琥珀色の戯言

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ルポ 差別と貧困の外国人労働者 ☆☆☆☆☆


ルポ 差別と貧困の外国人労働者 (光文社新書)

ルポ 差別と貧困の外国人労働者 (光文社新書)

出版社/著者からの内容紹介
◎ 本書内容
日本は、これまで外国人を
社会の一員として明確に認識したことがあっただろうか。
中国人と日系ブラジル人労働者を中心に、
彼らの心の痛みに耳を傾けた渾身のルポルタージュ

◎ 本文より
【その言葉が、いまでも頭から離れない】
岐阜の縫製工場で働いていた6名の中国人女性実習生は、
あの晩、私に向かって「人間じゃないみたいでしょう」と訴えた。
朝7時から夜10時まで、ずっとミシンを踏み続けた。
休日は月に1日のみ。夜間外出も外泊も禁止されていた。
毎月の基本給は5万円。生活費として現金支給されるのは1万5000円。
残業手当は時給300円だった。

◎ 目 次
はじめに
第 一 部  中国人が支える、日本の底辺重労働
第 二 部  日系ブラジル人、移民たちの闘い
おわりに

内容(「BOOK」データベースより)
日本経済にとって、外国人労働者は都合の良い存在であり続けた。企業の繁栄を支え、あるいは不況企業の延命に力を貸してきた。しかし日本は、その外国人を社会の一員として明確に認識したことがあっただろうか。第一部では、「奴隷労働」とも揶揄されることも多い、「外国人研修・技能実習制度」を使って日本に渡ってきた中国人の過酷な労働状況を概観する。第二部では、かつて移民としてブラジルへ渡った日本人の主に子どもや孫たちが、日本で「デカセギ労働者」として味わう生活と苦労、闘う姿を追う。こうした中国人研修生・実習生と日系ブラジル人を中心に、彼ら・彼女らの心の痛みを描きながら、日本社会をも鋭く映す、渾身のルポルタージュ

この新書を読んで、「こんなことが、僕が住んでいる日本という国で公然と行われているのか……」と驚愕してしまいました。
地方都市に住んでいると、「外国人」に接する機会も少なく、「外国人労働者」というのは、英会話教室の先生か不法就労者か水商売くらいしか思いつかない自分が恥ずかしい。
それにしても、「研修生」「実習生」という名目で海外(とくに中国)からやってきた人々への日本の企業の「搾取」には、すさまじいものがあります。
著者が2005年に取材したという、岐阜市郊外の縫製工場で働いている6人の実習生の生活。

 いまにも崩れ落ちそうな古い木造平屋建ての寮は、食卓が置かれたダイニングキッチンと、寝室だけの小さな間取りだった。ここに6人の実習生が住んでいる。寝室には二段ベッドが人数分、並んでいた。それにしても寒い。家の中には暖房設備が何もなかった。すきま風が入り込み、吐く息も白い。6人の女性たちは全員がダウンジャケットを着ていた。
「寒いでしょう。お茶、飲むといいです」
 彼女たちは中国茶を淹れて私に勧めた。

(中略)

 6人は全員が中国東北部山東省の小さな町の出身だった。地元の縫製工場で働いていた彼女たちは「先進技術を学ぶことができる」「日本人と同じ額の給与が支払われる」とブローカーに吹き込まれ、手数料として請求された6万元(約90万円)を借金で工面し、さらに自宅の権利書を送り出し機関に預けて2002年に来日した。
 ブローカーの話が出まかせであったことは、来日してすぐに悟った。配属された縫製工場には古いミシンが並んでいるだけで、「先進技術」などどこにも見当たらなかった。ミシンで婦人服を縫い上げる仕事は、経験者である彼女たちにとっては、手馴れた単純作業でしかない。朝7時から夜10時まで、ずっとミシンを踏み続けた。休日は月に1日のみ。夜間外出も外泊も禁止されていた。
 研修生として来日してからずっと、毎月の基本給は5万円。そのうち3万5000円は強制的に貯金させられ、生活費として現金支給されるのは残額の15000円だ。残業手当は実習生時代、時給300円。研修生時代は200円だった。
「あまりにひどい」と、彼女たちは涙ながらに訴えた。
 まるで「女工哀史」の世界である。

 実際、「みんな、やっていること」だけは、ウソではなかった。取材を進めていくなかで、岐阜県内の縫製業界では、研修生に対して低賃金・長時間労働が当たり前のように強いられていることがわかった。しかも、まるで申し合わせたかのように残業時給は300円だった。
 別の縫製工場の経営者にそのことを指摘すると、「中国人にも、ちゃんと給与を払わないといかんの?」と怪訝な表情をされた。そのうえ、「もしも、中国人にマトモな給料を払ったら、研修制度の意味がないでしょう?」と詰め寄られた。意味を取り違えているのは、この経営者のほうである。中国人にマトモな給与を払わなくてもよい、とする決まりなど、どこにもない。

