- 作者: 大河内直彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/06/15
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
地球は謎の塊である。その塊からエネルギーを次々に獲得し、万物の長となった人間は、今やエネルギー中毒に罹っている。なぜこんなことになったのか?そもそも地球の定員は何人か?宇宙から飛来した石油の源、毒ガス開発学者が生み出した新肥料、未来の新エネルギー…第一線の地球科学者が工学、文化人類学、文学などの広範な最新知見を縦横に駆使し、壮大な物語を綴る。科学と文明史が見事に融合した快作。
このタイトルを見ると、なんだか「地球上で起こっているさまざまな自然現象の謎を解明する本」みたいなのですが、実際はオビに書いてある「エネルギーの人類史」について書かれている新書です。
化学式が出てきたりして、ちょっと小難しいなと思うところもあるのですが(これは、簡単な化学式くらいで頭が痛くなってしまう、僕自身のほうにも問題があるのですけど)、人類がこれだけ繁栄していくために、どうやってエネルギーを生み出し、そのさまざなまトラブルを克服してきたか、というのがまとめられていて、なかなか興味深いものでした。
本書は、地球の営みと私たちの暮らしがどのような原理で結びついているのかをエネルギーを軸にして考えてみる基礎編である。エネルギーが人類とクロスオーバーするようになった経緯など、歴史的な側面も重要なトピックである。肩肘張らずに気軽に読めるクロニクルと考えていただいてもよい。問題の単位は「キロジュール」にそろえ、あらゆる種類のエネルギーが比較しやすいように工夫した。
最後に、エネルギーと聞くと誤解される向きもあるだろうから、あらかじめ申し添えておこう。この本にはエネルギー工学的な側面はほとんど述べていない。また、最近脚光を浴びている再生可能エネルギーの話もほとんどない。それよりも、私たちの文明と二人三脚で発展してきたエネルギーの歩みを振り返ることによって、もう一度私たちの暮らしとエネルギーとの関わりについて考え直してみたい。それが本書を著す唯一無二の目的である。
わが国のエネルギー政策が大きな岐路に立たされている今日、本書が将来のエネルギー問題を考えるうえで一助となれば幸いである。
私たち人類は、ひどいエネルギー中毒に罹っている。現在、一人の日本人が一日に消費する総エネルギー量は30万キロジュールをゆうに超えている。私たちが毎日口にする書物はおよそ1万キロジュール(2400キロカロリー)にすぎないから、その30倍以上ものエネルギーを使って暮らしていることになる。何をするにも、自らの肉体だけが頼りだった大昔に戻れば、私たちは一人につき30人の奴隷を雇って暮らしているようなものだ。
「一人につき30人の奴隷を雇って暮らしているようなもの」かあ……
こういう生活に慣れてしまっていると、そういう「すごさ」を実感することは無いのですが、あらためてそう言われてみると、いまさら、「昔の生活」に戻れるのかどうか……
僕が子どもだった頃、30年前と比較してみても、携帯電話やパソコンなどの電気製品は増えたし、「家のなかに一台だけ」だったクーラーは、各部屋に設置されています。
この新書では、人類が自らの人口を支えることができるようになった、エネルギー利用の歴史が描かれています。
食糧生産の増加には、農耕の開始が不可欠だったのですが、食糧生産の効率を飛躍的に増加させたのは、化学肥料でした。
ドイツのハーバーは、1909年にアンモニアの化学合成の方法を開発し、それをボッシュが大量生産可能としました。
しかしながら、この人工的な窒素固定法は、肥料のみならず、火薬の合成にも有用で、第一次世界大戦には、ボッシュはアンモニア合成プラントを火薬原料の硝酸合成プラントに転換することを余儀なくされました。
ハーバーは1918年にノーベル化学賞を受賞しました。
しかし、この受賞には「影」があったのです。
ハーバーは、第一次世界大戦で最初に使用された毒ガスの開発者でもあり、フランス国境付近の前線で、自ら毒ガス散布の陣頭指揮をとっていたそうです。
この後も、「エネルギーの歴史を変えた化学者」は、「化学の戦争への利用」とのせめぎあいを続けることになります。
人類にとっての「エネルギー」は、19世紀後半から、いわゆる「化石エネルギー」が主流になりました。
石炭から、石油へ、天然ガスも。
そして、1951年に、原子力発電が産声をあげました。
「原子爆弾」と同根より生じた、「原子力発電」。
僕は、一度大きな事故が起こったら、人間の手では制御困難で、人類を滅亡させるくらいのエネルギーを発生する可能性があるこのシステムは、人間の手にはあまると考えています。
しかし、この新書で、「人類とエネルギーの歴史」を追っていくと、「原子力発電は、そんなに突出して危険なエネルギー産生法なのだろうか?」とも思ったんですよね。
著者は、第8章「石炭が輝いた時代」のなかで、1ページをさいて、大きな表を載せています。
そこに書かれているのは「主な国内の炭鉱事故の歴史」です。
1899(明治32)年の筑豊・豊国炭鉱での死者210人の事故から、1985年の南大夕張炭鉱での死者62人の事故まで。
35の事故が並べられているのですが、これはあくまでも、「死者・行方不明者が30人をこえる事故」のみ。
その表での死者・行方不明者の合計は、6435人……
原発は、たしかに「手に負えないもの」ではあります。
でも、こうやって「エネルギーの歴史」を追っていくと、僕がいままで心に抱いていた「原発よりも石炭や石油のような化石エネルギーのほうが安全」という「確信」が、揺らいでくるのも事実なのです。
石炭を掘るために、炭鉱労働者がたくさん犠牲になったことを、多くの日本人が知っているはずです。
しかしながら、それはあくまでも「ヤマで働いている人たちのこと」であり、それを利用するだけの人たちが落盤事故やガス爆発に巻き込まれることはありえませんでした。
ところが、原発事故は、まったく「関係ない人間」である僕たちも「巻き添えになる」可能性がある。
「だから原発のほうが危険」なのか?
「好きで炭鉱で働いていた人たちだから、ノーカウント」でいいのか?
あんな大地震が起こる前までは、いや、起こったあとでも、原発による死者は、石炭を掘るためにこれまで積み重ねられた死体よりも、はるかに少ない。
(ちなみにこれは日本国内の話で、チェルノブイリ原発事故での死者数は、放射線の影響での癌による死者も含めると、数百人〜数十万人と、推定値にかなりの幅があるようです。数十万人、となると、さすがにその影響はあまりにも大きすぎる、と言わざるをえないでしょうけど……)
エネルギーを得るためには、リスクはつきものなのかもしれません。
僕は「脱原発派」ですが、「原発憎しのあまり、これまでの化石エネルギー依存に逆戻りしてしまう」ことは、かえってマイナスなのではないか、と考えるようになりました。
もちろん、「一時的にはしょうがない」面はあるのだとしても、「その先のエネルギー」を計画的に目指さなければ、意味がないと思うのです。
この本の最後に、著者は、ドイツの鉄血宰相・ビスマルクのこんな言葉を引用しています。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
エネルギーを語るには、エネルギーの歴史を知ることも、大事なのではないでしょうか。
原発は怖い。
でも、石炭や石油だって、ある意味「怖い」のです。
原発事故から学んだことは大きいけれど、その「自分の経験」に引きずられて視野狭窄に陥るのではなく、もう少し長い目で、「人間とエネルギー」のことを、考えていくべきなのかもしれませんね。