琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

僕に澱んでいる「不謹慎」な考え

※気が滅入る内容なので、無理して読もうとしないでください。


火曜日にサッカー・チャリティマッチを観ていた。
世界のビッグネームや日本代表選手たちが、次々に登場し、「日本、がんばれ」「ともに生きよう!」というようなメッセージを、慎重に言葉を選びながら話していたのだが、「日本人」ではあるけれども、「被災者」ではない僕にとっては、なんだか自分の居場所が、ちょっとわからなくなってしまった。
僕は、「励まされる側」なのか、それとも「励ます側」なのか?

本田圭佑選手は、「こんな中で、スポーツをやることが良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど、いま、大事なことは、とにかく行動することだと思う」と、彼らしく、いまの気持ちを吐露していて、ああ、本田はこういう状況でも、ちゃんと正直な人なんだな、と感じた。

しかし、こういう「チャリティマッチ」って、収益金が寄付されたり、人々があの大震災と苦しんでいる人たちのことを忘れないようにする意味はあるのかもしれないけれど、現地で本当に厳しい状況下にある人(あるいは、命を落としてしまった人たち)にとって、どのくらいの「効果」があるのだろうか、という気はする。実際は、「日本人ではあるけれども、いまのところ、そんなに困っていない人たち」が、この「感動」を享受しているだけなのかもしれない。


僕は過剰な「自粛」は、「お金を稼いで、現地に届ける」ための後方支援のマイナスにしかならない、悪弊だと考えていたのだが、どうも今回は、昭和天皇の「御不予」のときの「自粛ブーム」とは、ちょっと違うような気がしてきている。
「おいしいものを食べに行こう」とか「飲みに行こう」「遊びに行こう」という呼びかけに、みんな、「日本がこんな状況だから、行きたいけど『自粛』している」のだと思っていたけれど、どうも、そういう感じじゃなくて、「そんな気分になれない」というのが、人々の本心なのではなかろうか。
スピッツ草野マサムネさんが「ストレス性の疾患」で休養しているけれど、多かれ少なかれ、こういう極限の状態にさらされていると(それがテレビの画面の向こうの話であっても)、「何かをやろうという気持ち」がすり減っていくのは、むしろ自然なことなのかな、と感じている。
「経済を動かしていくためには、自粛なんておかしい!俺は寿司食ってるぞ!」というようなツイートを堀江貴文さんがしていたけれど、「自粛ムードに乗っている」わけじゃなくても、こんな気分で美味しい寿司を食べても、あんまり楽しくないしね……
だいたい、もともとの生活だって、そんなにラクではないのだ。
「水騒動」みたいなことが起こったり、物価が上がっていったりすれば、被災していない人でも、生活苦に陥ってしまう可能性は高い。もともと日本は「ワーキングプア大国」なのだし。
なんとなく気分が沈んでいて、先行きも不安なのに「贅沢」をするというのは、かなりハードルが高い。
人間には「娯楽」が必要であるのは確かだし、「時間が解決」してくれれば良いのだけれど。


そういえば、先日僕も寿司屋に行ったのだが、店主の話によると、震災後数日は、輸送の方法がなかったために、地元に良いネタが流通していたそうだ。
しかしながら、東京に運べる目処が立ったとたんに(東日本からの魚が入ってこないので)、九州の良い魚は、どんどん東京に運ばれるようになり、地元ではむしろ品不足になっているのだとか。
今回の震災では東京も大変なことになっているなあ、と思っていたけれど、その一方で、「首都・東京というのは、いざとなれば、地方の取り分をどんどん奪って飢えさせてでも、生き延びようとしていくのではないか」というような考えも、頭の片隅をよぎってしまう。
そもそも、僕が住んでいる九州の地方都市で計画停電が行われても、絶対にトップニュースとして全国に報道されることはなかっただろうし。


この「被害」は、そう簡単に乗り越えられるようなものではない。
昔読んだある本に、「広島・長崎で被爆した人たちをもっとも差別してきたのは、日本人だ」という言葉が書いてあった。
「日本人が『被爆者』と接する機会をもっとも多く持っているのだから当然」なのかもしれないが、これから、日本国内での被ばく量の多寡によって、あるいは、世界のなかでの日本という国が、有形無形の「差別」を受ける可能性は高い。
日本の農産物や海産物は、長期間にわたり、「風評」も含めて、大きな被害を受けることになるだろう。


世界には、人類を何十回も絶滅させることができるくらいの核兵器が存在している。
原発に起こった「不測の事態」が、核兵器には起こらないと、誰が言い切れるだろうか。
もう、「事故は絶対に起こらない」なんて言葉は、誰も信じないはず。


なんだか、最近こんなことばかり考えてしまう。
直接の「被災者」ではないはずの僕でさえ、こんなに不安でしょうがないのだ。
「不謹慎」ですみませんが、文章にしてみて、少し落ち着きました。

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