
- 作者: 東海林さだお
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/03/13
- メディア: 単行本
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- 作者: 東海林さだお
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/03/31
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内容(「BOOK」データベースより)
病院食、ヨレヨレパジャマ…見るもの聞くもの、すべてが目新しい。おや、なんだか面白くなってきたぞ。堂々四十日!
東海林さだおさん、ガンで入院されていたのか……
僕はそのことを知らなかったので、このエッセイ集を読んで驚きました。
そうだよなあ、東海林さんも、もう80歳なんだものなあ。
ガンと言っても、消化管のポリープや早期ガンの内視鏡切除くらいかと思いながら読みはじめると、肝臓のガンの疑いで、肝切除を受けられたのだとか。
ただし、東海林さんらしく、実際にはさまざまな心理的・身体的な葛藤もあったのかもしれませんが、きわめて軽やかかつユーモラスに、入院生活のことを書いておられるのです。
順番が来て、ぼくも名前を呼ばれ、ぼくも消えていく。
名前を確認され、ベッドに横たわり、
「ヒザを両腕で抱えて体をくの字のしてください」
と言われ、
「いよいよ脊椎麻酔の注射だな」
と思い、
「話にはとても痛いと聞いているが」
と思い、その覚悟をしたとたん、ブスリと注射が打たれ、
「話に聞いているほどは痛くないじゃないか」
と思い、「うん、このことは、これから脊椎麻酔の注射をしなければならない羽目になった人にぜひ伝えないといけない……い……な」の、「な」のあたりで意識がなくなった。
このあと四時間、わが身の上に起こったことについては何も覚えていない。
四時間もの間であるから、多分、わが身の上には様々な出来事があったはずだ。
「何か一つでも思い出せ」
と言われても困る。
きっかり四時間後、きっかり目が醒める。
麻酔をかけられるのって、こんな感じなんだなあ、と思いながら読みました。
僕自身は研修医時代に麻酔科をローテーションしたときくらいしか、全身麻酔とその維持管理に関わったことがありませんし、麻酔をかけられるというのは、どんな感じなのか、を経験したこともないのです。
患者さんに「麻酔、どうでした?」って聞いたこともなかったなあ、そういえば。
そんな「感想」を聞かれても困る人も多いだろうし。
ああ、「こんな感じ」なんだなあ。
誰でも一度は目にしたことがあると思うが、病院の中で患者がガラガラ引っぱって歩いているものがありますね。
点滴の袋とか、酸素ボンベとか、いろんな計器みたいのが載せてあって、台というか、ワゴンというか、そういうたぐいの物。
ひとたび入院すると、これに厄介にならない者はいない。
朝から晩までコレといっしょに過ごすことになる。
いまコレと書いたこのもの、正式には何ていう名前か知ってますか。
入院中も退院後も、いろんな人に訊いてみたのだが知っている人は皆無で、
「ガラガラでいいんじゃないの」
と答える人ばかり。
そしてまた、ガラガラでちゃんと通用するんですね。
「そこには名も無き草花が咲き乱れ」などと表現されるような草花にもちゃんと正式名があるように、どんな物にも必ず名前がある。調べてみるとアレにも正式名がありました。
「イルリガートル台」と言います。
英語だとイリゲーターで、もともとの意味は、灌漑(田畑に水を引いて土地をうるおすこと)から来ているらしいです。
何となく意味はわかるが、でも、アレを引っぱって歩いていると、自分がアレに耕されているような気がして何だか悔しい。だんだん癪にさわってくる。ハラも立ってくる。
入院したことのない人にはこの気持ちはわからないだろうが、イルリガートルはもうほんとにどこに行ってもしつこく付いてくる。
僕もあれ「点滴台」って呼んでました。
イルリガートル台、って言うのか……
東海林さんは、入院生活中に「自分のおしっこの量や色までも袋に入っているのが見られてしまう恥ずかしさ」を語っておられます。
入院生活っていうのは、合理性や治療の名のもとに、「人間のプライド」みたいなものをかなり犠牲にしているところがあるんですよね。
細かいことのようだけれど、当事者にとっては、こういうことがやっぱり気になるのです。
このエッセイ集には認知症などの「老い」に関する文章も収められています。
東海林さんは、自分の加齢による変化も「観察」し続けているのです。
「流行語大研究」という項のなかで、こんなちょっと懐かしい話が出てきます。
思えば、きんさんぎんさんの時代、というものがあった。
きんさんぎんさんの長生きを、全国民が喜んでいた時代である。
きんさんぎんさんは、当時、毎日のようにテレビに出て、二人そろってニコニコ笑い、名古屋弁で何かひとつ面白いことを言った。
きんさんが、
「きんは百シャア」
と言えば、ぎんさんも、
「ぎんも百シャア」
と言い、ただそれだけで全国民が手をたたいて喜んだ。
ぎんさんには四人の娘がいて、きんさんぎんさんが世に知られるようになったとき、長女が77歳、順に73歳、70歳、68歳だった。
ぎんさんの娘にはそれぞれ子供がいて、大家族できんさんぎんさんの面倒をみていた。
きんさんぎんさんの家族は、いつも賑やかで明るく、笑顔の絶えない一家だった。
長生きがとてもめでたい時代だったのである
誰もが、何の疑いもなく長生きを慶事と考えていた。
いまから二十数年前のことである。
いま、長生きは慶事だろうか。
いまは長生きとは言わずに後期高齢者と呼ぶ。
いま、後期高齢者の家族はその介護に苦しんでいる。
老々介護問題、徘徊問題、老人施設の入居費用、めでたいことなど一つもない。
何という世の中の変わりようであろうか。
「百シャア」を、めでたい、めでたいなどと言ってる場合ではなくなってきているのだ。
ああ、たしかに、いつのまにか、長生きを手放しで喜べる世の中ではなくなってしまったなあ、と、これを読んで思ったのです。
それは、劇的に変わった、というよりは、いつのまにかそうなっていて、「長寿」は、手放しで喜ぶ前に、その家族の背景を想像しなければならなくなった。
まあ、きんさん、ぎんさんの時代も、介護や徘徊の問題は存在していて、それが顕在化したのと、高齢者が増え、担い手が減った、「社会的入院」も難しくなった、という、さまざまな事情もあるのでしょうけど。
東海林さだおさんという人は、「僕もいつか行く道」を、先回してユーモアで舗装してくれているような気がするのです。

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