琥珀色の戯言

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神様のカルテ2 ☆☆☆☆


神様のカルテ 2

神様のカルテ 2

内容説明
医師の話ではない。人間の話をしているのだ。

栗原一止は夏目漱石を敬愛し、信州の「24時間、365日対応」の本庄病院で働く内科医である。写真家の妻・ハルの献身的な支えや、頼りになる同僚、下宿先「御嶽荘」の愉快な住人たちに力をもらい、日々を乗り切っている。
そんな一止に、母校の医局からの誘いがかかる。医師が慢性的に不足しているこの病院で一人でも多くの患者と向き合うか、母校・信濃大学の大学病院で最先端の医療を学ぶか。一止が選択したのは、本庄病院での続投だった(『神様のカルテ』)。新年度、本庄病院の内科病棟に新任の医師・進藤辰也が東京の病院から着任してきた。彼は一止、そして外科の砂山次郎と信濃大学の同窓であった。かつて“医学部の良心"と呼ばれた進藤の加入を喜ぶ一止に対し、砂山は微妙な反応をする。赴任直後の期待とは裏腹に、進藤の医師としての行動は、かつてのその姿からは想像もできないものだった。
そんななか、本庄病院に激震が走る。

「ひとり本屋大賞」6冊目。
第一作が櫻井翔宮崎あおいの出演で映画化されるということもあり、かなり話題になっているシリーズなのですが、僕にとっては、やたらと分厚くて上下巻の『錨を上げよ』と並んで、今回の本屋大賞候補作品のなかでは「鬼門」でした。
第一作は、あまりに「美談」すぎて、現場の人間としては、なんだか気が滅入るばっかりだったし。

他の病院から癌で紹介されてきた患者さんの家族に、「なんで先生は初対面の患者に癌の告知をするんですか!」って食ってかかられたときには、これはまさに「神様のカルテ症候群だな」と憂鬱になったものです。
かなり進行している癌の治療のためにこの病院にやってきて、なるべく早いうちに治療を開始するべき状態なのに、まず初回の外来では世間話をして少しずつ仲良くなって……というふうにするべきなのか……
いやほんと、『神様のカルテ』みたいな「仕事中毒&人間大好き」の医者が「基準」になってしまったら、大部分の普通の医者はたまりません。


そんなわけで、「またあの理想の医者小説を読まされるのか……」でも、『本屋大賞』の候補作を全部読むのがこの「ひとり本屋大賞」の自分ルールだしなあ……と憂鬱になりながら読み始めたのですが、この『2』は、前作よりかなり読みやすくなっていましたし、「森見登美彦っぽい感じ」もだいぶ薄れたような気がします。
内容的にも、「こんな医療をやっていたら、自分の生活はどうなるんだ!」という現場の医者からのツッコミを体現したような「就業時間どおりに働こうとする医者」進藤先生の登場で、バランスがとれてきたような。

「私はね、栗原先生。臆病なだけなんですよ」
「臆病?」
 カタカタと小気味のよいキーボードの音とともに、先生の声が続く。
「私の胸の内を占めているのは、熱意とか使命感だとか、そういう美しいものではありません。ただ臆病なだけなんです」
 難しい話である。
「私が泊まり込みで働いているのは、自分の判断が間違っているんじゃないか、患者さんの変化を見落としているんじゃないか、抗生剤はこれで正しいのか、そんな風にいつもびくびくしているからに過ぎないんです。とても胸を張って言えるような内情ではありません」
「百歩ゆずって内情がそうであれ、おかげで多くの患者たちが支えられているのは事実です」
 古狐先生はかすかな微笑をたたえたまま、首を左右に振った。
「いけませんよ。栗原先生。いつでも病院にいるということは、いつでも家族のそばにはいないということなんですから」
 さりげない一言の中に、ずしりと重い何かがあった。その何かを探り当てるより先に、先生はいつもと変わらぬ素振りで、のんびりと立ち上がった。

身近な人の病気とか、「アンチテーゼ」のはずの進藤先生があっさりと「感化」されちゃうところとかは、正直、「ちょっと安易じゃないか」とは思うのですが、クライマックスの情景の美しさにはちょっとホロリとしましたし(そういうのをすべての患者さんに望まれたらどうするんだ、とも考えたけど)、医者の「生きがい」とか「人生」とは何なのか?というようなことについて、けっこううまく描かれている小説です。
「殉死」みたいなのをあまりに美化されても、つらいところではありますが……
僕の妻は、宮崎あおいじゃないしねえ。


神様のカルテ

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