さんのレビューを読んで、僕はこのご夫婦の絆の強さに心を動かされました。
でも、その一方で、「萎えていって、やすらぎが必要だから」人は結婚するのだろうか?とも思うのです。
そもそも「やすらぎ」って何だろう?
年を取ると「男も女も萎える」というけれど、それは若い人たちが未経験の将来をそう思い込んでいるだけで、人というのは、そう簡単に「萎えることができない生き物」なのではないか?


もちろん、僕は「子どもをつくるために人は夫婦になる」とは考えていません。
自分に子どもができたからって、「子どもがいない人生なんて!」と誰かを説得しようとも思わない。
子どもがいることというのは「人類の一員としてのやすらぎ」をもたらすことはあっても「個々の人生においては、やすらぎというより、波乱要因」なのかな、という気もするし。
(ただし、自分自身に対しては、自分が置かれた状況の良い面をみるように日頃から言い聞かせてはいます)
いまの僕は、この切通さんの「残酷な選択」も、「全否定」できないのです。
世の中には、お互いに憎みあっているのに「子どもだけがいる」夫婦がいて、素晴らしいパートナーなのに「子どもだけがいない」夫婦もいる。
残酷なのは、そういう「現実」そのものであり、人は、どこまでその「残酷さ」に殉じるべきなのか?

最終的には「そんなの人それぞれだろ」としか言いようがない話ではあるのだけれど、最近考えている「まとまらないこと」をまとまらないまま書いてみました。


わしズム 2007年 5/18号 [雑誌]

わしズム 2007年 5/18号 [雑誌]

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