琥珀色の戯言

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月と蟹 ☆☆☆☆


月と蟹

月と蟹

容(「BOOK」データベースより)
「ヤドカミ様に、お願いしてみようか」「叶えてくれると思うで。何でも」やり場のない心を抱えた子供たちが始めた、ヤドカリを神様に見立てるささやかな儀式。やがてねじれた祈りは大人たちに、そして少年たち自身に、不穏なハサミを振り上げる―やさしくも哀しい祈りが胸を衝く、俊英の最新長篇小説。

本日、第144回芥川賞直木賞の選考会です。
さて、道尾さんは、5回目の候補で受賞なるか!
(たぶん受賞すると予想しているので、こうして今日、この本の感想を書いたのですけど)

道尾秀介さんの作品として、僕が思い浮かべるのは『カラスの親指』『ラットマン』『向日葵の咲かない夏』などの、これでもか、とばかりに二転三転していく「どんでん返し」が印象的なものばかりです。
この『月と蟹』は、父親を失った少年が「大人になっていくための通過儀礼」の物語で、ストーリーは、ひと言でいえば「地味」なんですよね。
半分ほど読み終えた時点で、「まだ、事件らしい事件が起こっていないんだけど、これ、このまま終わっちゃうの?」と思いましたし。

ただ、それは、この作品が「何も大きな事件が起こらないからつまらない」ということではありません。
少年たちのちょっと残酷な(でも、あの世代の男子であれば、大部分がやるような)「遊び」が繰り返されるだけなのに、これだけの長さの作品を最後まで読ませる道尾さんの「筆力」に、僕は圧倒されました。
この作品、本当に「細部」がリアルなんですよ。
少年たちが行う「儀式」は、「ああ、似たようなことを僕もやっていたな」と感じずにはいられないのですが、大人になって、それをこんなに緻密に思い出すことができて、情景が伝わる文章にできるというのは、すごいことだと思います。
その「緻密さ」を積み重ねることによって、少年が「大人になっていくこと、なっていかざるをえないこと」の痛みが、読んでいて迫ってくるんですよね。
正直、これを読んでいると、自分が大人になって、「忘れてしまった子供の頃の残酷さ」に恐怖すら感じるし、「子供がかわいそう、と簡単に言うけれど、子供に常に『完璧』を求められる『親』という存在の辛さ」も考えさせられるのです。


僕がイメージしていたような道尾さんの「物語の意外性やダイナミズム、やられた!という爽快感」には欠ける作品なのだけれど、こんな緻密で「子供の頃の記憶」を呼び覚ますような文章を書けるというのは、本当にすごいことだと思います。
これを読むと、あまりに「文芸的」な作品のため、つい、「これで直木賞狙ってるんじゃないの?文藝春秋だし」とか邪推してしまいますし、「面白さ」を抑えて、読者よりも選考委員のほうを向いているんじゃないか、という気もするのですけど、これで受賞された暁には、また、「過剰なまでのどんでん返し」も読みたいものです。

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