琥珀色の戯言

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ラテンアメリカ十大小説 ☆☆☆☆


ラテンアメリカ十大小説 (岩波新書)

ラテンアメリカ十大小説 (岩波新書)

内容(「BOOK」データベースより)
インディオたちがのこした伝承とヨーロッパの近代をともに腐葉土としながら、夢や魔術と苛酷な現実とがふしぎに入り乱れる、濃密な物語を紡いできたラテンアメリカボルヘス『エル・アレフ』、ガルシア=マルケス百年の孤独』、バルガス=リョサ『緑の家』、そして?翻訳の第一人者として知られる著者による、待望の作品案内。

この新書の中で採り上げられている作品は、
ボルヘス 『エル・アレフ
カルペンティエル 『失われた足跡』
アストゥリアス 『大統領閣下』
コルタサル 『石蹴り』
・ガルシア=マルケス 『百年の孤独
・フェンテス 『我らが大地』
・バルガス=リョサ 『緑の家』
・ドノソ 『夜のみだらな鳥』
・プイグ 『蜘蛛女のキス』
・アジェンデ 『精霊たちの家』
以上の10作。


高校時代、筒井康隆さんがラテンアメリカ文学の書評をよく書かれていたのを読んでいて、僕もいつか挑戦しよう、と思いつつ、いつのまにかそれからもう20年。
せめて、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』くらいは読まなくてはと買ったのですが、しばらく前に最初の数十ページを読んだっきりになっています。
もともと翻訳小説が苦手(というより、「一晩で読み終われないような長さの作品」に、ついていけないのかもしれません)な僕にとっては、まさに「永遠の宿題」みたいなものなんですよね、ラテンアメリカ文学って。


この新書、最初に手にとったときには、「なんか薄いいなあ、割高な本じゃないかな」なんて思ったのですが、この薄さにもかかわらず、けっこう読みごたえがあります。
ページ数は、資料部分も含めて192ページしかないのですが、扱われている内容の「濃度」を考えると、これ以上分厚くなると、ラテンアメリカ文学初心者の僕にはついていけなかったと思います。
冒頭に紹介する小説の一部が引用され、その作品が生まれた背景や斬新だった点、作者のさまざまなエピソードなどが紹介されていくのですが、日本の作家への影響なども言及されていて、飽きさせません。

 
僕がこの新書を読んでいちばん驚いたのは、ラテンアメリカ文学の巨匠たちは、みんな、その程度に濃淡はあれど、「政治の影響を受けずにはいられなかった人々」だったということでした。
ある作家は、反政府運動家として弾圧され、またある作家は、権力者を批判したことにより、亡命生活を余儀なくされています。
夏目漱石森鴎外谷崎潤一郎など、日本の「歴史に残る小説家」たちの大部分が、(太宰治芥川龍之介が抱えていたようなプライベートな問題を除けば)、比較的平穏な市民生活をおくり、むしろ「体制側」にゆるやかに立ちながら作家活動をしていたのとは対称的に。
彼らが「マジックリアリズム」という手法を選んだのは、ラテンアメリカの文化た文学的な伝統だけが理由ではなく、「事実をあからさまに書けない事情」もあったのです。
どちらが正しいとかいうようなことではないけれど、この「違い」は、僕にとって印象的なものでした。

著者は「ラテンアメリカ文学における『魔術的リアリズム』」を、このように説明しています。

 本書の「序」で紹介したアストゥリアスの言葉を思い返してみると、魔術的な想像力が備わっているインディオにとっては、雲や岩が人間、あるいは巨人に姿を変えるのはべつに不思議なことではありませんし、泉へ水を汲みにいった女性が深い淵に落ちたとすれば、それは淵が女性を蛇、あるいは泉に変える必要があったからであり、男が落馬した場合は、酒を飲みすぎたためでなく、その際石に頭をぶつけたのなら、石が彼を呼んだのであり、溺れ死んだのなら、川、あるいは小川が呼び寄せたということなのです。つまり、アウトゥリアスの言う《魔術的リアリズム》はインディオ特有の心性や魔術的な想像力と深く結びついているのであって、ドイツの《魔術的リアリズム》とは異質なものです。ただのちに、ラテンアメリカでは現実そのものが魔術的であり、そのことが文学に投影されていることについて、ある研究者がこの名称を用いたのがきっかけになって、新大陸の文学の特徴を表す言葉のひとつとして広まったのです。
 ガルシア=マルケスの作品、とりわけ『百年の孤独』に関しても《魔術的リアリズム》という言葉がよく用いられます。たしかにガルシア=マルケスの作品にも特異な幻想性が見られますが、こちらもやはりドイツの《魔術的リアリズム》とは関係がありません。

僕はこれを読んで、ラテンアメリカ文学の「マジックリアリズム」の背景が、ようやく少しわかったような気がしました。
今までこの言葉、よく耳にはするけれども、いまひとつ実感できなかったんですよね。


この新書のなかで、僕がいちばん興味深かったのは、フリオ・コルタサルの『石蹴り』という作品でした。

 作品そのものは、155章から成り、三部構成になっていて、56章までの第一部と第二部はふつうの小説のようにストーリーを追って読むことができます。それに続く第三部には、文学的断章、詩、新聞の切り抜き、哲学書や造園学の本からの引用、さらには第一部、第二部と内容的に続いている章など雑多なものが詰め込まれています。この小説はいろいろな読み方が可能なのですが、基本的にはまず第一部、第二部を通して読み、その後すべての章が含まれている「指定表」に従って読むやり方が基本的でしょう。メキシコの作家カルロス・フェンテスがこの小説をパンドラの箱になぞらえているように、そうして読み進むうちに読者は目の前で新しい扉が次々に開かれてゆくような気持ちになるはずです。

 さて、第二部を読み終えると、次は《指定表》に従って読み進めるといいでしょう。作品の冒頭に出てくる《指定表》を見ると、下に「73−1−2−116−3−84−4−……」という風に数字が並んでいます。この章番号は一見アトランダムに見えますが、よく見ると第一部と第二部の章番号はちゃんと昇順になっていて、その間に第三章の章番号がアトランダムに挿入されていることが分かります。しかも、その表の末尾は「……77−131−58−131− 」と無限循環になっているので、形式的には終わりのない小説になっています。ほかにもいろいろと手の込んだ細かな仕掛けが施してありますが、それはどうかお読みになって見つけ出してください。

なんだか、「ゲームブック」みたい!
こういう紹介を読むと、ちょっと「挑戦」してみたくなります。


僕のような「遅れてきたラテンアメリカ文学初心者」には、まさに絶好の入門書になってくれると思います。
各回の冒頭の引用部を読むだけでも、「これは読むの大変そうだな」という「難関」揃いではあるのですけど。

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