 このルポを読んでいくと、「こんな酷い経営者たちが経済格差を利用して、『研修』などという名目で、貧しい国や地域の労働者から搾取しているのか……」と愕然とさせられます。これはまさに、現代の「奴隷制度」。
 こんな「研修生・実習生制度」が許されていいのか?と思うのですが、日本側も中国側も、こういう「実態」をある程度把握しているはずなのに、見て見ぬふりどころか、公的な機関が「研修生集め」に協力しているのです。
 ほんとうに、日本人でいることが情けなくなるようなエピソードの数々が、この新書では、これでもか、と紹介されています。

 しかしながら、僕はこんなことも考えてしまうのです。
 もし、海外工場(主に中国)での生産をやめたり、外国人労働者に日本人と同じ給料を与えたりすれば、その企業の「競争力」はどんどん低下していくのではないか?
 結局のところ、いまの日本で(世界でもそうなのでしょうけど)、消費者が納得するような「安さ」を実現するためには、こういう「経済格差を利用した、奴隷的な労働」が必要不可欠になっているのです。
 たぶん、消費者が変わらないかぎり、こういう「格差を利用した『経営努力』」も続けられるのでしょう。
 そして、このシステムを利用する製造業や農業などの中小経営者たちの多くは、「研修生たちから『搾取』しないと、自分たちも食べていけない」という状況に陥ってしまっているのです。
 そんな酷いことをするくらいなら、お前らは飢え死にしろ!とはさすがに言えません。
 僕たちも、間接的に、その「奴隷労働」の恩恵を受けているわけだし……

 この「現代の奴隷制度」は、「お金」だけの問題ではなくて、さまざまな「差別意識」にもつながっています。

 愛知県の自動車部品工場では、中国人とベトナム人の研修生に対し、勤務時間中にトイレを使用した場合、1分間15円の“罰金”を科していた。私は会社側が作成した「トイレ使用時間・使用回数表」と題された表を入手したが、そこには各自の名前と並べて、毎日のトイレ使用時間、使用回数が記録されたいた。
 毎月の合計回数の横には、ひらがなで「きゅうりょうよりマイナスします」と書かれていた。なんとおぞましい“社員監理”であろうか。小便にまで罰金を科すばかりか、わざわざ表を作成してまで記録に残す、そのいやらしさに、私は反吐が出る思いだった。

ここまでくると、「差別」というか「嫌がらせ」「イジメ」のレベルです。
安く働かせて儲けよう、という気持ちは理解できるのですが、なぜ、こんなふうに「非人間的な扱い」にまで、エスカレートしてしまうのだろう……

こういう「奴隷のような外国人労働者の扱い」は、日本だけで行われているのではないのかもしれません。
少なくとも「富める国」では、自国民より外国人労働者のほうが待遇が良い、というのは想像しがたいし。

 そして、こんな話には、あらためて「日本人の『仕事』のいま」について考えさせられました。

 三重県四日市市特別養護老人ホームやケアハウスなどを運営する社会福祉法人・青山里会、同会には現在、50人を超えるブラジル人が介護職員として働いている。
 そのひとり、ハマダ・クリスチーナ(38)は、お年寄りの車椅子を押しながら、「仕事が楽しくてしかたない。(お年寄りから)べっぴんさんだとホメられると嬉しい」と笑顔を見せた。
 18年前に来日して以降、ずっと自動車関連工場で働いてきたが、2008年に不況で仕事を失った。ブラジル人には工場での仕事しかないと思いこんでいたが、たまたま求人を出していた福祉の世界に飛び込んでみた。
「それがこんなに、やりがいのある仕事だとは思わなかった。機械よりも、人間と向き合うほうが楽しい。ブラジルは大家族主義だから、ある意味、日本人以上にお年寄りと接する機会には恵まれていた。だから、お年寄りには慣れている」
 当初は「ガイジン」として、おそるおそる向き合っていた入居者のお年寄りも、いまではハマダを自分の娘のようにかわいがる。
「この子、優しい子や。この子の姿が見えないと寂しくてかなわん」
 80過ぎの男性入居者は、ハマダの頭を撫でながら相好を崩した。
 同じく職員のサイキ・サチエ(30)も、「新しい道を見つけたように思う」と明るく話す。
 やはり長きにわたって自動車関連工場で働いてきた。
「賃金は工場のほうが高い。でも、人間相手の仕事のほうが充実している」
 工場では自動車のエアコンの部品を作っていた。仕事中は、ひたすら部品と向き合っていた。同じことの繰り返しだった。単調できつい作業だったが、時給は1000円を超えていた。
「それ以外の世界があることを、ここで知りました。お年寄りの手は温かい」
 冷たい機械の世界には、「戻るとは思わない」と言う。

 ちなみに、この青山里会では、「ブラジル人職員の給与水準は、日本人職員とまったく同じ」なのだそうです。

 「人と濃密に接する仕事」のほうが、日本人にとっては「やりたくない仕事」になってしまっていて、その穴を埋めてくれるのが、外国人労働者、という時代になってきているのです。
 しかし、「お金」がなくなったら、いったい誰が日本人を介護してくれるのだろうか……

 「立派な経営者」たちが声高に叫ぶ「効率化」や「グローバリズム」で、誰が幸せになっているんでしょうね。
 このままでは、日本人も外国人も、不幸になっていく一方に思えてなりません。

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