琥珀色の戯言

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【読書感想】日本の「中国人」社会 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

日本の「中国人」社会

日本の「中国人」社会

内容(「BOOK」データベースより)
日本の中に、「小さな中国社会」ができていた!住民の大半が中国人の団地、人気殺到の中華学校、あえて帰化しないビジネス上の理由、グルメ中国人に不評な人気中華料理店―。70万人時代に突入した日本に住む中国人の日常に潜入したルポルタージュ


 海外の「日本人が多い地域」や日本人駐在員とその家族の生活などは、それなりに知る機会が多いのです。
 それに対して、日本に住んでいても、「日本に住んでいる外国人の日常」について話題になるのは、何か事件が起こったり、日本で過酷な労働を強いられている「 留学生」や「実習生」が問題になるときがほとんどです。
 僕にも、最近、コンビニなどのサービス業で、外国から来ている人をよく見かけるようになったなあ、という印象はあるのですが。

 

 今、中国人コミュニティが日本にすっぽり入り込んでいるかのような地域がいくつもできている。
 東京でいえば、新宿、池袋、亀戸、錦糸町、葛西あたり。大阪では西成地区など。これらの街のある一角に足を踏み入れると、自分のほうが異邦人になったかのような感覚にとらわれる。中でも象徴的なのは埼玉県川口市と神奈川県横浜市だ。
 詳細は第1章で紹介するが、人口約60万人の川口市には約2万人の中国人が住み、その多くが西川口と蕨というJRの駅周辺に集中している。自治体別の在留中国人数では、川口市では全国で第五位。東京都、大阪市などの大都市を除くと、川口市の多さはひときわ目立つ。
 西川口には新興のミニ中華街ができ上がっており、藪には芝園団地という中国人率が圧倒的に高い集合住宅もある。
 一方、横浜市にある横浜中華街は神戸や長崎と並び「日本三大中華街」と呼ばれ、古くから”中国人比率”が高かった。そこには老華僑(1978年の中国の改革・開放以前に来日した中国人)が住み、何世代にもわたって中華料理店を営んできた煌びやかなストリートがある。いわば観光客向けのチャイナタウンだ。
 しかし、そこからわずか数キロ離れた横浜市南区にある”ごく普通の住宅地”には、近年になって新たに流入してきた若い世代の中国人が集住している。その学区内にある小学校は、児童の約四割が中国人なのだという。その学校を訪れ、休み時間に廊下を歩くと、元気よく響く児童たちの声の多くが中国語だった。
 なぜ、この二つの地区に中国人が集まるようになったのか。
 近年、とくに2000年以降、日本に住む中国人の数は急カーブで増え続けている。総務省の統計によると、2017年末時点で、約73万人(台湾・香港を除く)に上り、在日外国人全体(約256万人)の約3分の1を占める。
 短期や公務での滞在者などを含めると約87万人、日本国籍の取得者(帰化者)などを合わせると約97万人と、その数は100万人に迫る。2000年は約32万人だったが、3倍近くに増加した。実に、日本に住む120人に1人が「中国人」なのである。


 日本に住む中国人は、20年足らずで3倍に増えているのです。
 地域による偏りもあるので、僕はそこまで急激に増えているという実感はなかったのですが(博多に観光に来ている中国人らしき人がたくさんいるなあ、とは思っていたけれど)、両国の政治的な関係はともかく、人の行き来はこんなに活発になっています。

 そして、不法滞在者が多い、というのも、もはや昔の話で、法務省などの「高度外国人材の受入れ・就労状況」によると、国籍・地域別高度外国人材として日本で働く全外国人のうち、65%が中国人で、圧倒的多数を占めているそうです(二位は米国人、三位はインド人)。
 外国人犯罪の検挙数も右肩下がりで、とくに中国人の検挙数は2010年ごろから劇的に下がっており、男女比では、6対4で女性が多く、構成比では20〜39歳が全体の58%を占めている。
 外国人労働者の受け入れをすすめつつある現在の日本なのですが、すでに、かなりの中国人たちが日本の社会を支えているのです。


 日本で生活する中国人たちには、グループチャットのコミュニティがあって、「日本の結婚式には何を着ていったらいいですか?」「子どもの運動靴を洗うなら、どの洗剤がいいですか?」「入管(入国管理局)は、新宿と立川とどちらの出張所が空いていますか?」など、硬軟とりまぜて、さまざまなやりとりがなされているそうです。
 日本の『LINE』でのグループと同じようなことを、日本の中国人たちもやっているのです。

