- 作者: 福西崇史
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2014/04/16
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
こう観ればサッカーは0-0でも面白い 「戦術」と「個の力」を知的に読み解く (PHP新書)
- 作者: 福西崇史
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2014/03/20
- メディア: Kindle版
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内容紹介
「サッカーを観るとき、どんなところに注目していますか?」
サッカー元日本代表で、現在ではその説明のわかりやすさから、最も注目されるサッカー解説者である福西崇史さん。「福西さんの『サッカーを観る眼』はどんな人よりもたしかで本質をついている」とは、元代表のチームメートでもある遠藤保仁選手の言葉です。
そんな彼は解説のとき、ピッチのどこを見ながら試合の流れを読み解いているのか……。その質問に福西さんは「ボランチ」「戦術」「個の力」と答えます。この3つを知れば「サッカーの見方」が驚くほど変わり、選手の動きや駆け引きが理解できる――。そうした「福西流・観戦術」を「選手」と「解説者」という二つの視点から語ったのが、この本です。
間もなく、ワールドカップが開幕します。
ワールドカップの日本代表戦は、そんなにサッカーには詳しくない人々(僕も含めて)が、テレビの前で代表チームの試合を固唾をのんで見守っています。
サッカーって、詳しい人は戦術などについていくらでも語れる一方で、「ワールドカップの日本戦くらいしか観ない」という人でも、「とりあえず、このボールを相手のゴールに入れれば良いんだよね」くらいで十分楽しめるのが大きな魅力。
ラグビーやアメリカンフットボール、アイスホッケーなどは、細かいルールを理解するのはけっこう難しいですし、野球にしても(日頃見慣れているので、僕にとっては当たり前になってしまっていますが)、そんなに「簡単」ではありません。
中学校の体育の授業とかでも、ソフトボールをやると「これ、バットに当たったら、こっち(1塁)に走ればいいんだよね」と言う人って、クラスに何人かいたんですよね。
「興味がない」人というのは、どんなジャンルに関してもいるわけで。
僕も「ファッション」とか、全くわかんないものなあ。
この新書、ジュビロ磐田のMF(ミッドフィールダー)として日本代表にも選ばれ、現在はサッカー解説者として活躍中の福西崇史さんによって書かれています。
サッカーのルールは(「オフサイド」なども含めて)一通り知ってはいるけれど、サッカーの戦術や「なぜ、この選手はこんな動きをするのか」について、もう一歩深く踏み込んで楽しみたい、というサッカー観戦初心者のための新書です。
僕は、とくに三つのポイントに注目しています。
一つ目は「ボランチ」。現役時代の僕が務めていたポジションで、この言葉に馴染みのない人には「グラウンドの中央にいるミッドフィールダー」と説明すれば伝わりやすいでしょうか。1998年ワールドカップ・フランス大会では山口素弘さん、2002年同・日韓大会では稲本潤一が務め、2010年8月にアルベルト・ザッケローニが監督に就任してからは、主に遠藤保仁や長谷部誠が任されてきたポジションです。
二つ目は「戦術」。これは、対戦する二つのチームがどのように自陣ゴールを守り、いかに相手ゴールを攻めるかを示す「基本方針」といえるでしょう。サッカーは11人対11人の駆け引きによってゴールをめざすスポーツですから、それを実現するための作戦、すなわち戦術を無視することはできません。とくに近年は「4−2−3−1」や「3−4−3」「4−4−2」といったDF(ディフェンダー)、MF(ミッドフィールダー)、FW(フォワード)の順にポジションごとの人数と配置を示すフォーメーション表示が定着していますが、これも戦術を表現する基本方針の一つです。
そして、三つ目は「個の力」。サッカーは「組織対組織」「戦術対戦術」の駆け引きを魅力とする11人対11人のスポーツでありながら、ときにたった一人の「個の力」によってそれを破壊してしまう側面をもっています。ドリブルで何人もの相手を抜き去るバルセロナのリオネル・メッシ、強烈なロングシュートでゴールを奪ってしまうレアル・マドリードのクリスティアーノ・ロナウドなど、時代を象徴するスーパースターたちはその強烈な個性をグラウンド上で表現し、名声を勝ち取ってきました。もちろん、たとえメッシやロナウドほどのインパクトがなくとも、グラウンド上ではつねに一対一、すなわち「個対個」の戦いがあり、その勝敗は「組織対組織」の勝敗にも大きく影響します。
この「三つのポイント」に沿って、福西さんは、現代サッカーの楽しみ方について説明していきます。
おそらく、サッカー通にとっては「そんなことは常識」という内容が多いと思うのですが、「初心者にわかりやすく」というのが重視されているのです。
福西さんは、サッカーがペレやマラドーナ、プラティニなどの「個の力」の時代から、傑出した選手に頼らずに、安定した結果を出すための「組織」「戦術」重視の時代に変わっていった潮目は、1994年のアメリカ・ワールドカップではないかと指摘されています。このときに、優勝したブラジル代表のボランチとして活躍したドゥンガは、翌年にジュビロ磐田に移籍し、福西さんのチームメイトとなるのです。
