琥珀色の戯言

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【読書感想】教え上手 ☆☆☆☆


教え上手

教え上手


Kindle版もあります。

教え上手

教え上手

内容紹介
教え方の本質は「いかに教えないか」にある。
50年近く教育の第一線で活躍し、「追及の鬼」を育てる指導で名をはせた教育界のカリスマによる、
大人が知っておくべき“教え方のエッセンス"とは?

単行本が上梓されたのは、もう4年前なのですが、Kindle版が安くなっていたので読んでみました。
最近、5歳の息子との接し方にちょっと悩んでいたこともあって。
もちろん、この本を一冊読んだからといって、全部解決できるようなものではないのだけれど、読んでよかった!と思える内容です。
学校の先生って、いろいろと大変なんだなあ、と痛感するところもあって(「板書のトレーニング」とかも学校の先生は受けているんですね。知らなかった)、その一方で、試行錯誤しながら、「子どもたちに届く教え方」を極めようとしている著者は、なんだかとても「教える」という仕事を楽しんでやっているというのも伝わってきて。


著者は、冒頭でこう述べています。

 みなさんは「教え上手」といわれて、どのような人を思い浮かべるでしょうか。
 わかりやすい説明をしてくれる上司、生徒の学力を伸ばしてくれる先生。いろいろなタイプの人をイメージすることでしょう。
 そんな彼らに共通しているものは何か。私は長年の教員生活を通して、それを考えてきました。そして本書では、その答えを私なりにお伝えしようと思います。


「教え上手」とはどのような人のことをいうのか。それを考えるにはふたつの軸が必要です。ひとつは「技術」、そしてもうひとつが「人間性」です。
 このふたつをもとに考えると、教える人を四つのパターンに分類できます。


(中略)


 「教え上手」とはわかりやすく、そして教わる人に学びたいと思わせる「技術」を持ち、かつ、彼らを思いやるような心をユーモアを備えた「人間性」を持つ人のことを指すのです。

 言われてみれば当然なのですが、「技術」と「人間性」の両方を備えているのが「すぐれた先生」なんですね。
 もちろん、その両立は簡単なことではないのですが、「テクニックだけではダメだが、テクニックが無いとどうしようもない面もあるのだ」ということは知っておくべきなのでしょう。
 「人間性」って、急にどうこうできるようなものじゃないけど、「技術」は意識して身につけることが可能なはず。

 教え上手というのは技術を技術に見せません。技術を使っているときでも、「いかにも技術を駆使しています」とはあからさまに見せないのです。では、どのように見せるのか。「技術」を「人間性」のように見せるのです。
 たとえば教師の場合、子どもたちの注意を引くために黒板にわざと日づけを間違えて書く。こういうテクニックを教師は使うもののですが、そういうときもすぐれた教師は、「つい間違ってしまった」かのように、つまり、それがあたかも人間性から生じたほころびやうっかりミスのように見せて、技術でやったとは相手に感じさせないのです。
 子どもを笑わせても、それが人間性からにじみ出たユーモアのように思わせてテクニックとは悟らせない。

 ある意味、教師は役者、教室はステージ、なのかもしれません。
 この本を読むと、「教え方」と同時に「教師という仕事の舞台裏」も覗いてみることができるのです。
 読みながら、昔担任だったあの先生は、どこまで「演じて」いたのだろうか?なんて、考えてしまいました。


 この本のなかでは、著者が実際に授業をする際の「問いかけ(発問)のコツ」が書かれています。

 たとえば小学生に、バスの運転手の職業内容を学ばせたいとき、「バスの運転手さんはどんな仕事をしているでしょうか?」と問うだけでは質問の域を出ません。「バスを運転しています」という当たり前の答えが直線的にしか返ってこないからです。
 この場合は、「バスの運転手さんは、運転しているとき、どこを見ていますか?」といった問いかけが発問に相当します。
「前」という答えが返ってきたら、すかさず「前だけかな?」と重ねて問う。すると、バックミラーの存在に気づいた子どもが「後ろも見ている」と答える。それをきっかけに、車、通行人、信号、乗客、バス停、スピードメーター、料金箱……などとじつにさまざまな答えが引き出されてくる。
 そこで、「どうして、こんなにいろいろなところを見ているのでしょう?」とさらに問うことで、「乗客を安全に運ばなくてはならないから」というたしかな結論に到達することができ、彼らの思考を深いレベルまで掘り下げ津ことができるのです。

 なるほど、こういうふうにして、「引き出していく」のか……
 ただ、漠然と「質問する」のではなく、相手の興味とやる気を引き出し、自分の力で答えを得られるように誘導していく。
 「相手の自由な発想に任せる」だけでは、なかなかうまくいかないことも多いのです。
 「全部教える」のではない。でも、「全くなにもしない」と、「できない」ことで、子どもが興味を失ってしまう場合もある。
 この匙加減がいちばん大事なんですよね。

 ピリオド(結論)で終わるのではなく、クエスチョンマーク(疑問)で終わる。このことが教わる人の学ぶ意欲を非常に刺激するのです。ただ、だからといって、教えが「?」で終始してしまってはダメなのはいうまでもありません。
「いろいろ教わったが、理解できないことのほうが多かった」。これではフラストレーションが溜まるだけで、次につなけるどころか、学ぶ意欲は萎えてしまうでしょう。では、理解と疑問が五分五分くらいが妥当なのか。
 私の経験からいうと、五分五分でも教わる側の”食いつき”はよくありません。
「わかった!」が七割、「はてな?」が三割の配分を意識する。
 少なくとも、わかる量がわからない量をいつも上回っていると、学ぶことがおもしろく感じられません。


 つまるところ教える技術の要諦は、この「わかった!」と「はてな?」を交互に連続させることにあります。

 正直、これを読んだからといって、すぐに真似できるようなものではないと思います。
 著者の場合、教える対象への信頼と綿密な観察がまず前提にあるわけで、相手を見ずに同じことをしても、結果は同じにはならないでしょうし。
 それでも、学校の先生のみならず、親として自分の子どもと接するときの良いヒントになる一冊だと思います。
 この本が素晴らしいのは、「教える側も、大変なだけじゃなくて、相手が伸びていく喜びを味わうことができる」ことを伝えてくれていることでもあるんですよね。

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