- 作者: 星新一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1978/08/27
- メディア: 文庫
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今回は、こちらのKindle版で読みました。
- 作者: 星新一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/04/22
- メディア: Kindle版
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内容(「BOOK」データベースより)
星新一の父、星一は、福島の田舎から東京に出て苦学し、20歳で単身アメリカに渡る。いつも貧しかったが決して挫けず、他人に頼らず住み込みで働きながら小学校で英語を学び、行商や翻訳をして大学の学資を稼いだ。周到な計画と持ち前の克己心で困難を乗り越え、貪欲に異国の新しい文明を吸収していく…夢を抱き、野心に燃えて、星製薬を創業した父の若き日の記録。感動の評伝。
「電子書籍で名作を読んでみる」シリーズ。
この『明治・父・アメリカ』の単行本が出版されたのは1975年。
僕がまだ物心つくかつかないか、という時代のことです。
僕自身は、この作品を1980年代半ばに、中学校の図書室で読んだのですが(僕がはじめて読んだ時点で、世に出てから10年くらい経っていたんですね)、当時片っ端から星新一さんのショートショートを読んでいて、「へえ、星さんにもショートショート以外の著書があるのだなあ」と、意外に思いながら手にとったことを覚えています。
「星新一さんって、ショートショートじゃなくても面白いな」と感心したことくらいしか当時の記憶はないのですが、今回、あれから30年近く経ってあらためて電子書籍として読んでみると、けっこうたくさんの発見がありました。
(1)星新一さんの文章の巧さ
とくに冒頭の「星一が生まれるまでの星家のなりたちと、『明治』という時代への移り変わり」を簡潔に、飄々と、かつ時代の空気が伝わってくるようにポイントを押さえて書かれているところは、いま読んでみて、あらためて感動しました。
(2)息子が「父親について書く」ということ
男女ともに「母親のことを書く」、あるいは「息子は母親のことを書く」というのはよくあるのですが、息子にとって父親というのは、なんとなく「言及しにくい存在」なんですよね。星さんもこの本のなかで、
男は自分の父親のよさを語らない。私の父も喜三太について、ほとんど他人に話していない。話題にしても「うるさいおやじでしてね」ぐらいしか言わなかったろう。
父親とは地味な存在である。裏方としての立場に満足しなければならない。いや、それで満足なのである。心の底でつなかっている。なにごとも、むすこのためにつくす。きびしくしつけもするが、必要となると、できうる限りの力も貸すのである。
私は祖父の星喜三太なる人物の存在を知り、それへの興味でここまで書いてきたといってもいい。
しかし、しだいに筆が進まなくなってきた。なぜなのか、われながらふしぎだった。しかし、やがて気がついた。自分の父親を語るという、タブーをおかしているのである。まったく書きにくい。
こんなふうに書かれています。
それでも、星新一さんは、書かずにはいられなかった。
最相葉月さんが書かれた星新一さんの評伝を読むと、新一さんは、父親がつくった星製薬の「後始末」に、かなり長い間忙殺されてしまっています。
星さんは日本を代表する売れっ子小説家なのですが、そんな小説で稼いだお金も「焼け石に水」というくらいの多額の負債とややこしい手続きの数々を、お父さんは残してしまったのです。
でも、それは星一さんの怠惰によるものではなくて、「要領よく立ち回るよりも、正しい道を歩くことをめざした」ことと、太平洋戦争の影響を受けずにはいられなかったからでした。
「息子が父親のことを書く」のが「タブー」だと言いながら、星新一さんが、数少ない「ショートショート以外の小説」の主人公に父親を選んだのは、やむにやまれぬ気持ちがあったのでしょうね。
(3)「希望を持って学ぶこと、働くこと」の崇高さ
「働きすぎるな」なんて言っていられなかった時代の日本人の「勤勉さ」が、この本に描かれている星一さんの姿からは伝わってきます。
ニューヨークに戻り、コロンビア大学へ授業料を払いにゆく。それをしないと、学生になれないのだ。しかし、年額150ドルで、所持金ではたりない。そこで、こう交渉した。
