琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

WiLL (マンスリーウィル) 増刊 すぎやまこういち ワンダーランド ☆☆☆☆☆


内容紹介
発売直後から話題沸騰! 「感動した!」「とにかくアツイ!」「スゴ過ぎる内容(笑)」と絶賛の声多数!


祝・ドラクエ25周年! 祝・すぎやまこういち80歳!


今年で25周年を迎えた国民的ゲーム「ドラゴンクエスト」。そのすべての楽曲を手がけてきたすぎやまこういち氏とは、いったいどんな人物なのか!? 


その素顔と、ドラクエとともに歩んだ25年間を
・ゲームシナリオデザイン 堀井雄二
ゲームプログラマー 中村光一
ドラクエ大好き 淡路恵子
ドラクエCDの演奏を手がけた 東京都交響楽団メンバー
らと語りつくした盛りだくさんの一冊。
自身によるドラクエ楽曲全解説や、激動の半生を語った初のロングインタビュー、氏をもっとも近くで見つめていた「弟子」こと橋本淳氏の爆笑インタビューも掲載。


ドラクエI~IXまでの懐かしいネタ、画像も盛りだくさん。


世代を超えて愛される名曲を作り出してきたすぎやま氏のすべてがわかる「丸ごと一冊 すぎやまこういち」特別号!

すぎやまこういち先生を特集した増刊号が出る、というのをネットで見て、発売を楽しみにしていたのですが、ようやく購入。
正直、いままで『WiLL』という雑誌を見たことがなかったので、地元の書店で売られているのかどうか心配だったのですが、TSUTAYAに平積みされていました。


この本では、「すぎやまこういちドラゴンクエストの音楽の世界」というよりは、「ゲーム音楽という新たな世界を切り開いた、すぎやまこういちという人間について」より多くのページが割かれています。
すぎやま先生は、ゲーム音楽に関わる前から、すでに有名な作曲家で、『亜麻色の髪の乙女』や『学生街の喫茶店』などの大ヒット曲をつくられています。
この本のなかでは、周囲の人の多彩な「すぎやまこういち像」が語られています。
いまは「温和で知的なロマンスグレー」というイメージのすぎやま先生の若い頃・フジテレビのディレクター時代の姿を、弟子だった橋本淳さんは、こんなふうに語っておられます。

 先生は遊ぶのが大好きで、仕事が終わったあとに出掛けていって、毎朝4、5時に小平の自宅に帰っていた。そして、朝9時に家を出ていく、という生活でした。


(中略)


 先生は、朝の車のなかでは寝ていることが多かったのですが、パッと目を覚ました時に渋滞にはまっていると、「なんだよ、車が動いていないぞ。よく見ろ、反対車線が空いているじゃないか」と、むちゃくちゃなことをいうんです。
「えーっ、でもあっちを走ったら前からバスが来ますよ」と言っても、「行ける行ける。バスが来たらよければいいんだ」っていうんで、仕方なく反対車線を逆走すると、案の定、バスが正面から来る。狭い道なので、すれ違うこともできないんです。
 ブーブー、クラクションを鳴らすバスに向かって、先生が「うるさいバスだなー」なんて言われて、本当に参りました。しかも当時、先生は特注のゴールドのグロリアに乗っていたんです。「ゴールドフィンガー」という映画を見て「これだ!」と思ったらしいんですが、田舎の一本道でまっキンキンの車を逆走させろといわれて……。それを毎日やっていたんです。

あの穏やかそうな、すぎやま先生が?
と思わずにはいられないエピソードなのですが、若い頃のすぎやま先生には、この手のエピソードが満載。
あの『麻雀放浪記』の阿佐田哲也さん(色川武大さん)とも遊び仲間だった、というのですから。


あまりお酒が飲めない、というすぎやま先生は、本当にゲームが大好きで、そのゲームへの愛着が、エニックスの千田さんとの出会いと、『ドラゴンクエスト』へと、すぎやま先生を導いたのです。


ドラゴンクエスト』の作曲の依頼を受けたときのすぎやま先生は、もう50代半ば。
ポップスの作曲家としては、「転機」にさしかかり、仕事も減ってきた時期だった、とのことでした。

すぎやまこういちそして無事、ドラクエの音楽の仕事がスタートしました。最初に打ち合わせした時、音楽はすでにできていたんですよね。


中村光一すでに、ゲームとしてはほぼ出来上がっていて、曲も仮のものが入っていたと思うんですが、先生にお願いできることになったので、どういう場面があって、どういうストーリーなのかをお話させていただきました。すでに締切直前で、8曲近くを1週間で作っていただくことになってしまった。さすがに1週間じゃ無理だろうと思っていたら、きっちりあげてくださって。当時は容量が少なかったので、和音もオタマジャクシ(音符)も少なめでお願いしますという制約まであったのに、です。


