- 作者: 山田宗樹
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/07/28
- メディア: 単行本
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Kindle版もあります(価格は紙の単行本より90円安いだけですが)
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内容(「BOOK」データベースより)
原爆が6発落とされた日本。敗戦の絶望の中、国はアメリカ発の不老技術“HAVI”を導入した。すがりつくように“永遠の若さ”を得た日本国民。しかし、世代交代を促すため、不老処置を受けた者は100年後に死ななければならないという法律“生存制限法”も併せて成立していた。そして、西暦2048年。実際には訪れることはないと思っていた100年目の“死の強制”が、いよいよ間近に迫っていた。経済衰退、少子高齢化、格差社会…国難を迎えるこの国に捧げる、衝撃の問題作。
「ひとり本屋大賞」ついに最後の11作目。
明日は『本屋大賞』の発表ですね。
以前から「面白い」と話題になっていた本ではあるのですが、僕はこの小説の設定を知って、「これ、あまりにもありきたりじゃないのかな、本当に面白いのだろうか……」と半信半疑ではあったんですよね。
でも、読んでみたら、かなりデキの良い作品でした。
この小説の不老技術"HAVI"というのは、僕にとっては、『銀河鉄道999』の「機械の体」を想起させるものでした。
「人は、限りある命だからこそ、懸命に生き抜こうとするのだ」
『999』は、途中から、「生身の体礼賛」にシフトしていって、僕は子供心に「そうだよなあ、やっぱり死ななくなった人間は、ロクなことしないだろうし」と納得しつつも、「永遠の命ってやつがあれば、死ぬことを恐れなくてもいいのだから、羨ましくもあるなあ、やっぱりに死ぬの怖いし。機械の体を持って、まともに生きるって選択肢はないのかねえ」なんて考えたりもしていたものです。
だいたい、「限りある命の生身の体」だからといって、みんなそんなに懸命に、立派に生きているわけではないように思われたしね。
まあ、そんな子供の頃からの疑問というか、なんとなく腑に落ちなかったことに「おとしまえ」をつけてくれる作品なのかな、と思いつつ読み始めたのですが、読みながら、これは「生身の体」と「機械の体」のどちらを選ぶか?というのは「表向きのテーマ」なんじゃないかな、と考えていました。
この作品は「"HAVI"という技術を手に入れた日本というパラレルワールド」を描いているようでいて、実は「いま、僕たちが生きているこの世界の話」なのです。
「人が若い肉体を維持したまま、死ななくなった社会」には、さまざまな問題が生じてきます。
同じような若い体を持ったままの親と子は「家族」を維持していかなくなり、生きていることに倦んでくる人たちも出てきます。
さらに、いつまでも上の世代が「退場」せず、既得権益を握り続けているために、若者たちには仕事がなく、社会保障も薄くなってしまって、未来への希望が失われている。
「新陳代謝が起こらない世界」は破滅への道を突き進んでいかざるをえないのです。
しかしながら、「長く生きた人間が、若者にさまざまな権利を譲渡していく」というのは、なかなか難しい。
「国や社会全体としては、そうするべきだ」と大部分の人が思うはずだけれど、それがいざ自分やその家族のこととなると、「若者にさまざまなものを譲って、退場していく」勇気はなかなか出ない。
いや、僕だって、「理屈はわかる」のだけれども、実際にその時が来て、「じゃあ、あなたも退場してください」と言われたら、そう簡単には受け容れられないと思う。
高齢者医療の現場にいると「点滴や胃ろうで毎日栄養補給をしないと生きられない、身の回りのこともできず、ベッドに寝ている高齢者たち」は、これからどうなっていくのだろう?と考えずにはいられません。
日本という国は、社会は、いつまでも「生命を維持し、生きているということを証明してみせるための医療」を続けていけるのだろうか?
派遣労働とか、ワーキングプアの問題にしても「高齢になっても、元気で働ける人が増えた」一方で、若者はいつまでたっても「ハケン」で正社員にもなれない、にもかかわらず、高齢化社会に伴う負担は増していくのです。
医療的には「心臓を動かし続けるだけでよいのなら、もっと『長生き』できる」としても、それをどこかで制限すべき時代が来るのかもしれません。
これからさらに余裕がなくなって「高齢者を生かしておくためだけの医療」と「子供の教育や社会保障」を天秤にかけざるをえなくなれば。
いや、現時点ですでに、これは「見えない天秤」にかけられているのです。
それでも、「生かせる方法があるのに、見殺しにする」という選択は、なかなかできないものです。
これでいいのか? とりあえず自分たちが「逃げ切る」ことができればいいのか?
うーむ、それもまた「高齢者たち」がみんな逃げ切ろうとしているのは卑怯だけれども「お前が退場しろ」と言われれば、「そんなのイヤだ」となってしまうんだよなあ。
僕も、きっとそうだ。
この小説は、「とりあえず自分が幸せになるのが最優先」というのと「自分は犠牲になっても、未来の人類(あるいは、子供たち)に希望を繋ぎたい」という「生きかた」のせめぎ合いを、鮮やかに描いています。
生命を惜しむ人、『処理』されることに逍遥として従う人、それぞれの心と行動が、かなり丁寧に描かれているのも印象的でした。
そして、この小説の良さというのは、そういうかなりデリケートな問題を扱っているにもかかわらず、「次に何が起こるのだろう?」「この物語は、どのように終わるのだろう?」という興味を読者がずっと持ち続けられるような「先が気になって、睡眠時間を削って読み進めてしまうエンターテインメント性」にあるのだと思います。
「人間が長生きしすぎるようになってしまった世界」は、小説の中にだけ存在するのではありません。
まあ、最大の問題点は、この場合の「人間」に自分を含めるのは、誰にとってもかなり困難だということなんですけどね。
「他人が長生きしすぎる世界」と「僕たちが長生きしすぎる世界」の間には、けっこう高い壁がある。
そんなことも考えさせられる作品でした。