- 作者: 小田嶋隆
- 出版社/メーカー: ミシマ社
- 発売日: 2012/05/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
なんだかわからないけど、めちゃめちゃおもしろい! ! 足掛け5年、ミシマ社ホームページ及び「ミシマガジン」に掲載された人気連載「コラム道」、ついに書籍化。深遠かつ実用的、抱腹絶倒間違いなし。天才コラムニスト、本業を初めて語る! 「コラムは、道であって、到達点ではない。だから、コラムを制作する者は、方法でなく、態度を身につけなければならない。」「(コラムの)書き出しに芸はいらないのである。」「さよう。コラムは、メモとはまったく別の地点に着地することが多い。」 「「乗れている時は読み直すな」というポイントも、実は、「〆切」によってもたらされる」……書き出し、オチ、文体と主語、裏を見る眼…天才コラムニストによる「超絶! 文章術」。内田樹氏との夢の対談も収録。
僕は小田嶋さんのコラム、エッセイが大好きです。
世の中の「なんか納得いかないんだけど、うまく言葉にできないこと」を語らせたら、当代随一の人だと思います。
いや、「言葉にできない」というか、「そんなこと言っても大丈夫なのかな……と他人の目を気にして言葉にするのをためらうような話」を、小田嶋さんは、うまくユーモアにくるみ、それでいて、斜に構えすぎることもなく、コラムにしてしまうのです。
「原発の巨大さは、男子の心をくすぐる」というような話、この御時世に書けないですよ、そう簡単には。
『遊撃手』とか『Bug News』なんていう、たぶんほとんどの人が知らないようなマイコン雑誌の連載コラムで毎号読んで「世の中には、面白い文章を書く人がいるものなんだなあ」と感心していました。
当時のアメリカのゲーム(アップル2とかアミガとかマッキントッシュとか)のゲームって、なんだかとてもオリジナリティがあるように思えて、ゲームの紹介記事とかを読むだけで、すごく楽しかったんですよね。
「人生シミュレーター」の『オルター・エゴ』とか、核戦争ギリギリのところで、外交交渉を駆使して自国の威信を保っていく『バランス・オブ・パワー』とか。
(後者は日本のマイコンにも移植されていたと思います。たしかMSX2版とかもあったような)
この本を読んでいて、僕が驚いたのは内田樹先生も、初期の頃から小田嶋さんのコラムを愛読していたという話で(巻末の対談に出てきます)、ああ、やっぱり世の中には「伯楽」がいるのだなあ、と思いました。
なんとなれば、新聞や雑誌の紙面のうちに、ひとつの枠を与えられて、その中でなにがしかの言説を開陳する以上、そのテキストが、周囲の、他ページの、上段や下段にある文章と同じテンポやムードの出来物であって良い道理はないからだ。
「おい、この書き手の文章は、何かが違っているぞ」
でも良い。あるいは、
「まーたオダジマの原稿は、いいぐあいにきちがってやがるな」
でもよろしい。
いずれにしても、読み手による好悪や、その時々の出来不出来を超えた地点で、コラムは、「違った」文章であらねばならない。
内容、文体、視点、あるいは結論の投げ出し方や論理展開の突飛さでも良い。とにかく、どこかに「当たり前でない」部分を持っていないとそもそも枠外に隔離された甲斐がないではないか。
だって、居住区域外の、ある意味鉄格子の檻みたいなものの内側に、オレらコラムニストは追いやられているわけでから。だとしたら、ガオオオぐらいな咆哮はやらかしてみせつべきところだろ? 見世物芸人の意地として。
僕はこの本を読みながら、現在、有名な「コラムニスト」って誰がいるだろう?と考えていたのです。
そういえば、ナンシー関さん以降は、エッセイストはいても、新しい「コラムニスト」で印象に残る人はあまりいないような。
いまの「コラム」って、「正義の代弁者」みたいなものが多くて、ここで小田嶋さんが書いておられるような「見世物芸人としてのプライド」みたいなものが失われてきているような気がします。
だからといって、「批判されるために、わざと悪口を書き散らかしている」ようなのも「論外」ではあるんですよね。
耳にした人が、多少なりともドキッとするような「咆哮」じゃないとダメなんだよなあ。
また、書くためのアイディアについては、こんなことを仰っています。
アイディアの場合は、もっと極端だ。
ネタは、出し続けることで生まれる。
ウソだと思うかもしれないが、これは本当だ。
三ヵ月何も書かずにいると、さぞや書くことがたまっているはずだ、と、そう思う人もあるだろうが、そんなことはない。
三ヵ月間、何も書かずにいたら、おそらくアタマが空っぽになって、再起動が困難になる。
つまり、たくさんアイディアを出すと、アイディアの在庫が減ると思うのは素人で、実のところ、ひとつのアイディアを思いついてそれを原稿の形にする過程の中で、むしろ新しいアイディアの三つや四つは出てくるものなのだ。
ネタは、何もせずに寝転がっているときに、天啓のようにひらめくものではない。歩いているときに唐突に訪れるものでもない。多くの場合、書くためのアイディアは、書いている最中に生まれてくる。というよりも、実態としては、アイディアAを書き起こしているときに、派生的にアイディアA’が枝分かれしてくる。だから、原稿を書けば書くほど、持ちネタは増えるものなのである。
これは、ほとんど毎日ブログを更新している僕も、わかるような気がします。
ネタって、「寝だめ、食いだめ」と同じように、「とっておく」ことが難しいんですよね。
時間がたくさんあれば、自然に「貯まるようなものでもありません。
しばらく書かないと、最初のひとつの文が書けなくなったりしますし。
それでも、売れっ子のエッセイストなどは、あまりに仕事が多くなると、「アイディアの枯渇というより、それを仕上げる過程に時間がとれずに『やっつけ仕事』になっている」ようにみえる場合もありますし、「最低限の時間はあったほうが良い」とは思うのですけど。
この本、要するに「コラムニストによる、コラムに関する本」なのですが、残念ながら、これを読んでも、コラムが書けるようにはなりません。
「道」ではあるけれど、「入門」ではない。
でも、実際に書いている人間にとっては、「なるほどなあ」と唸らされるところがたくさんあります。
「なかなか書き出しが決まらないときには、どうすればいいか?」とか「書き手の一人称について」とか。
もしかしたら、「コラムニストの生きざま」とか「心得」みたいなことが、「コラムの書き方」に通じているのかもしれません。
正直、小田嶋さんのファン以外には、「なんだこれは……」という本のようにも思われますが、「書いている人」にとっては、読めば読むほど味が出る一冊でもあります。
ファンにとっては、「ああ、こういうのこそ、小田嶋隆の韜晦、だよなあ」なんて、妙に納得しまうのですけど。