- 作者: 押切蓮介
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2009/09/17
- メディア: 単行本
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内容紹介
あの頃ゲームがなければ、死んでいたかもしれない。
ーー今だから語れる、自伝的ゲーム青春グラフィティ!
●ファミコン中毒のきっかけとなった少女との淡い出会い「初恋少年」/●ユートピアだったあの駄菓子屋は今?「駄菓子屋少年」/●FFV発売を待つ列の先頭での恐怖の一夜「行列少年」/●俺のBrand New Heartはどこに?「センチメンタルハート少年」/●雨の日に最高に贅沢にプレイする方法「秘密の城少年」
……みんな実話です!!
「この作品は、僕が学業を犠牲にして得た結晶です」(押切蓮介)
「あの頃ゲームがなければ、死んでいたかもしれない」
僕もそう思うのです。
中高生の頃って、やっぱり、スポーツができるヤツのほうが良いポジションにいるじゃないですか。
時間割をみて、「ああ、今日は体育がない……」あるいは、「ああ、今日は何時限目に体育がある……せめてチーム競技はやめてほしい……」という運動音痴インドア少年だった僕にとっては、「とにかく、家に帰ったらゲームができる!」というのは。数少ない「幸せの原動力」だったのです。
この『ピコピコ少年』なのですが、たぶん、大部分の大人にとっては、「うわー、ゲームしかやってないなんて、くらーい!」って言われてしまいそうなのですが、同じような学生時代をおくってきた僕には、痛いほど(というか、本当に痛いよこれ、他人事とは思えない……)よくわかる「ゲーム少年の回顧録」なのです。
ゲームの中でしか主役になれなかった僕にとっては、喜びも、痛みも、悲しみも、みんなゲームの記憶とともにあるような気がします。
僕は押切さにんよりも10年近く年上なので、それこそ「インベーターハウス」(=ゲームセンター)に入ったら、補導員に捕まる、という世代だったのですが(そのおかげで、中学時代に行きつけのゲーセンで、『警察が来る!』という情報を耳にして、友達とトイレの窓から「大脱走」したのは今となっては懐かしい思い出です)、この『ピコピコ少年』に書かれているような、「ゲームにまつわる思い出」はたくさんあるのです。
あの頃は、「マイコン」とか「テレビゲーム」なんて概念自体が、ごく一部の好事家にしか知られていなかったから、「これからはマイコンの時代だ!」「勉強に必要だから!」という理由で、親に必死でマイコンをねだった記憶があります。
買ってからは、一度も「勉強」に使った記憶はなく、年齢のわりにブラインドタッチが速いことだけが、僕に残された唯一の「遺産」になってしまったわけですけど。
クソ童貞のクソ餓鬼時代
ゲームという名の樹液を吸い続けないと俺は死んでいたかもしれない。
ファミコンから流れるピコピコサウンドを四六時中流し続け
母親の反感を買い続けてきた
テレビゲームは俺の心の支え…勉学を捨て ゲームにすべてを捧げたと言っても過言ではない
この道をつき進んだ事で さまざまな障害もあった
ああ、僕もおんなじだ……
中学校でイヤなことがあったとき、「とりあえず、このゲームをクリアするまでは」「あのゲームが発売されるまでは」と、死ぬのを延期したことが、何度もありました。
このマンガには、テレビゲームに関する「甘い記憶」だけではなく、「負の記憶」も、封じ込められています。
当時「ピコピコ少年」だった人々にとっては、いろんなことを思い出さずにはいられないはずです。
いろいろあったんだけど、とりあえず、「ピコピコ少年」よ、永遠に……