「この学校にあこがれて、日本から来た苦学生です。いま、半年分の授業料、75ドルを払います。とりあえず、半年間だけ講義を受けさせてください」
「あとの半分はどうする」
「なんとか働いて、かせぎ出します。それが一年後になるかもしれません。普通の人の二倍かかってもいいから、この大学を卒業したいのです」
どんなことをしてでも、ここで学んでみせる。その熱意をみとめ、係は承知してくれた。
「よろしい。悪くないアイデアだ。しっかりやりなさい」
官僚的なところは、少しもなかった。これがアメリカなのだなと、実感させられた。
(4)明治の人たちの生きざま、そしてアメリカという国が当時の日本に与えた影響
そのころ(明治20年くらい)の小学校の教科書は、ほとんどがアメリカの教科書を翻訳したものだった。フランス的なものから切り換えられたのである。そこには新鮮な思想が盛りこまれていた。教師用の参考書には、たとえばこんな物語がのっている。
二人の少年が、古い教会の屋根にあがって遊んでいた。そのうち、大きな音をたてて、屋根がこわれた。少年のうちの一人は、なんとか梁を手でつかむことができた。そして、その足首に、もう一人がつかまるという形になった。
時間が流れる。大声で助けを呼んだが、だれも来てくれない。梁につかまっている少年が言う。
「手が疲れて、もう、これ以上はがまんできないよ」
すると、足につかまっているほうの少年が聞く。
「ぼくが足からはなれたら、きみは助かりそうかい」
「たぶん、梁の上へあがれるだろう」
「わかった。じゃあ、ぼくは落ちよう。友よ、グッド・バイ」
読んで、佐吉(のちの星一)自身がまず感動した。これまでに接してきた儒教の影響の多い本には、こんな話はのっていなかった。
ページをめくると、大統領になったワシントンが少年時代、桜の木を切ったのが自分であると、正直に申し出たという物語もあった。
わかりやすく、具体的である。抽象的なことを押しつけるいままでの教育とちがい、いききとした世界がそこに展開されていた。佐吉は熱を入れて話してやり、生徒たちもまた強い印象を受けた。手ごたえがある。
書物に書かれていることだけで、これだけの感銘を受けるのだ。新しい文明とは、これなのだ。もっとよく知りたい。そのなかで働いてみたい。大きな仕事をしてみたい。
東京へ出て学んでみたい。新しいものは、みな東京からここへ伝わってくるのだ。その希望がしだいに佐吉の心のなかで大きくなっていった。
これを読むだけで、明治維新後、何かとやろうと思った人たちが、アメリカに惹かれていった理由がわかります。
いまの感覚からすれば、このくらいの「具体例」は、ごく当たり前なのですが、それまでの日本の「教育」では、こういう事例が語られることすらなかったのです。
アメリカは、日本にとって、物質的な豊かさという意味での驚きをもたらした国であるのと同時に、あるいは、それ以上に「精神的な影響を与えた国」でもあったのです。
そして、この本のなかの「アメリカ」は、「頑張っている人にはフェアで、誰かが手をさしのべてくれる国」なんですよね。
もちろん、差別的、排他的なところもあるし、厳しい競争社会でもあるのだけれども。
そして、
(5)この本が書かれた1970年代半ばに、日本人にはアメリカがどう見えていたのか、が伝わってくること
も挙げられます。
もし、同じような本が、いま、2013年に書かれていたとするならば、もうちょっと「日本にアメリカが与えた影響の功罪」みたいに、ネガティブな話が多くなるんじゃないかな、という気がします。
思えば、朝鮮戦争後からバブル期前くらいまでが、日本にとって、いちばん「アメリカに憧れ、盲信していた時代」だったのかもしれません。
「明治時代の日本にこんな人がいて、しかも、その人は星新一の父親だった」というのは、なんだかとても不思議な一方で、「こういう『実業家』の息子が、フィクションの世界で『永遠に近づけるもの』を求め続け、なるべく時代に左右されないようなショートショートを描き、しかもそれを時代に合わせて改稿していた」というのは、すごくわかるような気がするんですよね。
星一さんが、あまりにも「外界からの、いかにも日本的なコネとか利益供与による妨害」で苦しんでいたから、息子は「ひとりで作れる世界」を目指したのだろうか。
とても読みやすく、また、「希望を持って働くことの喜び」みたいなものが伝わってくる本です。
また、明治以降の日本人にとって、あるいは1970年代の日本人にとっての「アメリカ」が当時の人々の感覚で描かれているのも魅力的です。
電子書籍版じゃなくても、中古書店などでは安く売っているところもあるでしょうし、いまだからこそ、もう一度読み返してみると昔読んだときとは違う面白さも感じられる作品ですよ。