急いてはいけない 加速する時代の「知性」とは (ベスト新書)
- 作者: イビチャ・オシム
- 出版社/メーカー: ベストセラーズ
- 発売日: 2016/09/09
- メディア: 新書
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内容紹介
阿部勇樹、佐藤勇人……現役サッカー選手からジャーナリスト、会社員が問う。
いまを生きるために、オシムに聞きたかったこと。その答えとは――。
ジェフユナイテッド市原・千葉の監督として、日本代表監督として、多くの選手を指導し、今なお、慕われるイビチャ・オシム氏。
サッカー指導者であり、稀代の哲学者でもあった氏に、聞きたかったことーー。
現役サッカー選手からジャーナリスト、会社員、学生などから募った質問にオシムが答える。一筋縄ではいかない、オシムの言葉。
加速化する時代に生き残るために必要な「知性」を語る。
『オシムの言葉』の単行本が上梓されたのが、2005年の12月。
そして、オシムさんが日本代表監督に就任し、みんなが期待していたなか、脳梗塞で辞任を余儀なくされたのが、2007年の11月のことでした。
あれから、もう9年になるのか……
僕は『オシムの言葉』を読んで以来、この「サッカー選手にならなければ、数学教師になっていたかもしれない(ただし、その場合はボスニアの内戦を生き延びられたかどうかはわからないが……とオシムさんは付け加えていたそうです)、というこの名指導者の言動に魅せられてきました。
脳梗塞のあとも、サッカーへの情熱と知的好奇心を失わない姿をみると、「本当にすごい人だなあ」と嬉しくなってくるのです。
オシム・ジャパンをワールドカップの舞台で見てみたかった、と思うのは、僕だけではないはず。
この新書は、サッカー選手だけではなく、さまざまな業種、年齢の人が「いま、オシムさんに聞いてみたいこと」を20個ぶつけてみたものだそうです。
その質問に対して、オシムさんは、個々に返答するのではなく、「日本」のあり方、「チーム」のあり方、「個」のあり方、「サッカー」のあり方、という4つの章のなかで、「返事らしきもの」をされています。
この4つの章は、サッカーだけではなくて、日本という国、会社などの組織のなかで生きている人間にとっての箴言に満ちているのです。
とくに、なんらかの「チーム」を率いる立場にある人は、オシムさんが「監督」として自らに課しているものを知っておいて損はないと思います。
というと、なんだか特別なものに聞こえるかもしれませんが、大人として生活していると、大なり小なり、他者をまとめて、なんらかの問題に立ち向かわなければならない状況というのは、誰にでもあるはずです。
監督として必要な資質とは何か。
例えば、プロ選手としてのキャリアはそれに当たるだろうか。
思うにサッカーの監督は、必ずしも元プロ選手である必要はない。プロとしての経験がなくとも、サッカーの監督にはなれる。
必要なのは知性であるからだ。
知性があることで優れたキャリアをまっとうできた監督はたくさんいる。彼らはサッカーで何かを成し遂げる機会を得た。サッカーは走るだけではないし、遠くにボールを蹴ることでもない。
他の多くのこと——人生の哲学が内側に含まれている。
選手から最大限を引き出す。
監督は彼らを批判することもできるし、怒鳴りつけることもできる。好きなことができるが、すべては彼らの「最大限を引き出す」ため、ということだ。怒鳴りつけて批判ばかりしていてはプレーも悪くなるばかりで、選手もそういう状況には耐えられない。
日常生活においても、批判に耐えられない人間はたくさんいる。そんな人々に対しては、十分に注意深くならねばならない。それこそ心理学であり、監督は人間心理の専門家であるべきなのだ。
十分な時間をかけて、選手を理解しようと努める。心理的・精神的に、彼らがどうであるのかを。
選手は監督がそれだけ自分を気にかけていると思えば、自分に自信を持てる。自信を得れば、プレーも良くなっていく。逆に嫌われていると不安を抱き始めると、その後が難しくなる。監督に嫌われていると感じた選手は、同じように嫌われている選手を求めるからだ。それは監督に敵対するグループが生まれたことを意味する。これはちょっとした問題だ。
どんな仕事においても、集団をうまく機能させるためには、正しい方向へと導けるリーダーが必要だし、能力のある人間、監督が必要だ。そしてその監督に、「選手」の経験があるかどうかはまったく問題にならない。
とはいえ、オシムさんは、選手としての経験があるほうが、クラブ首脳やメディアとの対話や、選手とのコミュニケーションが「やりやすい」面はあるのだけれど、とも仰っています。