すぎやま:2トラックでね(笑)。その時、ゲームについていた音楽を一応、聴かせてもらったんですが、「これはヘボいわ」と(笑)。製作期間が1週間でも引き受けたのは、それまでに2000曲近く作っていたCM音楽では、「締め切りは明日の朝」なんていうこともしょっちゅうありましたから。1週間あれば何とかなるだろうと思いましたよ。
 でも、フィールド曲の「広野を行く」は最初、中村さんの評価はあまり良くなかったんですよね。


中村:私のイメージとしては、勇ましく、いかにも「冒険に行くぞ!」という感じの曲がいいなと思っていたのですが、先生が書いてくださった曲は、どこか寂しくて、不安感があるという印象だったんです。ところが、ゲームと合わせて実際に曲を流しながら動かしてみたら、スタッフには結構好評で、みんな口ずさむようになっていました。


すぎやま:はじめての、たった一人での冒険だから、不安や寂しさに照準を合わせたんだよね。勇ましさや意気込みというイメージに一番近いのは、『3』の「冒険の旅」ではないかと思います。

この本を読み、これまでのすぎやま先生の人生とディスコグラフィーについて知っていくと、すぎやま先生は自由な「アーティスト」であるのと同時に、ものすごく自分の仕事に厳しい「職人」でもある、ということがよくわかります。
そういう一見相反したふたつの要素をバランスよく持っている、数少ない作曲家なんですね。
すぎやま先生が『ドラゴンクエスト』を作曲された時代、他の有名な作曲家たちのなかにも、ゲーム音楽作曲の打診を受けた人はたくさんいたそうです。
でも、彼らの多くは、「ファミコンの3音くらいの貧弱な音源では、私の曲は表現しきれない」ということで、依頼を断ったのだとか。
すぎやま先生は、自らもすごいゲームマニアであり、「このゲームにふさわしい音楽とは」という視点を持てる、数少ない作曲家でもあったのです。
ゲーム音楽における、さまざまな「制約」に、かえってやりがいを感じることができる人でもありました。


そして、すぎやま先生は、数少ない「独学で作曲を学んだ作曲家」であり、クラシック音楽の世界では「異端中の異端」であるにもかかわらず、『ドラゴンクエスト』を通じて、クラシック音楽の世界に多くの若者を引き寄せた功労者でもあります。


本当に、すぎやまこういち、そして、『ドラゴンクエスト』の魅力が詰まった本で、すぎやまサウンドのファンなら(すでに知っている話がけっこう多いとしても)、必携の一冊です。
付録のDVDでは、貴重な「ドラクエコンサート」の映像が観られるのですが、収録曲が「序曲」のみで収録時間も2分と、「せっかくDVDを1枚つけるのなら、もうちょっとがんばってほしかった」のですけど。


僕がこの本のなかで、いちばん驚いたのが、このエピソード。
すぎやま先生のご両親についての話です。

 父は東大の薬学部を出て昭和薬科大の先生になり、その後、厚生省の薬務局製薬課長を経て、防衛庁の技官になりました。母は東京女子医大の医学部を中退して父と結婚。
 両親ともに音楽が大好きで、父は東大のマンドリン倶楽部に所属しており、母もギターをよく弾いていました。とにかく、音楽が身近にある家庭でした。
 さらに、両親はゲームが大好きでした。特に、父は全日本麻雀連盟でルール担当理事を務めたほど。両親の出会いもゲームにまつわるものです。東京女子医大生だった頃の母が、アルバイトで「麻雀ガール」として雀荘で働いていたところに、東大で薬学の勉強をしていた父が遊びに来た。雀荘では、面子が足りない時には「麻雀ガール」が麻雀に参加するのですが、どうやら父と母はそこで知り合って結婚した仲のようです。
 だから僕も、物心ついたときにはゲームが大好きでした。5歳の頃にはもういろいろなゲームを覚えて、家族で遊んでいました。
 そのゲーム好きが、のちに「ドラゴンクエスト」の作曲につながるのですから、面白いものです。

すぎやま先生の生まれは、昭和6年(1931年)。
すぎやま先生ほど「ゲーマーの遺伝子を色濃く受け継いだ子ども」というのは、同世代にはいなかったはず。
その遺伝子が、こうして『ドラゴンクエスト』にまで、つながっているというのは、なんだかとても面白いですよね。


すぎやま先生、ずっとずっと元気で、これからも素晴らしい曲をたくさん作ってください!

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