 
 そして、日本人の子どもは、より高度な勉強をしている、という思い込みも、この本を読んで吹っ飛んでしまいました。

 北京大学大学院のキャンパスで出会った女性、杜秀青氏は、1992年、内モンゴル自治区で生まれた。研究者だった父親の仕事の都合で、小学1年生から中学3年生まで鳥取県で生活した。日本語の習得は速く、三ヵ月でほぼマスターした。家の中では中国語だったが、本人いわく「だんだんと中国語は”退化”して、日本語中心の生活になりました」。
 そんなある日、父親が西安で仕事をすることになり、中国に戻ることになった。
「小学6年生くらいまでに帰らないと中国の勉強についていけなくなる、と聞いて心配していました。でも、いろいろな選択肢も考慮していて遅くなり、結局中学3年の終わりになって、ようやく帰国することになったんです」
 西安で最もレベルの高い中学に編入できたが、日本で学んでいない「政治」や(中国の)「歴史」などの科目は一から勉強しなければならない。また、数学や理科は相当な遅れがあり、日本の中学3年は、中国の小学4年レベルだと聞かされて驚いた。
「クラスの半分とは仲良くなれたのですが、残りの半分からは『日本鬼子』(日本の蔑称)と呼ばれました」
 日本では成績は常にトップクラスだったか、西安では高校入試の模擬試験で最下位に。それも相当ショックだったが、先生から「杜は勉強ができないから、みんな杜とは友だちにならないように」といわれたことが最も悲しかった。中国は成績順にクラス分けをする。日本でもそういう学校はあるものの、中国では露骨に成績によって人を判断する人が少なくない。彼女はこのとき初めてそのことを思い知った。
「高校入試がある6月までの間、ひたすら勉強して、睡眠時間は一日一時間くらいでした」


 中国の「競争社会」は劇烈だという話は聞いていたのですが、この本を読むと、日本は「慢性ゆとり教育」のように思えてきます。だからといって、先生が成績で「○○とは友だちにならないように」なんていう学校が正しいということはないでしょうし、中国も、いずれは過剰な競争への反省をするときが来るのかもしれません。
 とはいえ、現状、少なくとも成績上位組においては日本の子どもたちよりも、中国の子どもたちのほうが、より高いレベルの競争を強いられているのです。
 中国の学歴をめぐる競争では、親の勧めで国籍をアフリカや南米の国に変えて、外国人枠で有名大学に合格しやすくする、という事例もある、とのことでした。
 そこまでやるの?というようなことが、実際に行われているのです。
 日本の中国人コミュニティでは、中国での受験戦争を避け、日本の有名大学を目指す若者も大勢います。

 日中間を頻繁に行き来しているビジネス・コンサルタントの劉華英氏も、昨今の変化を肌で感じている。
「2014年くらいから”潮目”が変わってきました。私は長年この仕事をしてきましたが、これまでは日本から中国への投資案件について相談されることが多かったのに、最近では中国から日本への投資相談が続々と舞い込むようになったのです」
 具体的に増えているのは後継者がいない日本企業の買収や業務提携、不動産投資といった案件だ。日本では「中国人が日本を乗っ取ろうとしている」などと報じられることもあるが、どうも実情は違うらしい。
「中国では魅力的な投資先がなかなか見つからない、あるいはすでに投資し終えたから、日本に目が向いているのです。とにかく余剰資金があるので、日本企業に投資し、技術を買いたい、何でもいいのでお金を使いたいという相談事が多く寄せられています」
 日本は地理的に近いうえ、技術力では中国企業にはないもの、より優れた面が多いことなどが投資対象として魅力的に映っているようだ。また、中国国内の投資案件では騙されることがよくあるが、日本では少ないのも利点のひとつになっている。しかし言葉の問題も含め、日本への足掛かりや予備知識もないために、劉氏のようなコンサルタントに声を掛ける。


 企業文化の違いによる摩擦が起こることも少なくないそうですが、日本と中国の人やモノ、お金の流れの”潮目”は、確実に変わってきているようです。
 だからといって、「日本が中国に支配される!」なんてことは非現実的ではありますが、西暦2000年以前の「中国観」みたいなものは、もう、完全に時代遅れになっているのです。
 これからは、日本で生活していても、中国人とどう付き合っていくか、というのは、避けては通れない時代になりそうです。
 この本を読んでいると、国籍よりも階層の違いのほうが、より断絶を生じやすい社会になっていくのではないか、とも思うのですが。


なぜ中国人は財布を持たないのか

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