このドゥンガ選手に教えられたことが、その後の福西さんのサッカー人生を大きく変えていくのです。
ボランチとして、ドゥンガ選手のパートナーとなった福西選手は、この「世界最高のボランチ」の運動量の少なさに面食らってしまいます。
当時のドゥンガ選手の年齢的なものもあったのでしょうが、「自分も走るのは苦手だった」という福西さんは、最初、かなりの負担を感じていたそうです。
ドゥンガのプレーをテレビで観ていても、「走らない選手」という印象は受けません。むしろ何度も相手の攻撃をストップするプレースタイルから、「よく走る選手」という感覚すらもたれるのではないでしょうか。
つまり、大切なのは”要領よく”プレーすること。体力的なウィークポイントを抱えていた僕は、パートナーとしてプレーするドゥンガからその重要性を学びました。グラウンドの中央でプレーするボランチには、つねに360度の視野が求められます。だからこそ、「考えて走ること」はこのポジションに不可欠。攻撃でも守備でも、大切なのはボールの流れや味方と相手の動きを予測し、準備すること。それができれば自らの負担を軽減し、効率よくプレーできるのです。
ドゥンガには、何度も何度も怒鳴られました。
「フク、どうしてそこにいないんだ!」
「フク、どうして何度も同じミスをするんだ!」
「フク、そこにいて何の意味があるんだ!」
要領よくプレーすることの意味は、グラウンド上でいつもそうした言葉を体現しているドゥンガにこそありました。ボールの流れを読み、ポジショニングさえ正しければ、おのずと質の高いプレーができる。相手との間合い、駆け引きを制すれば、必ず自分が活きる。
つねに動き回ってできるだけ多くボールに絡むことだけが、ボランチの仕事ではありません。絶妙のタイミングでインターセプトをして相手の攻撃を寸断し、相手のドリブル突破をいつも正面で待ち構え、パスワークの中心としてボールに関わり、ときには駆け上がって決定的なラストパスを送る。走らないドゥンガにそれができる理由は、ゲームの流れを読み、走ることを最小限に抑える要領のいいプレーにあったのです。ドゥンガの横でプレーすることで、僕は「サッカーの奥深さ」を学ばせてもらいました。
ここでいう「サッカーの奥深さ」とは、つまり「戦術」を意味しています。相手との駆け引きに勝つためにチームが設定した戦術において、グラウンドの中心でプレーするボランチはその体現者になることができる。
福西さんは、一緒に長い時間プレーしていくことにより、ドゥンガ選手の「凄さ」を理解していきました。
年齢による体力の衰えもあり、若い頃に比べたら、ドゥンガ選手の「一試合に動ける総量」は減っていたはずです。
しかしながら、それは「適切なポジショニングをとって、要領よくプレーすること」で、カバーすることができる。
体力をつけることも大事だけれども、そう簡単にできることではない。
頭を使って「無駄な動きを減らす」ことができれば、同じ体力でもより有効に、長時間「仕事」ができるのです。
やたらとグラウンドで走り回っている選手のほうが「運動量が多い」すぐれたプレイヤーのように思われがちですが、大事なのは「その動きに意味があるのかどうか」なんですね。
第2章から第4章にかけてお話してきたとおり、「個と組織の融合」は、サッカーを形成する要素を分解して考えられることではありません。つまり、失点の要因が守備的なポジションの選手たちに、決定力不足の原因が攻撃的なポジションの選手たちにあるという考え方は、サッカーの本質や奥深さを考えれば正解とはいえない気がします。
2006年ワールドカップ・ドイツ大会初戦のオーストラリア戦、終盤のわずか十分間で立て続けに三失点を喫した理由は、「追加点を奪いたい」という攻撃陣と「失点したくない」という守備陣の意識のギャップを埋め切れなかったことにありました。チームを11人の組織として機能させられなかったからこそ、あの失点は生まれたのです。
たとえばオウンゴールは、オウンゴールをした選手のミスだけでは生まれない。その選手が自陣ゴールに向かって全速力で走らなければならなかった原因は何か、そこに上げられたクロスを防ぐことはできなかったのか、そもそもクロスを上げられる位置までボールを運ばれてしまった原因はどこにあるのか。そうしてたどり着く発端からオウンゴールがスタートしていると考えれば、それを防げるタイミングがじつはいくつもあったことに気づくでしょう。どんな失点も得点も、切り取った”部分”だけではなく、組織”全体”の問題でしかありえないのです。
得点や失点、よいプレーや悪いプレー、そのすべての発端を探る作業のなかには、サッカーの奥深さを知るヒントがあります。みなさんもぜひ試してみてください。ご自身のサッカー観が大きく変わってくるかもしれません。
オウンゴールの場面をみると、「ああ……○○選手が、やらかしちゃった……」と思ってしまいがちなのですが、プレーしている選手からすると、最後にオウンゴールしてしまった選手だけの責任だけではなく、それまでのプロセスに問題があった、というのが実感なのでしょうね。
サッカーに詳しくないけど、せっかくのワールドカップだし、ちょっと玄人っぽく楽しんでみたい、という人には、オススメの新書です。
僕も今回のワールドカップでは「それぞれのプレーの発端」に注目して、試合を観てみたいと思います。
「日本代表がボロ負け」みたいな展開だと、「プレーの発端どころじゃない」ので、なるべく、余裕を持って試合を観られますように。