それよりも大切なのは、選手の力を最大限に引き出すための「知性」だということなのです。
いまの世界のサッカー界の指導者のなかで、ツートップと目されるマンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督はバルセロナの名選手というキャリアを持つ一方で、宿命のライバルであるマンチェスター・ユナイテッドのジョゼ・モウリーニョ監督は、選手としては大成せず、バルセロナの通訳をやっていたこともあります。
オシムさんは「個の力」を重視しながらも、大きな目標のためには、それをチームのために活かせなければ意味がない、と考えているのです。
僕は「今の日本に足りないものは、圧倒的なストライカーの不在というような、決定力のある個人ではないか」と思っていましたし、「組織の中に埋没してしまって、個性が活かされないのが『日本の問題』なのだ」というイメージを持っていました。
しかしながら、「個性」は「チームワーク」と相反するものではないのです。
オシムさんは、理想的なチームについて、こう語っています。
優れてコレクティブ(適切な)グループ。
ノーマル(正常、普通)に生活をして、ノーマルにものを考える選手たちのグループ。
全員が同じ目的に向かい、同じ考えを共有できるグループ。
個人のエゴをそこに持ち込まない選手たちのグループ。
一人ひとりがチームのために動き、チームはそうした個人を全体の中で引き立てる。
それが理想的なチームのあり方だ。
オシムさんは「ある選手のキャリアのなかで、ずっとひとつのチームに忠誠を誓うこと」を強要しているわけではありません。
ずっと中堅クラブを指揮しつづけてきたオシムさんは、選手にとっても、チームにとっても、「しかるべきときに、ビッグクラブに移籍する(あるいは、「選手を売る」)ことは当然のことだ、と述べておられます。
オシムさんは、容赦ないリアリストでもあるんですよね。
練習も厳しいけれど、それが結果につながるから、自分の将来にプラスになるから、多くの選手がオシムさんについてきたのです。
第4章の「サッカー」のあり方、より。
私はこれまでの指導で、走ることの重要性を強調してきた。
だが、それは、ただ単に走ればいいというのではない。走りの質が問題で、大事なのはタイミングだ。
いつ、どうして、どこに走るのか。
よくいるのは、走り過ぎるぐらいに走るが、肝心なときに走らない選手だ。肝心なときとは、相手を混乱に陥れるときだ。走るために走るのでは意味がない。芸術のための芸術と同じで、何の役にも立たない。
よくいるだろう。タッチラインを割とうとするボールにスライディングをして、観客の拍手を受ける選手が。旺盛なファイティングスピリットを見せることで、彼らは賞賛を受けている。悪いことではないが、ハリウッド的なサーカスとも言える。
重要なのは、いつ、どうしてそのプレーをするかをよく理解することだ。
僕自身、「タッチラインを割りそうなボールにスライディングをしてみせた挙句、肝心のところでスタミナ切れを起こして走れなくなってしまう」というところがあるので、痛いところを衝かれたな、と感じました。
もちろん、無尽蔵のスタミナがあれば、そのボールを取りに行くのは良いことなのでしょうけど、目立つところだけファイティングスピリットをアピールするようなプレーは、あまり意味がないのです。
オシムさんは「停滞」に悩む日本人に、こんな言葉を贈っています。
しかし今日、あなた方は少し急かされている。
それもまた理解できる。日本のような国では、日常生活でもつねにプレッシャーがかかっており、すでにそれは強迫観念になっている。人々がノーマルに生きにくい。学校に行っても——これは聞いた話だが——子どもたちは数年観で2000字以上の漢字を覚えねばならないという。ものすごいことだ。
彼らがアインシュタインであってもちょっと多すぎる。それが子どもたちを圧迫している。だからこそ少し冷静になるべきだ。
ちょっと抽象的でわかりにくく感じるところがあるのもまた、オシムさんらしいな、と。
この人が世界のどこかで生きていて、ときどきでも言葉を発してくれているだけで、僕はけっこう嬉しくなるんですよね。全くもってデキの悪い生徒ではありますが。
- 作者: 木村元彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/03/13
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