琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

不幸な国の幸福論 ☆☆☆☆


不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)

不幸な国の幸福論 (集英社新書 522C)

挫折と逆境こそが「幸福」の要件である

経済は破綻し格差は拡大する一方、将来への希望を持つことが難しい日本にあって、「幸せ」は遠のくばかりと感じている人は多い。しかし、実は日本人は自ら不幸の種まきをし、幸福に背を向ける国民性を有しているのではないか―。
精神科医、心理学者でもある作家が「幸せになれない日本人」の秘密を解き明かし、幸福になるための発想の転換法を伝授する。追い求めている間は決して手にいれることのできない「幸福」の真の意味を問う、不幸な時代に必読の書。

朝日新聞の「天声人語」で紹介されるような本だし、どうせ、「幸福かどうかはあなたの心の持ちよう」というような「洗脳系」の新書だと予想していたのですが、それを良い意味で裏切ってくれた新書でした。
僕はホリエモンが書いた本もたくさん読んでいますし、「経済的なゆとりが無いと、少なくとも『すごく幸福』にはなれない」とは思うのです。
でも、世の中の風潮として、みんな「すごく幸福な人」を目指し過ぎて、結局、自分を不幸に追い込んでいるようにも感じます。
加賀さんがこの新書のなかで僕に語りかけているのは、「自分の価値を高めようとするだけでは、なかなか『幸福』にはなれない」ということでした。

 私の仕事場の近所にあるコンビニエンスストアで、70代前半ぐらいの女性がパートで働いています。彼女は店が混んでいなければ、お客さんに笑顔でさりげない一言をかける。「お疲れさまです」「今日は冷えますね」「あ、これ、新商品なんですよ。私もこのあいだ食べたら、わりといけました」「行ってらっしゃい」……。
 誰彼となくというわけではないようで、急いでいる様子の人には通常の接客をし、主に年配客や子供、ちょっと元気のなさそうな人に声をかけることが多いようです。
 マニュアルどおりが当然のコンビニでは珍しいので、まったく無視する客や戸惑う客もいますが、二人に一人は笑顔になり、「あ、どうも」「そっすね」「行ってきます」などと思い思いの返事をする。なかには、別のレジが空いていても彼女のほうが空くまで時間を潰している人もいます。
 先日も、小学生の男の子が彼女のレジのほうに並び、お弁当をレンジで温めてもらっているあいだに、「今日は塾終わるの十時なんだ。まだ腹へってないんだけど、今食べておかないとさあ」と親しげに話しかけていました。会話の様子から、二人がもともとの知り合いではないのがわかります。「行ってらっしゃい」という声に送られ手を振りながら店を出ていく少年もうれしそうなら、見送る彼女もうれしそう。それを見ている私まで、なんだか心がほっこりしてくるようでした。
 70歳を過ぎてパートに出ているのが生活のためなのか、働くのが好きだからなのかはわかりません。とくに裕福そうでも、特別な技能や才能をもっているようでもなさそうです。けれど、彼女のおかげで、少年をはじめ何人もの客がちょとだけ元気になったり、ホッとしたり、やさしい気持ちを呼び起こされたりする。それもまた、アジア諸国で農業技術を教えるのと同じくらい価値のあることではないでしょうか。
 ゆとりや技能のあるなしにかかわらず、誰だって人のためにささやかな何かはできるものです。むしろ、経済的にも精神的にもゆとりがないときほど、人の役に立てる自分であろうと思い、それを目的の一つにしてみることをおすすめします。

僕のなかには、こういう話を「綺麗事じゃない?この女性だって、財産が腐るほどあれば、コンビニで働かずに遊んで暮らすんじゃないかな」という気持ちもあるんですよ。
しかしながら、40年近く生きていると、結局のところ、「物質的な満足を追求すること」では、もう、幸せになれないんじゃないか、とも思えてくるんです。
特定の宗教の信仰は僕には難しいけれど、少し、自分の考えかたを変えていくべきなのかもしれません。
「夜中に当直したり、呼び出されたりする」のは本当にイヤだしキツイけど、「夜中に僕を呼びださなければならないほど、必要としてくれる人がいる」のは、けっして、悪いことばかりじゃない(あんまり頻度が高いと身がもちませんが)。

アップルのスティーブ・ジョブズは、最近こんなことをよく口にしているそうです。

「美しい女性を口説こうと思った時、ライバルの男がバラの花を10本贈ったら、君は15本贈るかい?? そう思った時点で君の負けだ。 ライバルが何をしようと関係ない。 その女性が本当に何を望んでいるのかを、見極めることが重要なんだ」

結局のところ、「物質的な贅沢」を追求していったとしても、フェラーリを買っても満足できなければ(もちろん僕は買えませんが)、自家用ジェットを買っても完全に満たされることはない。今度は宇宙ロケットが欲しくなるだけのこと。

この新書の優れた点は、著者の自己主張だけではなく、古今東西のさまざまな書物や体験談の例が示されて、「幸福」について考察されていることです。
有名人が、自分の思い込みだけで200ページ突っ走っている「新書」が多いなかで、とても誠実な姿勢だと思います。
とくにヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』からの引用には、「収容所のなかにも、人間の『幸福』は存在するのか?」と考えさせられましたし、『夜と霧』を久しぶりに読みたくなりました。

最後に、この新書のなかで、とくに印象的だった言葉を御紹介しておきます。

 あきらめ力について考えるとき、思い出す祈りがあります。

 神よ、私たちにお与え下さい。
 変えることのできないものを受け入れる冷静さと、
 変えることのできるものを変える勇気を。
 そして、その二つを見分けるための知恵を。

 1943年にラインホールド・ニーバー牧師がマサチューセッツ州の小さな教会で初めて唱えたこの祈りは、キリスト教徒に限らず多くの人の琴線に触れ、その後、世界に広まっていきました。
 私たちはともすれば、変えることのできないものに執着してしまいがちです。その一方で。努力すれば変えられるものを変えられないと思い込んでいたり、変えていくための労苦を厭うて、あるいは失敗して傷つくことを怖れて、これは変えられないものなのだと自分で自分をごまかしたりする。だから、変えられるものと変えられないものについて、じっくり考え、明らかにしてみることをおすすめします。

この言葉、マイケル・J・フォックスが、著書『ラッキーマン』の中で紹介していました。
30歳の若さでパーキンソン病を発症した彼の「座右の銘」が、この言葉だったのです。
シンプルな言葉なのだけど、僕は自分がいかに「変えることができないもの」にこだわり、「変えることのできるもの」を諦めているのかと考えずにはいられません。

この新書を読んでも、たぶん「幸福」にはなれません。
でも、「幸福」についての考え方が、少しは変わるのではないかと思います。


夜と霧 新版

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