
- 作者: フジタ
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2018/06/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
小学校入学の直前、母親が急死する。
機を同じくして父親は同級生の母親と暮らすようになり、
著者は突然一人ぼっちになる。小学生にして、
たった一人で生きていかなければならなくなった著者を絶望から救ってくれたのはファミコンだった。
ファミコンをすることで孤独を忘れ、人生を教わった著者の壮絶な半生――。
ファミコンに育てられた男・フジタ。
フジタさんのゲームに対する情熱をみていると、僕なんかまだまだだな、といつも思うのですが、その背景には、こんな子ども時代があったのか……
2年生になると父親はKの家で暮らすようになり、ほとんど家に帰ってこなくなった。僕は一人ぼっちになった。お手伝いさんも同じ時期に辞めてしまっていたので、本当に家に一人きりだった。
父親は土日に帰って来て、たまっている洗濯をすると、すぐに別宅に戻ってしまった。「元気か?」「うん…」「じゃあね」が毎回のやり取りだった。
じゃ、どうやって僕は生きていたかというと、お金の力だった。
父親は毎週末、タンスの引き出しに3万円を入れてくれた。もちろん、ガス代や電話代、電気代などは勝手に支払われていたので、この3万円は1週間の食費。あとは、学校に集金袋に入れて持っていくためのテキスト代なんかだった。
小学校2年生にとって、週3万円の生活費が高いか安いか人それぞれだろうが、僕には十分すぎる額だった。朝ご飯はスーパーで買っておいた菓子パンを食べればよかったし、昼は学校のある日は給食がある。夕飯だけなんとかすればよいので、よく、同級生の蕎麦屋から出前をとっていた。かつ丼や親子丼、蕎麦屋ならではのダシの味がするカレー丼も大好物だった。
突然お母さんを失い、お父さんは同級生の母親と付き合うようになり、家にはほとんど帰ってこなくなってしまった。
不幸中の幸いと言うべきなのか、家にお金はそこそこあったので、フジタさんは小学生としては破格とも言うべき小遣いをもらって、一軒家で実質的な一人暮らしをしていたのです。
新作ファミコンゲームもどんどん買えたし、『ホームレス中学生』のような悲惨な状況ではないのかもしれないけれど、子どもにとっては「お金があるからいい」というよりは、「なんとかお金を使って寂しさを紛らわせるしかない」状況でした。
僕も家や学校での鬱屈をたくさん抱えていて、テレビゲームとマイコンと本のおかげで生きてきた人間なのです。
この年齢になると、家族とはいえ、食べるのに困らないくらいのお金を稼いで提供しつづけたというだけでも、僕の父親は立派だったのかもしれないな、と思うようにもなったのですけど。
「お金や物で誤魔化そうとして!」なんて子どもの頃の僕は怒っていたのだけれど、自分が親になってみると、お金や物に不自由させない、というのは大変なことですよね。むしろ、人というのは、ずっと「何かが足りない」と思い続けてしまうものなのかもしれません。まあ、それも、人によるのか。
こういうめんどくさい子どもを持った親は、かわいそうだったよなあ。
……なんだか、こんなことを考えてしまう本なのです。
この本を読んでいると、フジタさんは、まだ「納得してはいない」ように感じます。それに対して、「いい大人なんだから」と咎める気にもなれない。
僕も、なんとなく受け入れられるようになったのは、親が亡くなってからだったので。
こういうのって、大概、手遅れになってから、「わかったような気がしてくる」のだよね。現実的に向き合わなくてよくなれば、美化しやすい、ということなのかも。
テレビゲームは、大人たちからは、その弊害が指摘されることが多かったけれど、ゲームがあったから生きてこられた、あるいは、とりあえずつらい時期をやりすごすことができた、という人は少なくないはずです。
ちょうど、「家族中心から、個人を重視する時代」への転換点にファミコンはやってきて、「ひとりで放り出された」人々に、寄り添ってくれました。
この本のメインは、フジタさんが思い出のゲームについて語っている部分です。
ただ、それも幼い頃の記憶と結びついてしまうところが多くて、ひねっているというか、ひねくれた感じになっているところもあります。
(『バイナリィランド』の項より)
よく考えられた面白いゲームですよね。ジャンル的にはアクション&パズルとでもいうんでしょうか。
2匹のペンギンを操作してゴールを目指すというものなんですが、面白いのが2匹が逆の動きをするんですよね。左右対象に動くんです。一方が右に行ったら、もう一方は左に進むといった具合です。
これがパズル要素というか、このゲームの最大の醍醐味なんですが、ゲーム中のペンギンが交差すると子供が生まれるのがシュールなんですよ。交差は交尾だったわけですね。しかも、子どもが生まれると2匹のペンギンは無敵になります。”子はかすがい”とはよく言ったものです。両親が無敵になるのは、「子供のためなら何でもできる」「子供が生まれたから人生ハッピー」的なメッセージを発しているように思います。
僕のように母親と死に別れ、父親から捨てられた境遇からすれば、この設定を屈託なく受け入れることはできませんけどね。
僕はこういうことを正直に書いているのがこの本の魅力だと思うのだけれど、「ファミコン芸人がゲームを語る本」として読むと、すっきりはしないかもしれません。
この本は、あくまでも「フジタさんの半生記」なのです。
あと、伝説のクソゲー、『たけしの挑戦状』についてのこんなエピソードも紹介されています。
このゲームのもうひとつ凄いところは、発売日の前日(1986年12月9日)に、たけしさんがフライデー襲撃事件を起こしたところです。さすがにCMは自粛されましたが、ファミカセは翌日、何事もなかったかのように堂々と発売しているところが昭和のたくましさだな〜と今になって感心しています。とはいえ、『たけしの挑戦状』はある意味名作です。現在はクソゲーの代名詞になっていますが、ここまで後世に語り継がれ、当時のちびっ子にトラウマを与えたというのは快挙です。
僕はこのゲームの発売日もフライデー襲撃事件もリアルタイムで見てきたはずなのですが、あの事件と『たけしの挑戦状』の発売日がこんなに近かったことはまったく記憶にありませんでした。
当時は、(CMは自粛されたそうですが)今ほど問題を起こした人へのバッシングが厳しくなかったのか、テレビゲームという媒体が、「しょせん子供の遊び」ということで監視の対象にならなかったのか。
たけしさんはしばらくテレビに出られなくなっていましたから、おそらく後者だったんでしょうね。
もしこのゲームが発売中止になっていたら、タイトーは大損していたと思われます。発売されたおかげで、ユーザーが大損した、といも言えますが、ゲームの内容はさておき、これだけ長年ネタにできているのだから、もう十分元はとれた、とも言えそうです。
最後にひとつ、ファミコンゲーマーの皆様に問題。
フジタさんが「クソゲーランキング」の中で紹介しているこのゲームの作品名、わかりますか?
小2の頃、僕がはじめて床に叩きつけたゲームです。名作『ポートピア連続殺人事件』をイメージしてジャケット買いしてしまった自分を恨みました。殺人事件に出会う前に自分が死体になります。良い子のファミコンなのに「ばいしゅんふ」と画面に出てきたり、一度言った事は二度と言ってくれない「もういいました」システムに驚き呆れました。「もういいました」と検索すると、いまだにトップでこのゲームが出ます。
僕もこのゲームのことは忘れられません。
あの頃を良い時代だった、というのは、記憶は美化されやすい、ということの証拠なのかもしれないなあ。

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